第六話 第六天魔王の目覚め
第六話 第六天魔王の目覚め
全山を焼き尽くした光秀は、夜通し燃え盛る炎を見つめていた。
崩れ落ちる堂宇、夜空を埋め尽くす火の粉。もう二度と、後戻りはできないことを悟る。
(魔道に堕ちるな、我らは……)
その業火を見つめ、これまで感情を一切出さなかったキキョウの頬を、一筋の涙が伝い落ちた。
(可哀想なものを見せてしまった……)
光秀は、己の選択がこの幼子の心に刻んだ傷の深さを想い、痛みを覚えた。
翌朝。燻る灰の中から、キキョウが黒焦げになった小さな仏像を見つけ出した。彼女がそれをそっと懐に入れるのを見て、光秀は問うた。
「そのようなもの、今更どうする?」
「……綺麗にしてあげます」
「……」
こんな時代だ。「綺麗」なものなどどこにも存在しない。御仏でさえ焼かれるのが、この世の理なのだ。
だが、光秀は何も言わず、キキョウがその仏像を持ち帰ることを許した。
そこへ、秀吉からの使番が駆け込んできた。
「信長公が三井寺の本陣へ到着なされました! 直ちに出頭せよとの下知! 我が主・秀吉は既に三井寺へ入っておりまする! ごめん!」
「やれやれ……」
光秀の顔に浮かんだ嫌気を、秀満がすかさず窘める。光秀は秀満、利三、そしてキキョウを連れ、三井寺へと帰陣した。
朝焼けの空は急激に暗転し、激しい雷鳴と共に横殴りの雨が降り出した。
(叡山の悲しみか、あるいは信長公の怒りか……)
境内で四人が信長の登場を待つ中、既に秀吉は秀長、小六、半兵衛を従えていた。
「光秀殿! 此度の論功行賞、我らが第一に間違いありますまいて!」
秀吉は勝ち誇ったように笑う。
(……もはや、褒美や禄など……)
その時、甲冑を鳴らしながら信長が境内に入ってきた。一同が平伏し、面を上げる。
息を呑んだ。嵐の中、雷光に浮かび上がったのは、人か魔王かの区別さえつかぬ信長の姿であった。光秀は心底、肝が冷えるのを感じた。
「信長様! 此度の勝利、おめでとうございまする!」
秀吉がこの状況でも変わらぬ明るい声を出す。その図太さが、余計に不気味さを漂わせた。
「……ご苦労」
(ご苦労? あの信長公が、労をねぎらうか?)
機嫌が良いのか悪いのかすら分からぬ沈黙の中、秀吉は餌を待つ犬のように次の言葉を待つ。
信長の口元が「ひ……」と言いかけた瞬間、秀吉は光秀に勝ったと確信し、笑みを零した。
しかし、信長の口から放たれた言葉は、秀吉の予想を無惨に打ち砕いた。
「光秀! 貴様には近江坂本五万石を与える! 城を築き、来るべき丹波攻略に英気を蓄えておけ!」
「……!?」
秀吉は卒倒しそうになるのを必死に耐えた。跪いたまま、光秀は全力を絞って応えた。
「はっ! ありがたき幸せ! 光秀、これからも粉骨砕身働きまする!」
信長は冷徹な眼光を光秀に向け、最後の下知を下す。
「これよりは山岳部での戦もなろう。忍びを雇い、育成し、調略と扇動で丹波を攻めるが良い。……多羅尾光俊を呼べ! こやつを貴様に付ける。暫くは築城と、この甲賀の者と共に忍びの育成に励め!」
「はは!!」
光秀の傍らで脇差を抱きしめるキキョウ。その背後には、闇に溶けるような多羅尾光俊の影があった。明智の忍びとしての宿命が、ここから動き始める。




