風に吹かれる祭囃子
陽炎のようにゆらめいた風が、茂みをざわめかせながら吹き抜ける。
風はやがて、村へと続く一本の道を作り出した。
「まさか……あんたは旅人かい?」
ルクノウが村に入ると、片手で酒樽を軽々と担いだ、陽気でたくましい女性に声をかけられた。
「はい。ここは……」
「さあ、お前たち! 旅のお方だよ!」
女性はルクノウの返事を遮り、後ろを向いて大きな声で誰かへ呼びかける。
「待ってました!」
「今夜は宴ね!」
あっという間に、ルクノウの周りは、どこからか集まってきた老若男女で埋め尽くされた。
「さあさあ、忙しくなるよ!」
「え、あの……」
ルクノウは、何が起きているのか理解が追いついていないまま、村人に押し流されるように、村長の屋敷へと招かれたのだった。
「よくぞいらっしゃいました……旅のお方。私はこの“フウライ村”で長を勤めております。ウジシャと申します」
わずかに曲がった腰を支えるために、杖をつきながらゆっくりとした足取りで、ルクノウの向かいへと腰掛ける。
「僕はルクノウといいます。それで……この騒ぎようは一体?」
屋敷から見える範囲をとっても、大々的な宴となる活気付きようだった。
「……ルクノウ殿、この村にはいつからか、“旅人が来ると宴を行う”という慣わしがあるのです。どうか、宴にご参加いただけませんか?」
村長ともあろう人物が、自身へ低姿勢でお願いをする。
ルクノウにとっては、それだけで断れない要因となる。
「……わかりました。せっかくですので、参加させていただきます」
「それはよかった……村の者も喜びます。宴まではどうぞ御寛ぎください」
「……おばあ様、もう終わりましたか?」
幼い少年が、輝かせた目を扉で隠すように、こちらの様子を覗いていた。
「おお、ネイユ。この子は私の孫なのですが、なにぶん旅のお方を見るのが初めてでして」
ルクノウはそっと屈み、ネイユに挨拶をかわす。
「旅人さんなの?」
「ああ、そうだよ」
ネイユの表情がぱあっと明るくなる。
その様子を見ていたウジシャは、しばし目を細めた後、ほんのわずかに視線を落とし、ゆっくりと微笑んだ。
「ではルクノウ殿、しばしの間、お待ちいただけますかな? ネイユ、離れの方へ案内頼めるかい?」
「うん! お兄ちゃん、こっちだよ!」
ルクノウは“兄”という響きに笑みが溢れそうになりなる。
しかし、小っ恥ずかしさが拭えなかったため、ルクノウと呼んでほしいと伝えながら、走るネイユの後を追った。
「おばあ様がね、外には絵本の中のような世界がいっぱい広がっているって教えてくれたんだ」
「ネイユはよく絵本を読むの?」
「冒険をするお話だよ! 大きな滝があったり、華やかな街があったり、空を飛ぶ生き物がいたり!」
先ほどまでは扉に隠していたネイユの目元は、キラキラと輝いていた。
「でね、でね、僕も大きくなったら、冒険に出てみたいなって思ってるんだ! ルクノウみたいに!」
「きっといい旅になるよ。僕は旅に出てまだ日は浅いけど、村の外の世界を見て触れて、それだけでも旅に出て良かったなって思っているから」
「……かっこいいなあ」
「いやあ、そんなことないよ」
普段向けられることのない眼差しに、ルクノウは少し照れてしまう。
ネイユから冒険の物語を聞いているうちに、宴が始まる時間になった。
村をあげての宴は、夜通し盛大に執り行われた。豪勢な料理が振る舞われ、子供たちの笑い声が宴を色付ける。
大人たちはルクノウを差し置いて、呑めや歌えやと騒いでいる。
「みんな呑みたかっただけじゃ……」
「すまないね、気にしないで好きなだけ食べとくれ」
今朝の女性が料理を運びにやってきた。
どうやら、この女性は酒場の店主らしい。
「いえ、この料理とっても美味しいです。ありがとうございます」
「まあ、しっかりとした子だね。ぜひうちに来て欲しいくらいだよ」
「そいつはやめときな、旅のお方!」
「そうだそうだ、尻に敷かれちまう!」
「顔がいいからって騙されんなよ!」
各方向からヤジが飛んでくる。
「こら! そんなこと言う奴らは酒没収だよ! まったく……」
賑やかな大人たちの雰囲気が、カノン村と少し重なる。
「人生は一期一会だからね、今を楽しみなよ」
そう言い残して、酒場の店主は村人たちの方へと歩いて行った。
「一期一会か……」
「ルクノウ殿、楽しんでいただけていますかな?」
ウジシャが隣に腰かける。
「とても楽しませていただいていますよ。皆さんも良くしてくださいますし」
「それは良かった。今日が忘れられないほど楽しんでください」
「はい。是非そうさせていただきます」
広場は「宴はまだ始まったばかり」と言いたげな盛り上がりに包まれる。
酒はまだ飲めないが、夢見心地なまま、宴は日が昇るまで続いた。
「ん……」
ルクノウが目を覚ます。
どうやら宴の最中に広場で寝てしまっていたらしい。
昨日の宴が夢だったかのように、広場は静かで、そこに村人たちの姿はなく、閑散としていた。
だが、ほんのり残る焚火の匂いが昨夜の騒ぎの名残を感じさせる。
「片付けに気づかないなんて……よっぽどだな」
ルクノウは、すっかり気が抜けてしまっていた自分を少し情けなく思った。
「起きられましたかな……旅のお方」
「……村長さん。おはようございます」
「気持ちよさそうに眠られていたので、起こすのは悪いと思いまして。こんな場所で朝を迎えられて、旅に差し支えはありませんかな?」
「いえ、ありがとうございます。おかげさまで大丈夫ですし、そろそろここを出ようかと」
早朝の冷たい風に吹かれる。
「それで……あの……」
ルクノウはまだ寝ぼけていて、言葉が出てこないようだった。
「……ああ、孫達はまだ寝ておりますので、私だけで見送らせていただきます」
「そうですか。皆さんによろしくお伝えください」
「……昨日のことは、決して忘れないでくださいね」
「えっ?」
「いえいえ、老人の独り言です。どうぞ、道中お気をつけて」
深くお辞儀をする村長に別れを告げる。
ルクノウにとって、昨日の宴が相当楽しかったのか、まだ夢見心地のままだった。
「珍しく濃い霧だな」
少し歩みを進めると、あたりは濃い霧に阻まれ、たちまち見通しが悪くなる。
ふと、何を思ったのかルクノウは足を止める。
振り返っても、村はもう見えなくなっていた。
あれほど賑やかだった宴も、風の中に溶けていくように感じた。
「……また、会えるかな」
誰にともなく呟いた言葉が、冷たい風に乗って空へと消えていった。
それからしばらく歩き進めたものの、相変わらず霧は濃く、景色も変わらない。
ルクノウは、何度も同じ場所でぐるぐると回っている気分に陥っていた。
「もしかして……迷ったのか?」
『やっと気づきおったか』
「ファウステルさん……」
ファウステルは道端の大きな岩に腰掛け、こちらを向いていた。
(……こんな風に現れることもあるのか)
『どうしたんじゃ。そなたも薄々気づいておるのじゃろ?』
「……その……昨日のことを断片的にしか思い出せなくて」
『断片的にとな?』
「はい、宴のことは覚えているのですが、村でのことが少し曖昧で……これも何かの“綻び”なのでしょうか?」
『……そなたはどう思うのじゃ? わしは導き手であって、答えを知る者ではないぞ?』
「そう言われましても……」
『ふぉっふぉっふぉっ。思うままに進めばよいのじゃ。自ずと道は見えてくるわい』
「思うまま……か」
あの村の違和感。
ルクノウは何かを忘れているように思えた。
(今思えば、村を立つ時の村長さんの様子も少し変だったな….…)
『何か思い出したかの?』
「別れ際に、“昨日のことを忘れないように”と村長さんに言われまして……」
『ほう……“村長”に、のお』
「……?」
『まあ、及第点じゃな』
ファウステルは、こちらに微笑みかけながら髭を撫でる。
「忘れてしまうこととあの村には、どういった関係があるのですか?」
『そうじゃな、どこから話すべきか……あの村には、風の精霊との契約がなされておってな』
「風の精霊……」
『今からずっと昔、精霊と契約を交わすことがそう珍しくない時代の話じゃ』
ことの顛末はこうだった。
風の精霊との契約により、村は守護を長年得ていたが、やがて大災害に見舞われる。
若き日の村長は、書に記された契約を用い、“自身の戒め”と引き換えに再び精霊へ祈った。
災厄は収まり村は救われたが、その代償として風は“忘却”となり外界と村を隔てた。
こうして村は守られながらも、存在ごと世界から薄れていくことになった。
「そんな……でも、僕は村に入れましたし、村のことをまだ覚えていますよ?」
『そなたは、“招き入れられた”のじゃよ。それに、全てを忘れてはいなくとも、記憶の断片を持っているに過ぎない。じゃが、その断片があれば、またあの村に行くことはできよう』
「たしかに……風で道が開けた先に、あの村がありました。でもなぜそんなことが?」
『それは、精霊に“直接”聞く方が早いじゃろう』
「え? 精霊ですか? でも会話はできないって……」
『そなたなら、言葉を聞き届けることができるやもしれぬ』
「それも……“選ばれし者”の力なのでしょうか」
『“選ばれし者”……というよりは、“そなただから”というべきかの』
「僕……だから?」
『まあ、いずれ分かることじゃ。少し長居しすぎたわい。風がまたそなたを村へと導いてくれるじゃろう』
森のざわめきとともに、ふっと、ファウステルは姿を消した。
ルクノウを包むように濃く立ち込めていたはずの霧は、さっぱりと無くなり、空は晴れ渡っていた。
「風が導いてくれる。か……」
風の吹く方へと歩みを進めていると、風が陽炎のように揺らめき、草木をざわめかせながら吹き抜けて、道を作り出した。
(本当に導かれるとは……)
ルクノウは、再び村へと招かれたのだ。
「まさか……あんたは旅人かい?」
あの日と同じく、ルクノウは酒場の店主に声をかけられる。
「はい。お久しぶりです」
「ん? 久しぶりだなんて……変な子だね。まあ気を取り直して、お前たち……」
「すまないね……私の客人なんだ」
今にも叫び出しそうな店主を、村長――ウジシャが遮った。
そこでルクノウはハッとする。
(どうして今まで名前を忘れていたんだろう)
「あら残念。村長に客人なんて珍しいね」
そう言いながら、両脇に酒樽を軽々と抱え、店主は店へと戻っていった。
「……ルクノウ殿。聞きたいことがおありでしょうが、まずは我が家へお越しいただけますか?」
ウジシャは席へ着くなり、話し始めた。
「……ルクノウ殿は、精霊を見たことがありますかな?」
「……いえ、実際に精霊を目にしたことはありません」
「姿は見えなくとも、声を聞くことができるのでは?」
ウジシャの語気が少し力強くなったのを感じた。それに加え、何かを急かすような口ぶりだった。
「……なぜそのようなことを聞くのですか?」
ルクノウからの問いに、ウジシャは視線を落として、こう答えた。
「“カノンの使者より導きが在らんことを”」
まるで、何かを唱えているかのようだった。
「この村に古くから伝わる書物に記された一文です。ルクノウ殿は、この村と精霊との誓いに気づいているのではありませんか? 私に課された“戒め”のことも……」
ウジシャは懺悔をするかのように視線を落として、目を伏せていた。
ルクノウは返答に困り、二人の間に沈黙が流れる。
ウジシャはしばらく俯いたままでいて、ルクノウからの答えを待っているかに思えた。
しかし、現状を把握することに遅れを取った原因は、そこにあった。
これはただの沈黙ではなく、祖先たちが現れる前の静寂とも異なる異質な空間。
ウジシャは答えを待っていたのではなかった。
――時が静止していたのだ。
[選ばれし者よ、我らの導きに耳を傾けよ]
声ではない、光に照らされるよう脳内に浮かび上がる文字のような何か。
(カノン村のあの石碑みたいだ……)
[違えた約束などない。一体誰が咎めようものか]
「……あなたはいったい?」
ルクノウの問いかけに答えはなかった。
一方的だが、自身に語りかけるような言葉にルクノウは耳を傾けるほかなかった。
[刹那の契約は、人間には重すぎたのだ。我々は、新たな風が吹くことを願う]
暖かい風が吹き抜ける。
ルクノウは、声の主が去ったように感じた。
(今の声は……)
ルクノウがふと我に返ると、ウジシャが落とした視線を上げていることに気づいた。
今度こそ、答えを待つ姿勢をとっていたのだ。
「僕は、精霊に導かれてここへ来たようです」
「やはり……そうでしたか」
求めていた答えだったのだろうか。
ウジシャの顔には安堵の色が窺えた。
「精霊と直接的な会話をしたわけではありませんが……新たな風が吹くことを願っているようです」
「しかし、“新しい風”となると、我々はどうすれば……」
「そのことなんですが、先ほども話に出た、古い書物と何か関係はないのでしょうか?」
「古い書物……なるほど、少々お待ちください」
ウジシャは何か考え事をした後、思い立ったように席を外した。
ウジシャは書物を片手に戻ってきた。
それと、幼い少年を一人連れて。
「ネイユ……」
ウジシャは、ルクノウの口から出た名前に、驚いている様子だった。
無理もない。
“戒め”によって何度も忘れ去られるところを見てきたのだろう。
「お兄ちゃんは、ぼくのこと知っているの?」
「ああ。君は冒険が好きなのだろう?」
「冒険!」
ネイユがぱあっと笑う。
「しかしどうして、ネイユを覚えておられるのですか?」
「これも精霊の導きなのかもしれません」
「なるほど……私がネイユを連れてきたのは他でもありません。新たな風に吹かれる象徴は、私ではなく、ネイユにこそ相応しい」
「ネイユはそれでいいの?」
「うん! ぼくはおばあ様が悲しまないように、セイレイさんにお願いするの!」
「……それはネイユにしかできないことだ」
「でしょ?」
得意げに笑う幼い少年は、この村の新たな希望になるのだろう。
ウジシャがネイユに書物を渡すと、強くも心地の良い風が吹き抜けた。
書物は呼びかけの道具でしかないのだろう。
本来、契約の正しい手順などはなく、正き心こそ、風に守られるべき象徴であると、ルクノウにはそう思えた。
「あれ? なんでルクノウがここにいるの?」
先程まで得意げだったネイユの顔が、不思議そうにルクノウを見つめる。
「また宴をしにきたの?」
「……それはいい! ネイユ、村のみんなに宴を……いや、“祭り”をすると言ってきておくれ」
ウジシャが何かを閃いたように明るく話す。
「ルクノウ殿。偶然か何かの巡り合わせか。今日は風の精霊を祀る祭りの日なのです。もう数世代に渡って廃れていましたが、感謝を忘れぬため、年に一度、この日に祭りを開くことにします」
「それは大賛成です。ぜひ、参加させてください。手伝いに行こうか、ネイユ」
「うん!」
日が暮れ、祭りが始まる。
先日の宴とはまた違った様相で、祭囃子が鳴り響く。
(もう誰も、忘れなくて済むんだな)
そんなことを考えていると、ルクノウは思わず笑みが溢れる。
「おや? なんだか嬉しそうだね。そんなに祭りが楽しいかい?」
酒屋の店主がルクノウに声をかける。
「すごく楽しいです」
「そうかいそうかい。それじゃあもっと料理を作らなきゃならないね」
店主は腕を捲りながら、店の方へと下がっていった。
「ルクノウ!」
ウジシャを連れたネイユが、ルクノウへと駆け寄る。
「ルクノウ殿。此度はどうもありがとうございました。あなたが居たから、今のこの村があるのです」
「いえ、そんな。僕は大したことをしていませんよ」
ルクノウの目に映る祭りは、熱を帯びつつも和やかな空気に包まれていた。
一期一会とは言わず、ずっと覚えていたくなる。
そんな夜だった。




