黄昏の鐘が咲く
「こんなところに……人里?」
旅立ちから数日経った頃、ルクノウの目線の先には、カノン村の半分ほどの大きさをした集落があった。
ルクノウ自身、もうしばらくは野営が続くものと思ったいたので、ここで一泊できないものかと期待が高まる。
よく目を凝らすと、住居の前に置いてある桶には水が張られており、一方の竈は火の気配すら感じる。
が、人影は一向に見当たらない。
ルクノウが数回呼びかけたものの――反応がない。
「やっぱり今日も野宿かな……」
集落の中をとぼとぼと歩き回っていると、櫓に掲げられている、一つの大きな影が見えた。
――ルクノウの背丈ほど大きな“鐘”だった。
「うわあ…」
思わず声が漏れる。
先ほど目にした住居とは異なり、鐘に手入れがなされた様子はなく、所々に変色と錆が見受けられた。
鐘につながっている縄は、ルクノウの両腕を合わせたほど太く、手を伸ばせばなんとか届く位置にあるが、縄先には切り裂かれたような跡が残っており、差し伸べようとした手をルクノウは一度引っ込める。
(今は使われていないのかな……)
ルクノウの願いも虚しく、野営をするための場所を探すことにすると、ちょうど集落を見渡せる位置に小高い丘があったので、そこで腰を下ろす。
村から持参した干し肉と、薬草のスープを食したのち、焚き火を眺めて物思いにふける。
今は手入れされていないとはいえ、この集落には立派な鐘があった。
しかし、カノン村から歩いて数日のこの場所に、そのようなものがあるなどといった話を一度も聞いたことがなかったため、ルクノウにとっては少し気掛かりであった。
焚き火はパチパチと音を立てて、ルクノウを暖かく照らす。
火の揺らぎを目で追っていると――突然ピタリとそれらが静止する。
風の音が途絶え、森全体が息を潜めたかのように静まり返る。
(この感じ……)
ルクノウは、身を包むこの違和感に覚えがあった。
――ファウステルと会話をした、あの日の空気だ。
先ほどまで止まっていた火が勢いを増し、次第に青い業火へと姿を変える。
森は静まり返ったままで。
やがて、業火の一部が切り取られたかのように宙を舞う。
不可思議に浮くそれに、周囲は飲み込まれて時空が歪み始める。
歪みは次第に大きくなり、そこから人影が覗く。
姿を現したのは、青いローブに身を包む二人。
ファウステルと、琥珀色の髪がローブの隙間から靡くルクノウより僅かに幼い少女――オルガであった。
『久しいのう。選ばれし者よ』
『格好つけちゃって……素直にルクノウって呼べばいいのに』
「お久しぶりです」
ルクノウは旅立ちの後、ファウステルら“導き手”と見えたのだが、それはまた別の話である。
『せっかくの私たちの登場なのに、驚きもしないなんて、可愛げのない子孫だこと!』
オルガは宙に浮いてしまいそうなほどに、大きく口を膨らませる。
『まあまあ、良いではないか。こうしてワシらの“導き”に応えてくれているんじゃから』
ファウステルは、オルガに微笑みながら諭す。
「導き……ですか?」
『ルーちゃんの前に現れるには、ルーちゃん自身の呼びかけがないとダメなのよ』
「僕は今、焚き火を眺めていただけで……」
『導きの声を必要とする時、扉は開かれるのじゃよ』
『そうよそうよ! しっかりと私たちが導いてあげるから安心しなさい!』
「でも、今は本当に困っていないですよ?」
『ほんっと、可愛げのない子ね。誰に似たのかしら?』
『ワシらの誰かじゃな』
ファウステルは癖のように髭を撫でる。
『って! 今はそんなことを悠長に話している時間はないの!』
「喧嘩しないでくださいよ……」
祖先たちの勢いに押されるがまま、ルクノウは二人から“とある昔話”を聞くことになった。
かつてこの地には立派な村があった。
“夕鐘の村”と呼ばれ、その名の通り、夕暮れ時になると美しい鐘の音色を響かせていた。
鐘の音は、村に終業の合図を告げ、人々は一日の営みを終えて明日に備える。
(それで誰も村にいなかった……のか?)
「ですがこの村の鐘は、とても使えるようには見えませんでしたけど……」
『そうねえ。今はもう使われていないわ』
『鐘が使われなくなった“きっかけ”があるのじゃよ。“あれら”は悪意もなく、突如として村人たちの営みを奪い始めたんじゃ』
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「そんな迷信、いつまで信じ続けるつもりなんだ!」
“夕鐘の村”の会合に、一人の若者の声が響き渡る。
「あの鐘が俺たちを何かから守っているなんて、ただの幻想にすがってるだけだ! あんな耳障りな鐘はいっそのこと取り壊してしまえばいい!」
声を荒げる一人の若者――新たな村長は、改革を望んでいた。
そんな村長の言葉に、会合に参加した者たちは当然のことながら、ただ困惑していた。
「村長……あの鐘は、ご先祖様の代から続く大切な儀式でございます。毎日響くあの鐘の美しい音色が、村の平穏を保ってきたのです。どうか……どうかあの鐘だけは取り壊してはなりません。必ず後世へと守り継がねばならぬのです」
「その平穏が、どれほどの実りをもたらした? 俺は変えたいんだ、この村を。もっと確かな利を求めるべきだ。古いしきたりに頼らずとも、この村はやっていける」
確かな信念を持った言葉は、会合に参加したものの心を突き動かす。
これがただの若者のわがままであれば、この村の行く末は変わっていただろう。
そう――それがすべての始まりであった。
正しさを求めた長老たちは、最後まで首を縦に振ることはなかったが、民意はそうではなかった。
結果として、鐘が櫓から降ろされることになったのだ。
鐘のある鐘楼は立ち入りを禁じられ、万一にも鐘を鳴らすことのないよう、縄は断たれた。
村を、静かな異変が襲い始める。
最初のうちは、些細なことであったが、徐々に雲行きが怪しくなる。
井戸の水が妙にぬるく、味が変わったという声が上がった。
家畜が次々に病を患い、収穫も次第に減っていった。
子どもたちが咳をこじらせ、何人かは言葉を発さなくなった。
「夕鐘を鳴らさなくなってから、何かが狂いはじめた」
と、次第に若者の間でも囁かれるようになった。
「こんなことは偶然だ! お前たちが怯えるから、そう見えるだけだ!」
若き村長は聞く耳を持たない――否、もう後戻りはできなかった。
かくいう彼自身も、夜になると胸が苦しくなり、眠れない日々が続いた。
しかし、彼が誤ちを認めるには、失ったものがあまりにも多すぎたのだ。
そうして村は少しずつ、かつ確実に、干からびていった。
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「鐘を鳴らさないだけで、村は衰退したんですか?」
ことの顛末を聞いたルクノウは、一つの疑問を口にする。
『その鐘が、どれだけの“力を”持っていたと思う?』
オルガは小さな腕で力こぶを作りながら問いかける。
「力……」
『夕鐘の村にはね、昔から、“精霊”との間にとある契りが交わされていたのよ』
「え……精霊なんて、御伽話の中だけじゃないんですか?」
『今はもう、ただの御伽話ね』
そう、“今”は。
『鐘の音がならないことで、精霊との日々を収めることができない。つまり、“精霊との生命のやり取りを終えられない”ということじゃ』
『ルーちゃんなら、もうわかるでしょ?』
「……それって、終わらなかった分だけ、奪われ続けるってことですか?」
『そう。それがこの村を襲った力であり、交わされた契りだったのよ』
『精霊が生命力を得ることに制限はなく、それらの悪意なき力は不治の病と化したのじゃ』
「では、もうこの村の人たちは……」
『とっくの昔に滅んでいるわ』
オルガは淡々と答える。
「そんな……」
『……ところで、ルーちゃんは明日何をするつもりだったの?』
「今日は出払っているようでしたので、また出直して話を伺おうかと……」
オルガへ返答したルクノウは、自身の言葉の矛盾に気づく。
「あれ? でももうこの村はとっくに滅んでいるんですよね?」
『そうね……でも貴方には人の気配がしたのよね』
オルガの声色が、ルクノウには不思議と大人びて聞こえた。
「どうして……」
『これが“綻び”よ』
「綻び……」
『貴方にはその綻びを感じ取る力があるわ。力をどう使うかは貴方次第。きっと答えは……貴方の中に』
ファウステルとオルガが顔を見合わせ、優しい目をしてルクノウを見つめる。
『導く者としての助言は以上じゃ。近いうちにまた会えるじゃろう』
「……僕、頑張ってみます」
ルクノウは戸惑いよりも、自身に課された使命を不思議と受け入れていた。
『ルーちゃんならできるわ! またね!』
火の粉がバチッと音を立て、時が再び動き出す。
ルクノウは少し考え、明日もう一度村を訪れることにした。
朝になると、昨日感じた違和感がいっそう増していた。
(これは……一体……)
“人の気配がする”という以前の問題だった。、
洗濯物が風になびき、そこかしこから香ばしい煙が立ち、食事の匂いが漂う。
歪な光景が広がる中、依然として人影は見当たらない。
(急がないと……)
何故か“このままではいけない”という思いに駆られた。
そう直感が告げていたのだ。
これも“選ばれし者”としての力なのだろうか。
ルクノウは頭で考えるよりも先に、昨日見た鐘のある場所へと足を運んでいた。
「え……」
またしてもルクノウは、目を疑う光景を見る。
掲げられた鐘が――黄金の輝きを放っていた。
そして、縄のほつれが嘘だったかのように、凛々しく伸びていた。
「「私が間違っていたのだ……すまなかった……」」
こだまするように、どこからともなく声が聞こえた。
「「私が間違っていたのだ。若さと自信に酔い、改革こそが正しいと信じて疑わなかった。すまなかった。村を、皆を、守れなかった」」
姿は見えず、声だけが、風に乗って耳元へ届く。
(改革……もしかして……)
ルクノウは、昨日、ファウステルから聞いた話を思い出していた。
「もしかして、あなたは“夕鐘の村”の村長さん……ですか?」
空へと問いかけるが、返事はない。
「「願わくば、また皆で安寧の地を築き上げたい……」」
――これは独白だ。
語りかけているのではない。
ルクノウにはそう思えてならなかった。
「その願いは、きっと届くはずです」
この地に縛られていたのは、なにも村長一人だけではない。
結果はどうあれ、多くの村人が、若き村長に希望を見出して共に歩んできたはずだ。
そして、これからも。
(今、僕にできることは……)
ルクノウは、迷わずに縄へと手を伸ばす。
両手で掴んだ縄を力一杯に大きく振った。
――それは“夕鐘”に相応しく、綺麗で荘厳な音色を奏でる。
村が黄昏に包まれる。
光の粒が、黄金に輝く鐘をいっそう暖かく照らす。
触れることのできない光の粒は、ルクノウの背中を押すように通り抜け、宙へと舞っていった。
どこまでも高く登る光を、ルクノウは目で追っていた。
「「……ありがとう」」
感謝を告げる声がした。
ルクノウには、願いの叶った者の声にも聞こえた。
「どうか、安らかに眠れますように」
手を胸に当てて俯き、祈るよう目を瞑る。
しばらくしてから顔を上げると、まるで最初から何もなかったかのように、森と野の景色が広がっているだけだった。
だが、すべてが消えたわけではない。
足元に目を落とすと、一輪の花が咲いていた。
純白の花びらを纏い、控えめに俯いている。
それは――鐘の形をしていた。
どこまでも澄んだ空の下、風がやさしくルクノウの頬を撫でていく。
風に靡いた一輪の花からは、ささやかながらも凛とした、祝福の鐘の音が聴こえた。




