第四話 主君の脇差
第四話 主君脇差
海城を落とした光秀の功績は、織田家中でも燦然と輝いていた。
越前一向一揆を沈黙させた最大の功労者として、譜代の家臣らを差し置いて論功行賞の第一に推される。
時を同じくして、主君・信長は朝廷より右近衛大将に任ぜられ、その権威は絶頂に達しようとしていた。
だが、この頃から信長の振る舞いは、一向宗のみならず、御仏をも恐れぬ苛烈さを帯び始める。
(……此度の戦、勝利はしたが何とも後味が悪い。御仏を信じた民草を撫で斬りにして得たのが、この丹波攻略の軍団長という地位か……)
海城の本丸から荒れ果てた地を見下ろす光秀の背中に、秀満が静かに声をかけた。
「殿……お顔に出ておりまするぞ。これも武門の習い。日ノ本の安寧のためには、避けては通れぬ道にございます。我らの大義は、戦に勝ち、その先に民を安らわせること。お忘れなきよう」
秀満もまた、光秀の葛藤を痛いほど理解していた。しかし、今は信長という狂気にも似た光に従い、突き進むしかない。
「しかし、これでは……。これではまるで、第六天魔王の所業ではないか」
利三が、海城の眼下に広がる夥しい門徒の骸を見つめ、自嘲気味に吐き捨てた。光秀の心は、北陸の海風よりも冷えていた。
数日後、信長の使番が砂埃を立てて現れる。
「光秀様、秀吉様! これより叡山延暦寺を攻めよとの下知! すぐに軍備を整え、転戦なされよ。信長公、直々の命にございます!」
「叡山を……!? なんということを。浅井・朝倉が立て籠もっているからとはいえ、あそこは聖域ぞ」
利三が苦虫を噛み潰す。だが、命令は絶対であった。
「……この娘、キキョウはいかがいたします? 敵地のど真ん中に残していくわけにも参りませぬ。連れて行くほかありますまい」
秀満がキキョウに優しく声をかける。
「そなた、わずか五つで初陣を飾るのだぞ。……将来は、明智家の守り神となれ」
光秀は腰の脇差を抜き、鞘のままキキョウに手渡した。
「これで己が身を守れ、キキョウ」
五つの子にはまだ重い獲物を、キキョウは小さな両手で抱きしめた。光秀の眼差しだけが、この殺伐とした戦場の中で唯一温かかった。
軍は越前から近江坂本へと転戦した。
「なんとまあ……この地も荒れておりますなあ、光秀殿! さっさとあの叡山を落とし、信長様に良い顔を見せねばなりませぬな!」
隣を並走する秀吉が、ひょうひょうと笑う。光秀はこの百姓上がりの男と、どうしても気が合わなかった。だが信長は、あえてこの正反対の二人を競わせるように行動を共にする。
(右府様は、なぜ私にこの秀吉をつける……)
光秀は再三、叡山へ「浅井・朝倉の残党を差し出せ」と使いを送った。しかし。
「……使いが戻りませぬな」
秀満が表情を険しくする。交渉の余地はない。キキョウはその横顔を見上げながら、何かとてつもなく恐ろしいことが始まろうとしているのを、幼心に感じ取っていた。
光秀は、震える手で采配を握りしめた。
「……全軍、進め」
その号令と共に、約三万の軍勢が、静寂に包まれた聖なる山、叡山へと一斉に駆け上がった。




