第十六話 変後
第十六話 変後
朝日が昇り、本能寺の無惨な焼け跡が露わになった。
煤と煙にまみれたキキョウが、光秀の前に膝をつく。
「殿……キキョウ、戻りました」
「首尾は……」
「それが……」
キキョウは見たままの、あの異常な「消失」を伝えた。光秀は一瞬呆然としたが、やがて自嘲気味に口元を歪めた。
「ふ……奴め。叡山を焼き尽くした時から既におかしくなっていたが、死に際して本物の魔王に堕ちたか」
「首も遺体も、幾ら探しても見つかりませぬ。今は引き上げ、畿内の掌握を進めるのが肝要かと」
「うむ。信忠も討ち取った。これ以上ここに居ても致し方あるまい。……坂本へ戻るぞ」
「……ガラシャ様と細川様にも、この件、伝えてまいります」
キキョウは風のように光秀の元を離れた。胸の中には、消えた信長への言いようのない不安が澱のように残っていた。
細川の屋敷。
「ガラシャ様……お父上が信長公を討ちました」
「な……! 父上、ついにやったか!」
驚きつつも、ガラシャの瞳には強い意志が宿る。
「ガラシャ様。これより畿内を抑えるため、細川幽斎様、忠興様を何卒……」
「分かっておる! 妾に任せよ。いよいよ明智が天下を治めるのだな!」
魔城・安土。光秀は信長の聖地であったこの城を焼き尽くした。
「これで畿内は私の元に靡く。信長の家臣団も沈黙しておる。秀満、利三、我らの勝ちじゃ」
光秀が安土で気勢を上げる中、キキョウはさらなる動きを封じるため大和へ向かう。
その途上、仲間の忍びが火急の情報を持ち込んだ。徳川家康が、少数の供回りで伊賀を越えようとしているというのだ。
「好機……! 家康を三河へ戻してはならぬ。討つぞ!」
キキョウら十名の忍びは、死に物狂いで家康の後を追った。
「伊賀の多羅尾様にも知らせを! 家康の足を止めよ!」
伊賀の山中。家康一行は次々と野盗に襲われ、その都度、豪商・茶屋四郎次郎が金をばら撒いて難を逃れていた。その遅滞が、キキョウたちの追撃を可能にした。
「家康……覚悟!」
キキョウが闇から家康へ飛びかかる。だが、その一撃は巨大な鋼の壁に弾き返された。
本多忠勝。その手には天下三名槍の一つ「蜻蛉切」が握られていた。
「貴様は……いつぞやの饗応の時の忍びか」
「その得物、蜻蛉切とお見受けいたす。……我が主・光秀の命により、生きて三河へ返すわけにはいかぬ!」
忠勝の凄まじい威圧感に、キキョウが間合いを詰め直そうとしたその時。
別動隊の忍びが、顔色を変えてキキョウの元へ滑り込んできた。
「キキョウ様、一大事にございます! 毛利と和睦を結んだ羽柴軍が……」
「な……? 誠か!? 秀吉、あの猿が……もうそこまで来ているというのか!」
計算を遥かに超える「中国大返し」。背後に迫る死神の足音に、キキョウの背中に戦慄が走った。




