第十話 すれ違う軍略
第十話 すれ違う軍略
赤鬼・赤井直正の先遣隊を退けた光秀軍であったが、周囲は依然として敵意に満ちた敵地のど真ん中であった。
八上城へ辿り着くまでに、幾多の小競り合いが予想される。いかに勇猛な明智家臣団といえど、兵力の消耗は避けられぬ状況だった。
「無駄に兵を削ぐよりは、界隈の豪族どもを味方に引き入れるのが上策か……」
光秀は冷静に戦況を見据え、調略の手に打って出ることに決めた。
「光俊殿、どこの家が織田に靡くか、忍びたちに探らせてはくれぬか」
「御意」
光俊の合図と共に、キキョウを含む十人の忍びが夜の闇へと一斉に飛び散った。
「ほう……」
その鮮やかな消えざまに、利三が感嘆の声を漏らす。かつての孤児たちが、今や軍の趨勢を左右する頼もしい目と耳になっていた。
だが、忍びたちが散った直後、陣を揺るがすような蹄の音が近づいてきた。信長からの使番である。
「馬上よりのご無礼、ご容赦を! 信長様より直命にございます! 八上城の城兵はことごとく撫で斬りにし、早々に黒井城まで攻め立てよとのこと!」
光秀は眉をひそめた。
「八上城は堅牢ゆえ、まずは調略と兵糧攻めを致す。それには時がかかる。信長様へはそのように……」
「ならば、黒井城から取り掛かられよ! いずれにせよ、時をかけるなとの仰せにございます! ごめん!」
使番は光秀の言葉を遮るように言い放ち、風のように去っていった。
「……何という命を。使番ごときが、我らに対して何たる無礼な!」
利三が激昂し、秀満もまた怒りに拳を震わせる。
しかし、光秀の懸念は別のところにあった。
(信長様は何やら焦っておいでだ……。何がそこまでお心を駆り立てるのか。あるいは、天下の先にある『何か』を、既に見据えておられるのか……?)
「……やむを得ぬ。八上城を調略で封じつつ、黒井城をも同時に攻める。二手で行くぞ」
光秀の決断に、秀満は苦虫を噛み潰した。
「これでは、命がいくつあっても足りませぬな」
翌日。闇を切り裂いて、放たれた忍びたちが次々と戻ってきた。
「八上城近辺の豪族五家、織田に寝返るとの確約を得ました。所領安堵が条件にございます」
中でも、キキョウが持ち帰った報せは決定的なものだった。彼女が調略したのは、八上城の目と鼻の先に位置する最重要の国衆であった。
「またしてもやりおったか、キキョウ!」
光秀の感嘆に、キキョウは感情を交えずに応える。
「……私は、言いたいことを言ってきたまでです。『死にたくなければ明智に付け』と」
その淡々とした言葉に、光俊は満足げに目を細めた。
「ふふ……よし。これで八上城は丸裸よ。兵糧を断ち、干し殺しにして赤鬼を締め出してくれる!」
光秀の采配が振るわれる。だがその勝利の予感の裏側で、信長の「焦り」という暗雲が、明智軍の行く末をじわじわと侵し始めていた。




