第101話 寝ている間にいろいろバレていました
「日和、聞こえる?」
ミレイユが呼びかけても返事はない。寝台に横たわる日和の額に手を当て、それから首筋にも触れる。
「熱はなさそうね」
「さっきより顔色は戻った」
傍らに立っていたガルドが答える。
店で突然倒れた日和を受け止めたのはガルドだった。呼びかけても目を覚まさず、ひとまず店の奥へ運んでから、近くにいた者に頼んでミレイユを呼びに行かせた。
「倒れる前は?」
「普通だった。仕込みして、俺と話してた」
「何か変わったことは?」
「……いや」
「ちゃんと思い出して」
「思い出してる」
「じゃあ役に立つこと言って」
「お前、呼ばれて来た側のくせに偉そうだな」
「心配してるのよ」
それを言われると、ガルドも黙るしかない。
ミレイユはもう一度、日和の顔を見る。呼吸は落ち着いていて苦しそうな様子もない。ただ、いくら呼びかけても目を覚まさない。
「医者を呼びましょう」
「ああ」
ガルドは短く答えたあと、何かを考えるように黙り込み、やがて立ち上がった。
「俺は屋敷へ行ってくる」
「屋敷?」
「侯爵様のところだ」
ミレイユが振り返る。
「なんで侯爵様?」
「日和が倒れたって知らせてくる」
「だから、なんで?」
「……世話になってただろ、こいつ」
それはミレイユも聞いたことがある。日和は以前、レーヴェン侯爵家に世話になっていたらしい。詳しい事情までは知らないが、その縁で今も交流があることは知っていた。
それでも、わざわざ侯爵本人に知らせに行くほどだろうか。
「まあいいわ。行ってきなさい」
「お前は?」
「私が見てる。早く行って」
「分かった」
ガルドが店を出ていく。ミレイユはその背中を見送ってから、日和の額の布を取り替えた。
「ほんと、心配かけるんだから」
もちろん、返事はなかった。
*
しばらくして、店の扉が開いた。
戻ってきたガルドの後ろには、きっちりと整えられた身なりの男が立っていた。穏やかな表情をしているが、店へ入るなり真っすぐ奥へ向かってくる。
「日和様は?」
「こっちだ」
ガルドに案内され、男は寝台のそばまで来ると眠ったままの日和を見下ろした。その表情がわずかに曇る。
「まだ、お目覚めにはなっておられないのですね」
「ええ」
ミレイユが答え、それから男を見る。
「あなたは?」
「申し遅れました。オスカーと申します。レーヴェン侯爵家に仕えております」
「ああ」
名前は聞いたことがある。侯爵家を取り仕切っている人物だ。
「侯爵様は?」
「旦那様は現在、屋敷を留守にしております」
ガルドが眉を寄せる。
「いつ戻る?」
「まだ何とも申し上げられません」
オスカーはそれだけ答えると、再び日和へ視線を落とした。
「日和様は、こちらでお休みになっているのですか?」
「そうよ。店で倒れたから、とりあえず奥に運んだの」
「承知いたしました。では、屋敷へお連れいたします」
「……え?」
ミレイユは思わず聞き返した。
「日和を?」
「はい。医師も屋敷へ呼びましょう。そのほうが安心です」
「いや、でも……そこまでしてもらっていいの?」
オスカーが不思議そうに瞬きをする。
「もちろんです。日和様のお部屋も、そのままにしておりますので」
「部屋?」
「以前お使いになっていたお部屋です」
日和が侯爵家に世話になっていたことは知っている。だが、もうここで暮らし始めて随分経つというのに、部屋がまだ残されているらしい。
ミレイユはガルドを見るが、ガルドは何も言わない。
怪しい。非常に怪しい。
「……ずいぶん大事にされてるのね」
何気なく言ったつもりだったが、オスカーはごく自然に頷いた。
「旦那様にとって、大切な方ですので」
「え?」
ミレイユが固まる。
オスカーは特に変なことを言ったつもりもないらしく、日和の上着を整えていた。
「ちょっと待って。侯爵様にとって?」
「はい」
「日和が?」
「はい」
ミレイユの頭の中で、いくつかの記憶がつながり始める。
日和が時折話していた男。無愛想で、言葉が足りなくて、何を考えているのか分かりにくい。顔が怖いのに、本当は優しい。
そして最近になって、日和自身がようやく認めた好きな人。
ミレイユはゆっくりガルドを見る。
「……ガルド」
「なんだ」
「あんた、日和の好きな人知ってる?」
ガルドの視線が、ほんの少しだけ泳いだ。長い付き合いのミレイユには、それだけで十分だった。
「知ってるのね」
「……まあ」
ミレイユは眠っている日和を見て、それからオスカーを見る。
「まさか、日和が言ってた顔が怖い人って……侯爵様?」
オスカーが瞬きをした。
「日和様は旦那様をそのように?」
「あ」
そこまで言うつもりではなかった。
けれど、オスカーの口元がわずかに緩む。
「なるほど」
その反応で十分だった。
「……本当に侯爵様なのね」
ガルドは何も言わず、オスカーも否定しない。日和だけが何も知らずに眠っている。
「日和もすごいところにいったわね……」
まさか、あの「顔が怖い人」がこの北部を治める侯爵本人だったとは。
「では、日和様をお預かりいたします」
「ええ、お願い。目を覚ましたら、心配したって言っておいて」
「承知いたしました」
オスカーは眠ったままの日和を慎重に抱き上げる。その扱いまで妙に丁寧で、ミレイユはますます確信した。
日和が思っている以上に、侯爵家で大事にされている。いや、侯爵本人から大事にされているのだろう。
オスカーが日和を連れて店を出ていき、扉が閉まる。
しばらく、店の中は静かだった。
「……なるほどねえ」
ミレイユは腕を組み、ガルドを見る。
「顔が怖い人が侯爵様だったとはね」
「本人の前で言うなよ」
「言わないわよ」
日和もなかなか大変な相手を好きになったものだ。
そう思ったところで、もう1人の顔が浮かんだ。
栗色の髪に淡い緑色の瞳。最近、日和のそばにいることが多い隣人。
「でも、そうなるとエリオは失恋ね」
ガルドが鼻を鳴らした。
「失恋も何も、同じ奴だろ」
「……」
沈黙が落ちた。
ガルドの顔が止まり、ミレイユも止まる。
ゆっくりと、ミレイユがガルドを見る。
「……今、なんて言った?」
「……」
「ガルド」
「忘れろ」
「無理よ」
「聞かなかったことにしろ」
「もっと無理」
ガルドが露骨に顔をしかめる。
「同じって、何が?」
「……」
「まさか」
答えはない。けれど、その顔を見れば十分だった。
「エリオが……侯爵様?」
ガルドは深いため息をついた。
「俺が言ったって言うなよ」
ミレイユはしばらく何も言えなかった。
顔が怖い人。侯爵様。隣の兄ちゃん。エリオ。
全部、同じ男。
そしてガルドは、それを知っていた。
「……ガルド」
「なんだ」
「あんた、あとで話があるから」
「なんで俺なんだよ」
日和が目を覚ましたら、そちらにも話がある。
どうやら今日は、知らないことが多すぎたらしい。




