第十三話 饗応
第十三話 饗応
丹波一国を平定した功により、光秀は坂本、亀山、そして丹波を合わせた三十四万石を領する大大名となった。
戦で荒れ果てた地を立て直すべく、光秀は内政に全霊を注ぐ。忍びとしての腕を上げたキキョウもまた、影ながらその指揮を助けていた。
黒井城に斎藤利三を配し、ようやく一息ついたある夜。光秀は数名の家臣、そしてキキョウと共に酒を酌み交わした。
「キキョウ、これまでよく厳しい戦を生き残ってきた。これは褒美だ」
光秀が差し出したのは、京の都で求めた美しい手鏡であった。
「……勿体なきお言葉にございます」
「世が平らかになれば、武士も忍びもいらなくなる。その時は、必ず幸せになるのだぞ」
「はっ……」
光秀の言葉を噛み締めるキキョウ。だが、蝋燭の火に照らされた主の横顔には、信長への感謝を口にしながらも、拭い切れぬ悲しみと怒りが滲んでいるのを彼女は見逃さなかった。
やがて、運命の天正十年。光秀は武田討伐の祝勝と、徳川家康を安土城に迎える饗応役を命じられる。
「世にも珍しい料理で、度肝を抜いてやるか。キキョウ、近江の美味珍味を探してまいれ!」
「御意」
饗応の当日。織田、徳川の重臣が居並ぶ中、キキョウが探し出した逸品の数々が運ばれると、場内からは感嘆の声が上がった。信長も初めは上機嫌であった。
だが、その場の空気が一変したのは、光秀の何気ない一言だった。
「此度の武田討伐、おめでとうございます。我らも骨を折った甲斐がございましたな」
(……しまっ……!)
襖の裏で控えていたキキョウの背筋が凍った。これまでの無理難題を思い、つい溢れた本音。信長の目が、鋭く細められた。
「ほう……光秀。貴様ごときが、何の骨を折ったというのだ」
「あ……いえ、皆様、日頃のお疲れを癒してくだされ……」
光秀は冷や汗を拭い、必死に場を繕う。薄味の料理が続き、信長も再び機嫌を取り戻したかに見えた。
キキョウは安堵し、最後の一品である香りの強い魚料理を運ばせた。絶品の自信作であった。
しかし――。
「光秀! なんじゃこの魚は! 腐っておるではないか!」
信長が突如として激昂した。
「な、なんと……! これは、調理によってこの香りを……」
「ええい、黙れ! 蘭丸!」
「はっ!」
森蘭丸が扇子を手に取り、光秀の頭を何度も打ち据えた。乾いた音が響くたび、光秀の額から鮮血が散る。
キキョウは闇の中で刀の柄に手をかけた。
だが、伏したままの光秀の眼光が、鋭く彼女を制した。「動くな」と。
(……信長。もはや、これまでか……)
数日後、安土城より無慈悲な沙汰が下った。
丹波、亀山、坂本を召し上げ、羽柴秀吉の与力に加われ――。
光秀が血を吐く思いで築き上げた全てが、一瞬にして奪い去られた。




