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020

 3人はゆっくりとしたスピードで、迷宮の廊下を進んでいく。


「皇子様!こっチ!」


 分かれ道では、ミーシャが自慢の鼻をくんくんと鳴らしながら、2人を誘導した。


「まったく、ミーシャが居て本当に良かったよ。」


 1時間近く歩き続けたレオンは、やれやれと首を振った。

 ここまでいくつもの三叉路、四叉路を通り過ぎており、ミーシャがいなければ、とても探索できなかっただろう。


「本当ですね、ミーシャ様々です」

「ふにゃぁ、さっきから二人ともほめ過ギ」


 ミーシャは恥ずかしいらしく、身をクネクネと捩じらせた。


「それにしてもさぁ、さっきから魔物モンスターどころか罠の一つもないけれど、本当にここって迷宮ダンジョンなの?」


 何かを期待していたらしいレオンが、退屈そうにセレスに問いかける。


「ここ“無明の祠(むみょうのほこら)”は既に“召喚の門(ゲート)”の破壊が完了しており、魔物は出現しません。罠も討伐時にほとんどが破壊されているはずです」

「なぁんだ、そうなんだ。なら宝箱とかも、期待できそうにないねぇ。困ったなぁ」


 セレスの説明に、レオンはやれやれと肩を竦めた。彼の頭の中には、酒場の店主マスターへの支払いがちらついていた。


「ところでミーシャ。さっきの剣の持ち主は、だいぶ、近づいて来てるのかい?」

「うん、だいぶ近いヨ。この匂いの濃さからしテ、次の広間くらいデ---」


 そう言ってミーシャが軽く次の一歩を踏み出す。

 だが足が石畳に触れた直後、かくんと沈み込んだ。


「ミーシャ、危ないっ!」


 レオンが反射的に駆けだした瞬間、闇の奥から飛来した無数の鏃が空気を裂いた。


「ぐぅっ・・・!」


 血が滴り、石畳に黒い染みを作った。時とともにそれはじんわりと広がっていく。


「ミーシャさん・・・殿下・・・ご無事・・・ですか?」


 苦鳴混じりに尋ねるのは、ミーシャでもレオンでもなかい。その上から覆いかぶさるように身を晒したセレスであった。


「も、申し訳ございません。私の油断でした・・・」


 数本の矢が、背中に深々と突き立っていた。


「セレス!大丈夫か?!セレス?!」

「セレス様ァ!大丈夫?ごめんなさイッ!」


 セレスは二人向かって安心させるように蒼白な顔で、笑って見せた。


「私は回復薬ポーションを持ってきておりますし、大丈夫です。ただ殿下、動けるようにまでしばらく時間がかかりそうです」

「ああ、わかった。任せて」


 レオンは頷き、双剣を抜き放つと、振り返って闇の奥を見つめる。


「ミーシャ、すまないけどセレスを頼んだよ。俺は今からアイツを始末する」


 彼の紅い瞳の視線の先には、いつの間にか一人の男が姿を現していた。

 汚塵にまみれたローブを身にまとい、暗闇の中で白い歯をむき出しにして笑っている。


「おいおい、嗅ぎつけるのが早すぎやしないか」


 顎はまばら無精ひげに覆われているが、どこか目つきや口元に幼いものが感じられ、それがゆえにひどく酷薄な印象を受けた。


「意外とこの国の騎士団は有能なのかな?」


 闇の中から姿を現した男は、不審げに首を捻った。


「んー?だが騎士団の割には数が少ないな・・・。君たちは一体何者だい?まさか、ただ迷い込んだって訳じゃないだろう?」


 レオンは問いには答えず男に向かって、剣を突き付ける。


「お前こそ何者だ?こんなところで何をしている?さっさと喋れ。そうすれば---命だけは助けてやる」


 彼の紅い瞳の中には殺意を纏った黒い炎が揺れている。

 だが男はレオンの殺気を受けても、平然と笑っていた。


「わかった、わかった。いいよ、まずは互いに自己紹介と行こうか。僕はノア・ハルヴァ。ただのしがない雇われ錬金術師さ」


 自分のことをそう言って、ノアは肩を竦めてみせる。


「僕の目的は、このダンジョンの再起動と・・・とある魔法生物の“実験”でね。もう察してはいると思うけどーー隊商のみなさんには、その“実験”にお付き合いいただいたってワケ」


 ノアの言葉にレオンの表情が明らかに曇る。


「・・・殺したのか?」

「やっぱり魔剣使いってのは無粋だなぁ。人類発展のための尊い犠牲、ぐらい言って欲しいね」

「つまらん御託はいい。それでお前は何のためにそんなことをしている?」

「おいおい、互いに自己紹介って言っただろう?次は君がしゃべる番だ。君たちこそ何者だい?」

「レオンハルト・ティハーン、この国の皇太子だ」

「はぁ?」


 ノアが思い切り、疑わしそうに眉根を寄せた。


「何それ?冗談のつもり?それともまともにしゃべる気はないってこと?まあ、別にいいけどさぁ・・・」


 つまらないと言わんばかりに、唇を尖らせる。


「んー、それにしても・・・おかしいなぁ?そろそろ一人くらい来てもよさそうなもんだけど・・・あれぇ?」


 当てが外れたとでも言いたそうに、ノアが不審げに再び首を捻ってみせた。


「これだけ時間を稼いでやって、増援が来ないってことは、もしかして君たちは本当に3人だけで来たのかい?」


 レオンは口を閉ざしたまま、じっとノアを睨みつけている。

 それで察したノアが弾ける様に笑い出した。


「ハハハ!それはいい!それならもうしばらくはここで仕事が続けられそうだ。雇い主から怒られなくて済むよ。いくらなんでも昨日の奴らだけじゃ、実績が足りないからねぇ」


 そう言ったノアが片頬を歪めてみせる。


「それじゃ、そろそろ始めようか・・・“変態トランスフォーム”」


 ノアの体が一瞬で透けたかと思うと、どろりと溶け、地面に崩れ落ちた。粘りつく液体が床に広がり、波打つたびに鈍く光を反射する。強い粘性をもった液体は、怪しく蠕動しながら、徐々にその体積を増やしていく。


「ッ・・・!!」


 レオンはその粘塊が足元に届きそうになった時、大きく飛び下がった。


《へぇ、いい勘してるね》


 霞のかかったようなくぐもったノアの声が、粘つく海から響く。

《できるだけ触れない方がいいよ。僕の発明したこのスライムは、肉でも骨でもドロドロに溶かしちゃうから》

 言いながらスライムはウネウネと動き、震えるたびに少しずつ体積を増やしている。


飛燕雷槍ストームランス!」


 レオンが双剣を振ると数条の雷が走り、スライムの一部が弾けた。ジュゥッという音とともに、肉の焼け焦げる匂いが辺りに立ち込める。


《中々いい技を持ってるじゃないか。でも---》


 スライムの海全体が、大きく震えた。増殖スピードが一気に上がり、床の上を潮が満ちるように埋め尽くしていく。


「皇子様ッ!」


 ミーシャが悲鳴を上げる。

 レオンが振り返ると、セレスと彼女の足元を、粘液の海が囲い込んでいた。


「ちぃっ!雷轟嵐陣サンダーテンペストッ!」


 舌を打ったレオンが魔力を込めて、双剣を振るう。

 白光が奔り、ミーシャたちを飲み込まんとしていた粘塊が、泡立ち、蒸発し、一気に焼き払われる。


《いやぁ、すごい、すごいよ。やるもんだ。君は本当に何者だい?》


 驚く声とともに、パシャパシャパシャという少し間抜けな水音が響く。

 気づけば、粘つく海の中央が盛り上がり、人の上半身めいた輪郭が創り出されている。その両腕は、震えながら掌を打ち合わせていた。


《だけど、僕のスライムの再生力はこんなもんじゃないよ。いつまで持つかな?》


 焼き払ったはずの床が、再び粘液の海に置き換わっていく。しかもその速度は、さらに速くなっている。

 長期戦は自滅に等しい。そう悟ったレオンが目を閉じ、大きく息を吸う。体内に流れる魔力を練り上げ、技のイメージを、掴むべき未来をはっきりと描き出す。

 使い手の意志に共鳴した双剣が雷を纏い、激しく発光する。


「一気に決めさせてもらおう。万雷、我が意のままに天を裂け! 葬焉天雷 《ラグナロク・ブリッツ》 !!!」


 自身を雷霆と化したレオンが、人を模ったスライムに向かって奔る。


「うぉぉぉぉッッッ!!!」


 雷を纏った刃が振るわれるたび、スライムが切り裂かれる。透明な肉塊が吹き飛び、泡となって爆ぜる。

 閃光が過ぎ去った後、人形ひとがたの像は、完全に消滅していた。


「ふぅ・・・」


 一息ついて、双剣を鞘に納めようとするレオン。

 そんな彼に向かってミーシャに抱えられたセレスが鋭く叫ぶ。 


「殿下っ、まだですっ!」


 蠢く粘海がひときわ大きく震える。粘液の鞭が何本も空を飛び、レオンに絡みつこうとする。

 レオンは素早く剣を振り抜き、雷刃をもってその全てを焼き払った。

 くぐもったノアの声がぬめるように辺りに響く。


《ふふっ、なんだか勘違いさせちゃったみたいで悪いね》


 スライムの海に再び人形が浮かび上がる。粗く作られた唇らしきものは、明らかにあざ笑っていた。


《別に人形が本体って訳じゃないんだ。こんなものは、ほら---》


 粘液の海面が次々と盛り上がり、人の像を作りだす。そのどれもが、最初のものと同じ醜悪な笑みを湛えている。


《個にして全、全にして個。僕は、このすべてだ。焼こうが斬ろうが――僕は、消えない。つまりは無敵って訳さ》


「ふんっ、いくらだって焼き払ってやるさ」


 レオンもまた笑みを浮かべてみせる。双剣を構え、体内の魔力をもう一度練り上げようとする。

 だが---


「くぅっ・・・!」


 上手く体に力が入らず、その場に膝をつく。


 いつの間にか体が痺れ始めている。気づけば指や足の感覚が、ほとんど失われていた。


《言い忘れていたけど、スライムの体液は蒸発すると、麻痺性の毒ガスに変わるんだ。でも、君が悪いんだよ?僕を焼き払ったりするから》


 膝をついたレオンに粘海が蠢きながら迫る。


《感謝するよ。いい実験データが取れた。安心して溶かされちゃいなよ。このスライムで、きちんとあとの二人も消化してやるから》


 息が上手くできない。視界がぼやけ、徐々に意識が遠くなっていく。

 まずい、なんとかしなければ---レオンはそう思いつつ、その場に崩れ落ちた。

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