019
「神聖なる光の聖霊よ、暗き闇を払い、我が道を照らせ!“散歩する光明”!」
しばらく進み、入口からの光も届かなくなったころ、レオンが呪文を詠唱する。
すると握り拳大の輝く光球が一行の頭上に出現し、迷宮の天井のあたりをプカプカと漂い始めた。
光に照らされ、天井に張ったクモの巣や、苔むした石造りの廊下が鮮明に浮かび上がる。
「すごイ!明るくなっタ!」
ミーシャは浮かぶ光球に手を叩いて喜んでいた。
「いやぁ、それほどでもないよ」
「はい、本当にそれほどでもありません。“散歩する光明”は初級魔法の中でも初歩の初歩ですから」
照れるレオンに対し、セレスが冷静に突っ込みを入れる。
「なんでそんなこと言うかなぁ」
「ミーシャさんに誤った知識を与える訳にはいきませんので」
レオンは不満げに口を尖らせるが、セレスの表情はいつもどおり落ち着いたままだった。
「でもいいナァ・・・皇子様たちはそんなにすごい魔法が使えテ」
獣人の娘が羨ましそうに指を咥えて、二人を見上げる。
だが、そんな彼女に対し、人族は揃って首を傾げた。
「ん?別にミーシャも“魔法”だったら、使えるんじゃない?」
「ええ、ミーシャさんも“魔法”なら使えると思うのですが」
「エ?そうなノ?」
ミーシャは目を丸くし、口をポカンと開けた。
「確かに獣人族は“魔剣”に、魔力を通すことができません。ですが、魔力そのものは持っていますので、きちんとした教育を受けていれば使えるはず・・・」
セレスは説明の途中でレオンにちょいちょいと肘で脇腹をつつかれる。
見ればミーシャがしゅんと悲しそうな顔で目を伏せていた。
貧民街の出身、かつ人族から差別を受けている獣人族のミーシャに、“きちんとした教育”など望むべくもなかった。
「ごっ、ごめんなさい!ミーシャさん!」
「ううン、気にしないでセレス様」
慌てて頭を下げるセレス。
そんな彼女に対し、ミーシャは健気にも笑って見せる。それが余計に、セレスの胸を締めつけた。
「やれやれ、まったくもう。うちの家庭教師はデリカシーがないんだから」
「くっ・・・!」
セレスのこめかみのあたりの筋肉が、ピキッと引きつった。
一番言われたくない人物に、一番言われたくないセリフを言われたのだ。いくら冷静沈着を常に心がける彼女とはいえ、当然である。
だが今のは明らかにセレスが不用意だったし、彼女自身もそれを自覚していた。なんとか奥歯を噛んでこらえる。だが、この出来事は忘れぬようしっかりと心に刻み込む。
「ミーシャさん、よろしければ私が教えて差し上げましょうか?その・・・魔法だけでなくお勉強などもいろいろと」
「いいノッ?!」
少女の顔に大輪の花が咲いた。造ってはいない、本当の“華”である。その証拠に寝ていた三角の耳が、ぴょこんと起き上がっている。
「ええ、構いませんよ」
そう言った、セレスが優しく笑う。
「月謝は、殿下のお小遣いから天引きしておきますから」
「なんでぇっ?!」
いきなり財布に風穴を開けられた、レオンが悲鳴を上げる。
「雇用主が従業員の教育に費用を掛けるのは、当然でしょう?それに大銅貨3枚、たかが3,000リーンぽっちで、ゴチャゴチャ言わないでください」
「大銅貨3枚って全額じゃないか!あんまりだよ!」
生活の危機にレオンは顔を赤くし、必死に抗議する。
だがセレスにまったく聞く気はないようで、新しい愛弟子に向かってさっそく講義を始めていた。
「最初に殿下が使った“散歩する光明”から覚えましょうか。まずは、何か明るいもの、輝くものを頭の中にイメージして・・・」
「セレス?、セレスさん?、セレス様?!お願い聞いてッ!」
聞いていなかった。
レオンを無視して、先生の授業は進んでいる。
「イメージできましたか?できたら次は、その明るいものが頭の中からゆっくりと動き、首を通って右肩へ、右肩からお腹、そして腰を通って左足、そのつま先まで流れて・・・そんなふうに体の中をぐるぐると何週も回します」
「・・・」
ミーシャは黙ったままじっと目を閉じている。今、輝くものがじっと駆け巡っているところを想像しているのだろう。額に、じっとりと汗の粒が浮かんでいる。
「そして、最後に頭の中に戻って来たところで、詠唱を・・・神聖なる光の聖霊よ、暗き闇を払い、我が道を照らせ!“散歩する光明”!」
セレスの詠唱完了と同時に光球が出現し、天井の方へと浮かびあがる。頭上を漂う光がこれで二つになった。
「神聖なる光の聖霊ヨ、暗き闇を払イ、我が道を照らセ!“散歩する光明”!」
続いてミーシャも詠唱を完了する。
だが---何も起こらず、彼女の呪文は虚しく空に散った。
「ふみゃぁ・・・」
失敗してしまったミーシャが、悲しげに鳴いた。
「ふぅむ・・・。ミーシャさん、輝くものは何をイメージしていらっしゃいますか?」
「んート、ガラス?ランプ?蝋燭の炎とカ?」
「ふぅむ。悪くはないのですが・・・もっと明るい物のイメージはありませんか?」
「ふにゃう」
ミーシャは腕を組んで、むむむと考え込んだ。
そこへいい案があると、レオンが身を乗り出す。
「じゃあ、僕とセレスの未来なんてどう?」
レオンはじろりと睨まれた。それもセレスだけでなく、ミーシャからもだった。
『今、そういうんじゃないから』
二人の目は言葉よりも雄弁にそう言っていた。
レオンは下を向いて、子供っぽい仕草で足元の石ころを蹴飛ばした。
心なしか、天井に浮いている光球のうちの一つが翳った気がした。
だが、そんな彼を気にかけてくれる人はこの場にはいなかった。
「もっと自分の心に強く訴えかける、闇の中でも輝きを失わず、自ら光を放つ。ミーシャさんにとって、そんなものはありませんか?」
「・・・ッ!」
セレスにそう言われて、ミーシャには一つ思い当たるものがあった。
ミーシャはレオンにもらった胸のペンダント、青い宝石をしっかりと握りしめる。
どんな時でも太陽のように輝き、燦然とした光を放つ。
驚くほど簡単に、だがはっきりとしたイメージがミーシャの中で浮かび上がった。
「神聖なる光の聖霊ヨ、暗き闇を払イ、我が道を照らセ!“散歩する光明”!」
辺りをまばゆく照らす光球が、ミーシャの頭上にふわりと生まれた。
それは、レオンやセレスが喚び出したものと変わらない、強い光を放っている。
「やっタァァァッ!!!」
初めて魔術を成功させた獣人の娘が歓喜を爆発させ、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「よかったねぇ、ミーシャ」
「初歩とはいえ、これほど簡単に習得できるとは、ミーシャさんには魔術の才能があるかもしれませんね」
「ほんとウ?」
「ええ、本当ですよ」
そう言いながら、セレスは少女の頭を優しく撫でてあげた。
気持ちいいのか、照れくさいのか、ミーシャの三角の耳がへろんと垂れる。
「でも、なんかコレ・・・青くない?」
レオンが宙に浮く三つの光球を見上げ、呟いた。
彼らが喚び出したものが黄色っぽいのに比べ、ミーシャのソレは光りがなんとなく青みがかっており、全体として青白かった。
その正体を一目で察したセレスが、穏やかに微笑む。
「よろしいじゃありませんか。それが、ミーシャさんとっての光なのです」
そう言って、迷宮の奥への道を先導して歩き始めた。




