第二話。秀吉の本音
第二話。秀吉の本音
杉津口の海城を背に、潮風が血の匂いを運び始める。
「……力攻めは、厳しいな」
光秀の額を、一筋の汗が伝い落ちる。
城壁の向こうに構えるのは、本願寺の坊官・下間頼照が恃みとする猛将、若林長門守。
門徒たちの「進めば極楽、退かば地獄」という狂信的な粘りは、織田の精兵をしても容易には突き崩せない。
傍らでは、羽柴秀吉がひょうひょうと伝令をあしらっていた。声を張り上げ、前線へ次々と下知を飛ばすその姿は、戦そのものを遊戯のように楽しんでいるようにさえ見える。
(私とは、根本から合わぬな……)
光秀は冷徹に隣の男を観察した。
元は持たざる百姓。捨てるもののない人間が権力を手にし、その地位を謳歌している。
対して自分は、京の静謐と秩序を取り戻すために泥を啜ってきた。その差が、拭いきれぬ違和感となって胸に燻ぶる。
「……殿。殿っ!」
「はっ、何だ、利三か」
斎藤利三の鋭い声に、光秀は我に返った。
「ここは危ううござる。敵の防備、いささか脆すぎる……。何やら、誘い込まれているのではありますまいか」
利三の懸念は的中していた。正面の若林勢を崩すことに執着するあまり、光秀と秀吉の軍は、本陣を前に出し過ぎていたのである。
「背後を突かれたら、不味いですな……」
秀満の顔にも焦りの色が浮かんだ、その時である。
「火急! 火急にございます!」
砂煙を巻き上げ、伝令が転がり込んできた。
「背後より一向宗、円光寺勢が襲来! 若林長門守に呼応し、我らを包囲せんと迫っております!」
「しまった! なかなかの戦上手よ。流石は下間頼照が息のかかった者共、若林長門守よ!」
秀吉は叫んだが、その口元にはまだ余裕の笑みが張り付いている。
さらに、この好機を逃さず、城門が音を立てて開いた。籠城していた若林長門守が、一気に打って出てきたのである。
挟撃――織田軍は瞬く間に死地へと追い込まれた。
「こりゃあ、やるしかにゃあですな! 光秀殿、我らが後ろの門徒共を食い止める。貴殿は存分に、正面の城を攻められよ!」
秀吉が馬首を翻す。
(ふん……。それでは我らが城を抜くのは不可能に近いではないか。猿め、貧乏くじを押し付けおったな)
光秀は内心で毒づいた。背後の敵を秀吉が受け持てば、光秀は退路を断たれたまま、城兵と刺し違えるしかない。
だが、ここで引けば「明智は臆した」と謗りを受ける。
「利三、秀満! 何としても城内へなだれ込め! 猿どもに我らが武勇、とくと見せてやるのだ!」
「おう!」
「鉄砲衆、前へ! 迫る城兵を狙い撃て!」
利三が軍配を振る。光秀が鍛え上げた鉄砲隊が一斉に火を噴いた。轟音と共に城兵がなぎ倒され、その隙間を縫うように、秀満率いる騎馬隊が雷鳴の如く突撃する。
「おおおおおっ!」
「ちっ、流石は光秀よ。この挟撃を力で破るか……!」
背後の一向宗を斬り伏せながら、秀吉が忌々しげに舌を打った。
「兄者、アレをせねば上には行けぬぞ!」
秀長もまた、迫る敵を必死に退けながら後退する。
戦火と硝煙が渦巻く中、光秀の眼光は城門の奥、若林長門守の首だけを狙い定めていた。




