第102話 婚約話【エリアスSide】
王都へ着いたのは、アルノルトを発ってから3日後の昼過ぎだった。
馬車を降りるなり王城へ使いを出したが、返ってきた答えは予想していたものとは違った。
「ヴァレンタイン宰相閣下は、現在お会いできないとのことです」
王都に構えるレーヴェン家の別邸、その執務室で報告を聞き、俺は眉を寄せる。
「理由は」
「公務が立て込んでいる、と」
「いつなら会える」
「それも、今のところはお答えできないと」
明らかに避けられている。
アルノルトを出る前にも面会を求める使いは出していた。王都へ着く頃には話が通っているはずだったが、セドリック・ヴァレンタインは俺に会うつもりがないらしい。
日和の弟を召喚し、そのうえ召喚を止めようとしたエルディンを自由に動けない状態に置いた。日和の弟にはすでに接触しているという。
聞かなければならないことはいくらでもある。
「もう一度使いを出せ」
「ですが――」
「公務が終わるまで待つと伝えろ。今日が無理なら明日、明日が無理ならその次だ」
「承知いたしました」
使用人が一礼して部屋を出ていく。
ここへ来るまでに3日、その間日和の店へは行けていないし、隣の家にも戻っていない。
あのときはエルディンからの急報を受け、すぐに状況を確かめる必要があった。日和に話せることもなかったとはいえ、何も告げずに出てきたことは気にかかっている。
帰ったら説明しなければならない。
どこまで話すかは状況次第だが、日和の弟がこの世界へ来ていることを、いつまでも隠しておくつもりはない。
問題は、その本人に会えていないことだった。
セドリックが何を話したのか、日和の弟は今どこにいるのか、エルディンは無事なのか。何も分からないまま時間だけが過ぎている。
苛立ちを抑えながら机の上を指で一度叩いたところで、扉がノックされた。
「旦那様」
「入れ」
先ほどとは別の使用人が入ってくる。
「王城より使者が参っております」
「セドリックか」
「いえ。陛下より、登城するようにとのお召しです」
俺は眉を寄せた。
国王から直接。
この時期に呼ばれる理由はいくつか考えられるが、どれも今の俺にとっては面倒なものだった。
「分かった。支度をする」
少なくとも、宰相のように居留守を使うわけにはいかない。
*
通されたのは謁見の間ではなく、王の私室に近い小さな応接室だった。
「来たか、エリアス」
「お召しにより参上いたしました、陛下」
膝をつこうとすると、国王が片手を上げる。
「よい。ここには私しかおらん」
「ですが」
「昔から言っているだろう。お前に毎度かしこまられると、こちらが疲れる」
そう言われても相手は国王だ。父の友人だったからといって、俺まで同じように振る舞えるわけではない。
「お久しぶりでございます」
「相変わらず堅いな。座れ」
「失礼いたします」
腰を下ろすと、国王はしばらく俺の顔を眺めていた。
「……父親に似てきたな」
不意に言われ、少し言葉に詰まる。
「そうでしょうか」
「ああ。特に、面倒事を抱えているときの顔がそっくりだ」
「そのような顔をしていた記憶はありませんが」
「お前には見せなかっただけだろう」
国王と父は若い頃からの盟友だった。立場は違っても互いを信頼し、父が北部を治めるようになってからもその関係は変わらなかったと聞いている。
その父は魔物討伐の最中に命を落とし、俺が爵位と領地を継いでからも国王は何かと気にかけてくれていた。
ありがたいとは思っている。だからこそ、距離の取り方には困る。
「北部の様子はどうだ」
「今のところ大きな問題はございません。ただ、西部の状況については気になっております」
「やはり、その話を聞いているか」
「はい」
日和の弟が向かわされた場所でもある。詳しく聞きたいところだったが、国王は今日、別の話をするために俺を呼んだらしい。
「まあ、その件はいずれ話そう。今日は別件だ」
嫌な予感がした。
国王が茶を一口飲み、こちらを見る。
「以前話した婚約の件だ」
やはり、それか。
「陛下」
「まず最後まで聞け」
「……承知いたしました」
以前にも一度、話は出ている。レーヴェン家の立場を考えれば、俺がいつまでも独身でいることを王が気にする理由も理解できた。
領地の安定、後継者、他家との関係。どれも領主として無視できない。
理解はしている。
受けるつもりがないだけだ。
「先方からも前向きな返事が来ている。家柄にも問題はなく、お前の立場にも――」
「お断りいたします」
国王が口を閉じた。
「……まだ相手の名も言っていないが」
「どなたであっても同じです」
「前に話したときは、考えておくと言っていたはずだ」
「そのときとは事情が変わりました」
国王が目を細める。
「事情?」
俺は一度、口を閉じた。
浮かんだのは日和の顔だった。
店の厨房に立つ姿、料理を出すときの顔、困ったように笑う顔。そして俺が好きだと告げたとき、真っ赤になりながら、それでも逃げずに返してくれた言葉。
――私も、エリアス様が好きです。
そのあとに続いた言葉も覚えている。
――少し、待ってもらえませんか。
待つと約束した。
だが、待つということと、別の誰かとの婚約を考えることはまったく違う。
「好いた相手がいます」
国王が目を見開いた。
数秒、何も言わない。
「……お前が?」
「はい」
「自分から?」
「はい」
「本当に?」
「陛下」
さすがに聞きすぎだ。
国王は俺の顔をじっと見たあと、突然笑い出した。
「いや、すまん。お前の口からそんな言葉を聞く日が来るとは思わなかった」
「私も、少し前までは思っておりませんでした」
「そうか」
国王の表情が柔らかくなる。どこか、父の話をするときと似た顔だった。
「相手は誰だ」
当然聞かれる。
隠す理由はない。ただ、日和の立場を考えれば軽々しく名前を出していいものかとは思った。
俺が黙ったことで、国王は何かを察したらしい。
「貴族ではないのか」
「違います」
「北部の娘か」
「……今は、北部で暮らしております」
国王の眉がわずかに動く。
「今は?」
余計な言い方をした。
「エリアス」
「はい」
「まさかとは思うが……以前、召喚された娘か」
答えるまでに、わずかな間が空いた。
それだけで十分だったのだろう。
国王が目を閉じ、長く息を吐く。
「……そうか。名は、日和だったな」
「はい」
「お前が引き取ったと聞いていたが」
「引き取った、という言い方は適切ではありません。本人の意思で、今はアルノルトに暮らしております」
「そこを訂正するのか」
「重要なことです」
国王はしばらく俺を見ていたが、やがて小さく笑った。
「なるほど。ずいぶん大切にしているらしい」
否定する理由はない。
「大切です」
また国王が黙った。
今度は先ほどより長く、それからどこか呆れたように、それでも穏やかに笑う。
「……お前の父にも聞かせてやりたかったな」
胸の奥がわずかに詰まった。
父なら何と言っただろう。
それは分からないが、今は1つだけはっきりしている。
「婚約のお話は、お受けできません」
「ああ、分かった。無理に進めるつもりはない」
「ありがとうございます」
頭を下げると、国王はしばらく黙ったあと、ぽつりと呟いた。
「召喚された娘、か」
顔を上げる。
国王は何かを考えるように俺を見ていたが、やがて表情を緩めた。
「いや、何でもない」
「陛下?」
「お前が自分で選んだ相手なら、私はそれでいい」
その言葉に、もう一度頭を下げる。
「ありがとうございます」
「しかし、あのエリアスがな」
「……陛下」
「分かった、もう言わん」
そう言いながら、国王はまだ少し笑っていた。




