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紡宵のエイカシア(ぼうしょうのエイカシア)  作者: 琴欐


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1/9

黄昏の鐘が咲く

 村で得た狩りの知識を頼りに野営を繰り返し、()()()からすでに数日が経過していた。


 乗馬の練習をしておけばよかったと、今更ながらにルクノウは悔やんでいた。


 馬に乗って森を颯爽と駆け抜けることは、さぞかし心地の良いものだろう。などと考えていると、いつの間にか森の開けた場所へと足を踏み入れていた。



「こんなところに……人里?」



 ルクノウの目線の先には、カノン村の半分にも満たない集落があった。


 といっても、集落の全てを視界に収めることは叶わぬほどの大きさではあるが。



 森の日暮は早い。


 そうこうしているうちに辺りが暗くなり始めるため、今日はここで一泊できないものかと期待が高まる。


 住居の前に置いてある桶には水が張られており、一方のかまどは火の気配すら感じる。


 が、人影が一向に見当たらない。



「すいませーん! 誰かいませんかー!」


 ――数回呼びかけたものの、反応がない。


「やっぱり今日も野宿かな……」


 人里の中をとぼとぼと歩き回っていると、やぐらに掲げられている、一つの大きな影が見えた。



 ――ルクノウの背丈ほど大きな“鐘”だった。



「うわあ…」


 思わず声が漏れる。


 先ほど目にした家屋とは異なり、鐘に手入れがなされた様子はなく、所々に変色と錆が見受けられた。


 鐘につながっている縄は、ルクノウの両腕を合わせたほど太く、それはルクノウが手を伸ばせばなんとか届く位置にはあったが、縄先は切り裂かれたような跡が残っており、差し伸べようとした手をルクノウは一度引っ込めた。



「もう……使われていないのかな」




 ルクノウは、鐘がよく見える小高い場所を見つけた。


 願いも虚しく、野営することになったからだ。


 ルクノウは持参した干し肉と薬草のスープで簡単な食事を済ませ、焚き火を眺めて物思いにふける。


 今は手入れされていないとはいえ、この集落には立派な鐘がある。


 設置当時は、それなりに栄えていたのであろうか。


 しかし、カノン村ではそのような話を聞いたことがなかったことが、ルクノウにとっては気掛かりである。

 


 焚き火はパチパチと音を立てて、ルクノウを暖かく照らす。


 火の揺らぎを目で追っていると、突然ピタリと静止した。


 風の音が途絶え、森全体が息を潜めたかのように静まり返る。



「もしかして、この感じは……」



 ルクノウは、身を包むこの違和感に覚えがあった。



 ――ファウステルと会話をした、()()()の空気だ。


 止まっていた火が勢いを増し、次第に青い業火へと姿を変える。


 不思議と熱は感じなかった。


 やがてその一部が切り取られたかのように宙を舞う。

 

 不可思議に浮く炎に、周囲は飲み込まれ、時空が歪んだ。



 歪みは大きくなり、そこから人影が覗く。



『久しいのう。選ばれし者よ』


『格好つけちゃって……素直にルクノウって呼べばいいのに』


 青いローブに身を包む二人は、蓄えた長く白い髭を撫でる男性と、琥珀色の髪が隙間から靡くルクノウより僅かに幼い少女だった。


 ――ファウステルとオルガが姿を現したのである。



「お久しぶりです」


『せっかくのあたちたちの登場なのに、驚きもしないなんて、可愛げのない()()だこと!』


 オルガは宙に浮いてしまいそうなほどに、大きく口を膨らませる。


『まあまあ、良いではないか。こうしてワシらの“導き”に応えてくれているんじゃから』


 ファウステルは、オルガに微笑みながら諭す。


「導き……ですか?」


()()()()()の前に現れるには、ルーちゃん自身の呼びかけがないとダメなのよ』


「いや……僕は呼んでいませんよ?」


『導きの声を必要とする時、扉は開かれるのじゃよ』


『そうよそうよ! しっかりとあたちたちが導いてあげるから安心しなさい!』


「でも、今は本当に困っていないですよ?」


『ほんっと、可愛げのない子ね。誰に似たのかしら?』


()()()の誰かじゃな』


 ファウステルは癖のように髭を撫でる。


『って! 今はそんなことを悠長に話している時間はないの!』


「喧嘩しないでくださいよ……」



 祖先たちの勢いに押されるがまま、ルクノウは二人から“とある昔話”を聞くことになった。




 かつてこの地には立派な村があった。

 

 “夕鐘せきしょうの村”と呼ばれたその村は、その名の通り、夕暮れ時になると美しい鐘の音色を響かせていた。


 鐘の音は、村に終業の合図を告げ、人々は一日の営みを終えて明日に備える。


 そのような意があったそうだ。


(それで誰も村にいなかったのか……?)


「でも、この村の鐘は、しばらくの間使われていないようでしたけど…」


『そうねえ。今はもう使われていないわ』


『鐘が使われなくなった“()()()()があるのじゃよ』


「切っ掛け……ですか」


『“あれら”は悪意もなく、突如として村人たちの営みを奪い始めたんじゃ』



────────

────────



「……そんな迷信、いつまで信じ続けるつもりなんだ!」


 “夕鐘の村”の会合に、一人の若者の声が響き渡る。


「あの鐘が俺たちを何かから守っているなんて、ただの幻想にすがってるだけだ! あんな耳障りな鐘はいっそのこと取り壊してしまえばいい!」


 声を荒げる一人の若者――新たな村長は、改革を望んでいた。


 そんな村長の言葉に、会合に参加した者たちは当然のことながら、ただ困惑していた。


「村長……あの鐘は、ご先祖様の代から続く大切な儀式でございます。毎日響くあの鐘の音が、村の平穏を保ってきたのです。どうか……どうかあの鐘だけは取り壊してはなりません。必ず後世へと守り継がねばならぬのです」


 村の長老が若き村長の強い言葉に怯えながらも諭す。


 しかし、村長は先人の訴えを遮る道を選んだ。


「その平穏が、どれほどの実りをもたらした? 俺は変えたいんだ、この村を。もっと確かな利を求めるべきだ。土地も広大にある。古いしきたりに頼らずとも、この村はやっていける」


 確かな信念を持った言葉は、会合に参加したものの心を突き動かす。


 これがただの若者のわがままであれば、この村の行く末は変わっていただろう。



 ――そう、それがすべての始まりであった。



 長老たちは、最後まで首を縦に振ることはなかったが、民意はそうではなかった。


 結果として、鐘が櫓から降ろされることになったのだ。


 鐘を鳴らすことのないように縄は断たれ、鐘のある鐘楼しょうろうは立ち入りを禁じられた。



 村には、その日を境に静かな異変が始まった。



 子どもたちが咳をこじらせ、何人かは言葉を発さなくなった。


 井戸の水が妙にぬるく、味が変わったという声が上がった。

 

 家畜が次々に病を患い、収穫も次第に減っていった。



「夕鐘を鳴らさなくなってから、何かが狂いはじめた」


 と、次第に若者の間でも囁かれるようになった。


「……こんなことは偶然だ! お前たちが怯えるから、そう見えるだけだ!」


 若き村長は聞く耳を持たない――否、もう後戻りはできなかった。


 かくいう彼自身も、夜になると胸が苦しくなり、眠れない日々が続いた。

 

 しかし、彼が誤ちを認めるには、失ったものがあまりにも多すぎたのだ。


 そうして村は少しずつ、かつ確実に、干からびていった。



────────

────────



「鐘を鳴らさないだけで、村は衰退したんですか?」


 ことの顛末を聞いたルクノウは、疑問を口にする。


『その鐘が、どれだけの“力を”持っていたと思う?』


 オルガは小さな腕で力こぶを作りながら問いかける。


「力……」



『夕鐘の村にはね、昔から、“精霊”との間にとある契りが交わされていたのよ』



「え……精霊なんて、御伽話の中だけじゃないんですか?」


『今はもう、ただの御伽話ね』



 そう、“今”は。

 


『鐘の音がならないことで、精霊との日々を収めることができない。つまり、“精霊との生命のやり取りを終えられない”ということじゃ』


『ルーちゃんなら、もうわかるでしょ?』


「……それって、終わらなかった分だけ、奪われ続けるってことですか?」


『そう。それがこの村を襲った力であり、交わされた契りだったのよ』


『精霊が生命力を得ることに制限はなく、それらの悪意なき力は不治の病と化したのじゃ』


「それじゃあ、もうこの村の人たちは……」


『とっくの昔に滅んでいるわ』


 オルガは淡々と答える。


「そんな……カノン村の()()()にも、こうなる道があったのかな」


『どうじゃろうな。精霊たちは時に無垢な牙を人に向ける。今のカナン村があるのはそなたらの働きあってこそじゃ』



『……ところで、ルーちゃんは明日何をするつもりだったの?』


「今日は出払っているようでしたので、また出直して話を伺おうかと……」



 オルガへ返答したルクノウは、自身の言葉の矛盾に気づく。



「あれ? もうこの村はとっくに滅んでいるんですよね?」


『そうね……でも“貴方”には人の気配がしたのよね』


 オルガの声色が、不思議と大人びて聞こえた。


「どうして……」


『これが“綻び”よ』


「綻び……」


『貴方にはその綻びを感じる力があるわ。力をどう使うかは貴方次第。きっと答えは……貴方の中に』


 ファウステルとオルガが顔を見合わせ、優しい目をしてルクノウを見つめる。


『導く者としての助言は以上じゃ。近いうちにまた会えるじゃろう』


「わかりました……僕、頑張ってみます」


 ルクノウは戸惑いよりも、自身に課された使命を不思議と受け入れていた。


『ルーちゃんならできるわ! またね!』



 火の粉がバチッと音を立て、時が再び動き出した。



 ルクノウは少し考え、明日もう一度村を訪れることにした。




 朝になると、昨日感じた違和感がいっそう増していた。


「これは……一体……」


 “人の気配がする”という以前の問題だ。


 洗濯物が風になびき、そこかしこから香ばしい煙が立ち、食事の匂いが漂う。


 歪な光景が広がる中、依然として人影は見当たらない。


「急がないと……」


 何故か“このままではいけない”という思いに駆られた。


 そう直感が告げていたのだ。これも“選ばれし者”としての力なのだろうか。


 

 ルクノウは頭で考えるよりも先に、昨日見た鐘のある場所へと足を運んでいた。


「……昨日は錆びていたよな」



 掲げられた鐘が――黄金の輝きを放っていた。


 そして、昨日のほつれが嘘のように、縄は凛々しく伸びていた。



「「私が間違っていたのだ……すまなかった……」」



 こだまするように、どこからともなく声が聞こえた。


「「私が間違っていたのだ。若さと自信に酔い、改革こそが正しいと信じて疑わなかった。すまなかった。村を、皆を、守れなかった」」


 姿は見えず、声だけが、風に乗って耳元へ届く。



(改革……もしかして……)



 ルクノウは、昨日、ファウステルから聞いた話を思い出していた。


「もしかして、あなたは“夕鐘の村”の村長さん……ですか?」


 空へと問いかけるが、返事はなかった。


「「願わくば、また皆で安寧の地を築き上げたい……」」


 これは独白だ。


 語りかけているのではない。


 ルクノウにはそう思えてならなかった。


「……その願いは、きっと届くはずです」


 この地に縛られていたのは、なにも村長一人だけではない。


 結果はどうあれ、多くの村人が若き村長に希望を見出し、共に歩んできたはずだ。


 そして、これからも。



(今、僕にできることは……)



 ルクノウは、迷わずに手を伸ばした。


 鐘から伸びた縄を両手で掴み、力一杯に大きく振った。



 それは“夕鐘”に相応しく、綺麗で荘厳な音色を奏でる。



 村は黄昏に包まれる。



 光の粒が黄金に輝く鐘を、いっそう暖かく照らす。


 触れることのできない光の粒は、ルクノウの背中を押すように宙へと舞っていった。


 どこまでも高く登る光を、ルクノウは目で追っていた。



「「……ありがとう」」



 感謝を告げる声がした。


 ルクノウには、願いの叶った者の声にも聞こえた。


「どうか、安らかに眠れますように」


 手を胸に当てて俯き、祈るよう目を瞑る。



「……」


 しばらくしてから顔を上げると、まるで最初から何もなかったかのように、森と野の景色が広がっているだけだった。



 だが、すべてが消えたわけではない。



 足元に目を落とすと、一輪の花が咲いていた。


 純白の花びらを纏い、控えめに俯いている。


 それは――鐘の形をしていた。



 どこまでも澄んだ空の下、風がやさしくルクノウの頬を撫でていく。



 風に靡いた一輪の花からは、ささやかながらも凛とした、祝福の鐘の音が聴こえた。

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