第十五話 異界送り
第十五話 異界送り
キキョウと九人の忍びが、夜霧を裂いて本能寺の壁を越えた。内側から正面門が音もなく開かれると、明智の軍勢が怒涛の如く雪崩れ込む。
「謀反だ! 防げっ!」
飛び出してきた信長の側近たちは、寝起きの体に動きも緩慢だった。奇襲は完璧だった。
ズバァ! ズバァッ!
キキョウの双刃が、松明の光の中で鮮血の弧を描く。
「明智の忍びだ! 討ち取れ!」
取り囲む敵兵に対し、キキョウはひらりと一回転。舞うような剣筋に、包囲していた足軽たちがバタバタと崩れ落ちる。包囲されてこそ、彼女の真価は発揮されるのだ。
奥の間では、信長が必死に弓を射ていた。弦が切れれば槍を手に取り、狂気じみた形相で防戦する。
その時、光秀の本隊が放った一発の弾丸が、信長の左肩を撃ち抜いた。
「ぐっ……!」
後ろへ吹き飛ぶ信長。その傍らに寄り添う森蘭丸の姿を、キキョウは捉えた。
(森蘭丸……安土の屈辱、我が主君の恨み、今こそ晴らしてくれる!)
火の手が上がり、黒煙が巻く寺内をキキョウは単身、蘭丸を追って突き進む。
障子を蹴破り飛び出す敵を卒なく斬り伏せ、ついに逃げ場のない最奥の間へと追い詰めた。
バン! と襖を蹴破る。
「……森蘭丸殿とお見受けいたす」
蘭丸が、血を吐くような形相で刀を抜いた。
「明智の……あの時の忍びか!」
「小姓風情が我が殿を打ち据えるとは……外道の極み」
「抜かせっ!」
蘭丸が斬りかかる。だが、数多の修羅場を越えたキキョウの足元にも及ばない。蘭丸の袈裟斬りを紙一重でかわすと、キキョウの刃がその右脚を深く裂いた。
「グアアアアッ!」
噴き出す鮮血。蘭丸は崩れ落ちた。
「そこを斬られては最早助かるまい。信長公は何処だ」
「頼む……見逃してくれ!」
「命乞いか? 何を今更」
「俺ではない! 信長公をだ! あのお方はここで死ぬ訳にはいかない……今はまだ『不完全』なのだ!」
「何の話だ……?」
「あのお方こそ第六天魔王。もっとこの世で暴れて頂かねば、その頂きには登れぬのだ……!」
「世迷言を」
キキョウは冷徹に蘭丸の喉を切り裂いた。
蘭丸の骸を越え、奥の間に入る。
そこでは、肩を朱に染めた信長が、燃え盛る炎を背に舞を舞っていた。
「……人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり……」
「信長公。……お腹を召されますか」
キキョウが問うと、信長は舞を止め、狂気を含んだ目で笑った。
「ふ、忍びよ。貴様、誰に向かって物を言うておる? 我こそは第六天魔王ぞ……貴様も道連れにしてやろう」
「怨!」
信長が印を組んだ瞬間、キキョウの全身が金縛りにあったような重圧に襲われる。呪縛か。
「ふはははは! 光秀、そして忍びよ……いずれまた会おうぞ!」
信長は小太刀を逆手に取り、自らの腹を深く突き刺した。
キキョウが呪縛を解き、首を取ろうと近寄った、その時だ。
信長の背後の空間が歪み、真っ黒な裂け目が生まれた。
「な……なんだ、これは!?」
裂け目から、異形の「人の手」が無数に伸び、信長の亡骸を奥へと引きずり込んでいく。そのまま亜空間は、音もなく閉じた。
焼け落ちる本能寺の轟音の中、信長の死体は消えた。
「バカな……夢を見ているのか……?」
キキョウは、主君に報告すべき「首」のない虚空を、呆然と見つめるしかなかった。




