第七話 初めの一歩
第七話 初めの一歩
近江坂本五万石。光秀は信長軍団で最初となる城持ち大名に任じられた。
琵琶湖の畔に坂本城の石垣が積み上がる中、妻・煕子と娘の玉が越してくる。
それが、キキョウと玉の初めての顔合わせであった。
煕子には、戦火で拾った孤児を娘の遊び相手として育てていると伝えてあったが、玉の反応は冷ややかだった。
泥と煤を落としきれぬキキョウを一目見るなり、玉は「……寄るでない」と鼻を鳴らした。
それでも、キキョウは光秀の命に従い、玉の付き人として仕え始める。
共に学問を学び、武家の娘として剣術を習う玉の相手も務めた。だが、体格で勝る年上の玉に、キキョウは翻弄されるばかりであった。
「ふふ、キキョウ。その程度ではわらわの付き人など務まらぬわ!」
そんなある日のこと。キキョウが蔵の隅で、あの戦場で拾った仏像を懸命に磨いていた。少しずつ煤が取れ、金色の輝きが覗いている。
そこへ、玉がひょっこりと覗き込んだ。
「ひっ……なんという穢れた仏像じゃ!」
玉は嫌悪を露わにし、キキョウの手を強かに打った。仏像が床に転がる。
その様子を、物陰から光秀が見ていた。二人は光秀の前に呼び出される。
玉は当然、キキョウが叱り飛ばされるものと思っていた。だが、光秀の口から出たのは意外な言葉だった。
「玉。キキョウを見習いなさい」
「な、何を仰るのです、父上! 掃除も武術も学問も、わらわの方が勝っているではありませんか!」
「本当にそう思うのか?」
「……そうです! 何をしてもわらわより劣っております!」
光秀の眼光が鋭くなる。
「キキョウが、主に気を使って手を抜いているのが見えぬか」
「なっ……!? わらわが手加減されていると言われますか!」
「この子は既に戦場に立ち、私の命を救っている。敵を、討っておるのだぞ」
玉の時が止まった。
「え……まさか、その歳で……!?」
目の前にいる、自分より小さな少女。五歳にして戦をくぐり、実戦で敵を殺め、父を助けた。
その事実を知った瞬間、玉の背中に薄寒い戦慄が走った。キキョウの静かすぎる瞳が、急に得体の知れぬ深い闇のように見え、玉は自分の部屋へと逃げるように閉じこもった。
「……ふう」
光秀はため息を吐き、キキョウを優しく見やった。
「キキョウ。そろそろ多羅尾光俊殿がこの城に入られる。私はこれよりまた、一向宗との戦に出ねばならん。そなたは光俊殿から学べるだけ学べ。そして……気が向いたらで良い、玉とも遊んでやってくれ」
あくる日、光秀は再び湖西の一向宗、そして石山本願寺との激闘へ向けて出陣していった。
坂本城の地下、光の届かぬ冷たい部屋。キキョウの前には、多羅尾光俊が影のように立っていた。
「……始めるぞ」
光俊の声と共に、キキョウは忍びとしての第一歩、地獄のような修練へと足を踏み入れた。




