第九話 赤鬼
第九話 赤鬼
「丹波の赤鬼」の異名を持つ猛将、波多野秀治の盟友・赤井直正が守る八上城を目指し、光秀の軍は進軍を開始した。
多羅尾光俊に育てられた十人の忍びにとっては、これが初陣であった。
キキョウは、修練の中で散っていった仲間たちの顔を思い出す。
ある者は兄弟子の木剣を頭に受けて命を落とし、ある者は潜入の訓練中に石垣から転落した。
そして、修練の最後――キキョウは、同い年の少年を真剣で斬り伏せ、忍びの証を立てた。
(……こうして、人は世捨て人になるのだな)
だが、胸の奥には玉から貰った菓子の甘みが残っている。それが、キキョウをこの世の「人」として辛うじて繋ぎ止めていた。
「……キキョウ? どうした、ぼうっとして」
光秀の声に、キキョウは我に返った。
「いえ……姫様に頂いた菓子が、以前殿に頂いたものとどちらが甘かったか、比べておりました」
「ははは! これから戦だというのに。そなたは大物になるな」
光秀が笑い、秀満と利三も目を細める。あの煤だらけの孤児がここまで成長したことが、過酷な軍旅の中での唯一の慰めであった。
八上城近郊に布陣した夜、光秀は軍議を開いた。
「此度も信長様からは短期決着の厳命。だが赤鬼の守りは固い。いかが攻めるべきか……」
「……私が赤鬼なら、今攻めます」
キキョウが静かに口を開いた。
「何? ふふ、キキョウよ。初陣ゆえ焦るのも無理はないが、城まではまだ距離がある。籠城の構えの敵が、既に出陣しているとでも言うのか?」
利三が優しく諭すが、キキョウの瞳は揺るがない。
「分かりませぬ。ですが……私ならそうします」
光秀はキキョウの「勘」に賭けてみることにした。
「光俊殿、育てた忍びを放ってみてくれ」
「承知……」
半刻後。闇の中から忍びが音もなく戻り、光俊の耳に囁いた。
「……殿。近くの谷間に五百の伏兵が潜んでおります。我らを誘い込む構えです」
「何……!? 赤鬼め、天然の要害を利用して先手を打つつもりだったか」
光秀は驚きと共に、キキョウを鋭く見やった。光俊のもとで学んだのは技だけではなかった。敵の心理を読み解く「忍びの目」を、彼女は既に備えていた。
「よし、秀満! その五百を逆手に取り、叩き潰してまいれ!」
「おう!」
「キキョウ……見事な手柄だぞ」
光秀の賞賛に、キキョウは淡々と答える。
「手柄……? 私は思ったことを言ったまで。姫様も、思ったことは何でも言いなさいと仰っておりました故」
「ほう、玉が……。あれも利発な子だからな」
(二人を共に過ごさせたのは、正解であったか)
光秀は満足げに頷き、戦況を見据えた。
いよいよ、泥沼の丹波攻略が幕を開ける。




