第7話:波乱の学園生活と『凡人』への偽装
レモン彗星の一件から数日。 わしは王立魔法学園の教室の自分の席で、そっと息を吐き出していた。
「よしよし。今日の魔法都市周辺の気圧も極めて安定しておるな。わしの魔力は完璧に抑え込めておる証拠じゃ」
わしは机の下で、こっそりと懐中時計型の気圧計を眺めて頷いた。 あの日、指先一つで彗星を粉砕してしまったことは、「いやー、偶然流れ星が勝手に割れましたな! ハッハッハ!」という強引極まりない言い訳で誤魔化した。 学園の教師陣も「そ、そうですね。人間の魔力であんな天体をどうにかできるはずがありませんし……」と、無理やり自分たちを納得させてくれたようだ。
(ふふふ、これでようやく、念願の平穏な学園生活のスタートじゃ!)
わしが目指すのは、目立たない『普通のモブ生徒』。 適度に授業を受け、放課後は気のいい悪友と「今日のテストだるかったなー」などと愚痴を言い合い、可愛い女の子を遠くから眺めて青春を謳歌するのだ。
わしは意を決して、隣の席に座っている男子生徒に、極めて自然な笑顔で話しかけた。
「やあ、おはよう! 今日もいい天気じゃ……いや、いい天気だな。一時間目の魔法史の課題、もう終わらせたかい?」
完璧な、モブ男子同士の爽やかな朝の挨拶である。 これで彼も「おお、シゲオ。お前もやってないのかよー」と笑って返してくれるはずだ。
しかし。
「ひっ……! ヒィィッ!!」 「ん?」 「お、おおおおはようございます、シゲオ様ぁっ! か、課題は完璧に終わらせております! もしシゲオ様が御手付かずでしたら、私のノートを、いえ、私の命ごとどうかお使いくださいませぇっ!!」
男子生徒はガタッ!と椅子から立ち上がり、わしに向かって直角に頭を下げた。全身から滝のような冷や汗を流し、小鹿のように震えている。
「い、いや、命まではいらんのじゃが……」
わしが困惑して手を伸ばそうとした、その時だった。
「ちょっと、そこのアナタ!!」
教室のドアをバンッ!と蹴り開け、金髪ツインテールの少女――リナが猛烈な勢いで踏み込んできた。 学年首席の彼女は、わしの隣の男子生徒を鋭く睨みつける。
「マスターの! 神聖なる朝の御挨拶を至近距離で浴びるなんて、貴方ごとき凡人が許されると思っているの!? その尊いお言葉は、学園の歴史の教科書に一言一句違わず刻まれるべきものよ! すぐに記録石に音声をバックアップして提出しなさい!」 「ひぃぃぃっ! リ、リナ様、申し訳ありませんっ!」 「そしてマスター! 今日の御機嫌はいかがですか!? 私、マスターの歩幅と呼吸のペースに合わせて、最適な魔力動線を確保いたしましたわ!」
リナはわしの前に来るなり、オタク特有の早口でまくしたてながら、尊敬の念に満ちたキラキラとした瞳を向けてくる。すっかり『崇拝者』の顔になってしまっている。
(ちがう! わしは「シゲオ君、おはよっ」ていう、同級生らしい初々しい挨拶が欲しいんじゃ!)
わしは頭を抱えそうになった。 リナのせいで、クラス中の生徒がわしを「触れてはいけない絶対的支配者(あるいはヤバい奴)」を見るような目で遠巻きにしているではないか。
「……リナ。シゲオ様の御前で騒々しいぞ」
さらにそこへ、追い打ちをかけるような冷たい声が響いた。 教室の入り口。腕を組み、壁に寄りかかっているのは、褐色の肌にビキニアーマーという圧倒的に目立つ出立ちの戦姫、アリアだ。
「シゲオ様の清らかな視界に、不敬な輩の姿を入れるわけにはいかん。私が廊下と教室の入り口を警備し、近づく羽虫はすべて微塵切りにしてくれる」
アリアはギロリと教室の生徒たちを睨み回し、腰の剣の柄に手をかけた。 凄まじい殺気が教室中に充満し、何人かの生徒が泡を吹いて気絶しそうになっている。
「ア、アリアちゃん! 教室の入り口で剣を抜こうとするのはやめなさい! みんな怖がっておるじゃないか!」 「ハッ! 申し訳ございません、シゲオ様! 私としたことが、神の学び舎を血で汚すところでした……! この失態、腹を切ってお詫びを……っ!」 「切らんでいい! お願いじゃから普通に席に座ってくれぇっ!」
わしの必死の懇願(生徒たちには『絶対王者の寛大な裁定』に見えているらしい)により、なんとかその場の流血沙汰は避けられた。
しかし、状況は絶望的だった。 廊下には殺気を放つビキニアーマーの護衛。 隣には一挙手一投足を記録しようとする早口の天才魔法少女。 クラスメイトたちはわしと目が合うだけで土下座する始末。
「……わしの青春、ハードモードすぎんか?」
わしは誰も聞いていない教室の片隅で、一人ぽつりと呟いた。 普通の友達を作るというささやかな夢は、彼女たちの過剰すぎる忖度と狂信によって、見事に粉砕されてしまったのである。




