第五話 覚醒
第五話 覚醒
信長は本陣を三井寺に置き、光秀と秀吉を呼び寄せた。立ち込める香の匂いを切り裂くように、信長の低く冷酷な声が響く。
「……其の方ら、何やら勘違いをしとりゃせんか?」
光秀の背筋を冷たいものが走る。対して、秀吉はひょうひょうとした態を崩さない。
「勘違い……確かに。我らとしては坊主相手に少し手抜きが過ぎましたかのう。なあ、光秀殿?」
「……そうではない。何故、其の方らは叡山へ上がらず、ここで軍議に出る余裕があるのか、と聞いておるのだ」
信長の眼光が二人を射抜く。
「大軍を任され、もう一人前の大将にでもなったつもりか。自ら手を下してこい」
秀吉の喉が鳴る。だが次の瞬間、彼は狂気じみた笑みを浮かべた。
「それは確かに! 光秀殿、この寺にはかつて叡山に苦渋を飲まされた僧が鼠の化け物となり、山へ攻め上がった伝説があるとか。我らもそれにあやかり、地を這うて駆け上がりましょうかの!」
光秀には、そんな口から出任せは言えなかった。軍を動かせば右に出る者はいない自負はある。
だが、信長と秀吉のような、魂を売り渡すような主従関係は、望んでも築けるものではなかった。
陣に戻ると、秀満、利三、そしてキキョウが出迎えた。
「殿……顔に出ておりますぞ。もう少し、信長公を喜ばせてみてはいかがか」
「私は戦でしか、あのお方を喜ばせることはできぬようだ……」
光秀はキキョウの頭を撫でた。その胸には、与えた脇差が抱えられている。
(本当に、こんな幼子に初陣をさせることになるとはな……)
「我らも打って出る。秀満、利三、死ぬなよ。キキョウ、私の側を離れるな」
三井寺を発した織田軍は、叡山へ決死の突撃を敢行した。
道中、叡山の高僧・覚恕から「黄金三百枚」と引き換えに攻撃中止を乞う使者が現れた。だが、光秀は首を振る。
「……もう、遅い。全山を成敗せよとの下知、覆しようがない」
光秀は使者を撫で斬りにした。その光景を、キキョウは心を閉ざしたような瞳で見つめていた。
「火矢を放て! ことごとく焼き尽くすのじゃ!」
比叡山の各所から火の手が上がる。逃げ惑う者、祈る者、すべてを業火が飲み込んでいく。光秀は手勢を率いて山を駆け上がった。
その時、焦土の影から一人の門徒が躍り出た。
「明智惟任! 覚悟!」
突き出された竹槍が、光秀の脇をかすめる。体勢を崩した光秀へ、二の槍が迫る。かわせない。
――グシュッ。
鈍い音が響き、門徒の動きが止まった。
背後から、キキョウが脇差をその背に深々と突き立てていた。
どさりと倒れ伏す門徒。光秀は荒い息を吐きながら、その場に座り込んだ。
(危なかった。今のは……)
光秀を見つめるキキョウの瞳は、五歳児のものとは思えぬほど、静かに、そして冷え切っていた。




