第二話:特別競売(オークション)と崩壊の旋律
凄絶な拷問が終わり、荒々しく投げ出された地下牢には、不快な血の匂いと腐臭だけが立ち込めていた。
冷たく湿った石造りの床に横たわり、私は荒い息を何度も吐き出す。
無造作にはだけさせられた胸元には、魔導搾乳器具が残していった黒紫色の生々しい鬱血の痕。両手の爪の隙間からは、いまだに『霊銀の生針』に貫かれた激痛の残濁が、神経を直接火で炙るようにチリチリと蠢き続けていた。
(……耐えきった。……まずは、計画の第一段階クリア……)
痛みにガタガタと震える指先を、血と汗で汚れた胸元へそっと添える。
皮膚の下、体内の魔力回路は熱波のような膨大なエネルギーを帯びてパンパンに膨れ上がっていた。
奴らが拷問のために体内へ注入した『魔導感応薬』。
そして搾乳器具の激しい吸引によって強制的に逆流させられた、高密度の魔力パルス。
本来ならエルフの精神を崩壊させ、廃人へと変え果てるはずのその過剰魔力を、私は前世で培った理系的な解析思考によって、自分の体内の魔力回路へ力任せに『圧縮・保持』し続けていたのだ。
(感応薬による回路の過熱状態を利用した、高圧魔力のバイパス成形……。外部からの排圧に頼らず、体内のルーン干渉領域に閉じ込める……!)
喉の奥から込み上げる不快な血の味を飲み込みながら、私は視線だけで暗い檻の奥を見やった。
そこには、生気のない瞳で肩を寄せ合う、幼いエルフの少女たちがいた。
昼間の拷問を見せつけられ、恐怖と絶望で声を殺して震えている。かつて豊かな森の中で、澄んだ声を響かせて歌を歌っていたであろう少女たちの肌にも、容赦ない鞭の痕と『管理識別番号』の焼印が刻まれていた。
「……ひ、姫様……っ」
かすれきった声で、一番小さな少女が私に向かって小さく手を伸ばそうとする。
だが、首元に嵌められた重い鉄鎖がジャラリと不快な金属音を立て、彼女の繊細な動きを虚しく遮った。
「泣かないで……大丈夫よ」
私は声帯を襲う激痛を押さえつけ、かすれた声で静かに、けれど力強く囁きかけた。
血塗られた唇で浮かべたその小さな笑みに、少女は息を飲んで目を見開く。
「もうすぐ……すべて終わるわ。あなたたちの奪われた名前も、見上げることも許されなくなった青空も……私が絶対に、取り戻してあげるから」
少女は震える口元を小さな両手で覆い、ぽろぽろと大粒の涙を零しながら、何度も何度も強く頷いた。
(見ていて、お母さん。……私は二度と、大切なものを踏みにじらせない)
前世で母の優しさに甘え、逃げ出すように命を投げ捨てた己の情けなさ。
今世の母上が、己の血と肉を撒き散らしてまで私に繋いでくれた『生』の重み。
ふたつの記憶が私の胸の奥で荒々しい渦を巻き、体内に圧縮された過渡魔力をさらに凶暴に、殺意に満ちた輝きへと研ぎ澄ませていく。
首元に食い込む『魔導封印の首輪』が、内部の術式回路に溜まりかけた極限の過充電に耐えかね、チリチリと不気味な火花を散らし始めていた。
システムクラッシュまでのカウントダウンは、すでに始まっていた。
そして翌夜、地下監獄の重い鉄扉が、鈍く重厚な音を立てて開け放たれた。
「おい『704号』! お時間だぞ、立て! 今夜のメインディッシュ様のお出ましだ!」
泥酔した見張りどもによって枷を乱暴に外され、私は布切れ一枚の姿のまま、豪華な金めっきが施された金属檻へと乱暴に押し込められた。
檻は厚手のベルベット生地で作られた黒布で上からすっぽりと覆われ、車輪の不快な重い振動とともに、長く暗い廊下を引きずられていく。
不快な人工アロマの香り。肥満した男たちの低く下品な笑い声。高価なグラスが触れ合う軽快な音。
黒布の隙間から漏れ出す眩しい光とむっとする熱気が、ここが帝国の影を牛耳る『地下闇競売場』であることを饒舌に物語っていた。
ガタリと大きな揺れとともに舞台の中央へと檻が据え置かれ、合図とともに黒布が一気に引き剥がされた。
眩いばかりの魔導照明の光が、私の視界を容赦なく刺した。
目の前に広がっていたのは、金と欲望に目を血走らせた人間の高貴な貴族、悪徳豪商、狂気的な魔導士たちの醜悪なひな壇だった。
「紳士淑女の皆様! 今夜のオークションの最後を飾る最高の目玉、滅びしシルヴァニア王国の第一王女、エリシアの登場です!」
司会者を務める丸々と太った肥満男が、大袈裟な身振りと身の毛もよだつような扇情的な声を張り上げる。
「ご覧ください、この極上の銀髪と透き通るような白磁の肌! 純潔でありながら、我が帝国の誇る特製感応薬によって極上の『霊薬体液』を永久に産み出し続ける『最高級の繁殖用家畜』! 買い取れば、若返りの霊薬も、血統の維持もすべて思いのまま! 競り値は金貨三千枚からスタートです!」
「五千枚だ! 我が館の地下室に閉じ込め、死ぬまで子供を産ませてやる!」
「七千枚! あの生意気な目を泣き叫ぶまで痛めつけ、我が家臣たちの見せ物にしてやる!」
「一万枚! エルフの姫の生き血を毎日啜って、老いたこの身体を若返らせてやるぞ!」
怒号のような醜悪な欲望が、濁流となって私に向かって浴びせかけられる。
欲望に濁った無数の視線が、傷と泥に塗れた私の身体を汚らしく舐め回す。
人間の浅ましい欲望。命を、血を、尊厳を数値で推し量り、買い叩こうとするこの汚らわしい世界。
(……買い取った? この私を……“家畜”として?)
私はゆっくりと、伏せていた頭を上げた。
血と泥に塗れた銀髪の隙間から、冷徹な死の光を宿した黄金の瞳で、ひな壇の上に並ぶ豚どもを見下ろす。
価格が金貨二万枚を超え、会場の熱気が絶頂に達したその瞬間。
私の首元で、限界を超えて圧縮され続けていた過充電魔力が──ついに『完全暴走』の閾値へと到達した。
──バチィッ!!
鋭く空間を裂く放電音が、喧騒に包まれていた競売場全体に響き渡った。
「な、なんだ!? 首輪から火花が……!?」
司会者の男が興奮を中断され、狼狽しながら後退る。
(過充電回路、完全展開。封印術式プロトコル──内部干渉による完全破砕システムクラッシュ)
体内で高密度に圧縮されていた致死量の暴走魔力が、首輪のセキュリティ回路を内側から一気に焼きちぎり、外側へ向けて爆発的に解き放たれる。
カツン、と乾いた金属音が虚しく響いた。
絶対不可侵の術式を誇っていたはずの『魔導封印の首輪』が、真っ二つに叩き割れて冷たい石畳へと転がり落ちたのだ。
「ひ……首輪が、外れた……!? 馬鹿な、古代の封印術式が破れるはずが──」
完璧な静寂が、競売場全体を支配した。
枷を失った私の背後で、かつてシルヴァニアの王城を満たしていた、蒼白く神聖な古代魔力が圧倒的な奔流となって立ち昇る。
傷だらけの肌から噴き出す光の柱が、私を覆っていた泥と血汚れを綺麗に洗い流すように美しく輝いた。
「な、何を解き放ったんだ! 捕まえろ! 早くその家畜を殺──」
叫びかけた司会者の男の首が、次の瞬間には存在していなかった。
私が軽く指先を滑らせただけで発生した真空の魔力刃が、男の太い喉元を寸分の狂いもなく切断したのだ。
どっと血飛沫が舞い上がり、凄絶な悲鳴と狂乱が会場を一瞬で包み込む。
「ひぃああああっ!? バ、化け物だ! 逃げ──」
「逃がさないわ」
静かで、けれど世界のすべてを氷漬けにするような冷酷な声が、旋風となって競売場を吹き抜けた。
重力を置き去りにし、私は宙へとゆっくりと浮き上がる。
解き放たれた古代魔導の奔流が、私の銀髪を神々しくなびかせ、その瞳には二つの人生で培われた絶対的な殺意と誇りが激しく燃え盛っていた。
「私は704号ではない。……シルヴァニア第一王女、エリシア・ド・シルヴァニアだ」
天高く掲げた右手に、圧縮された極大の古代攻撃魔法『星崩の終焉』の光球が眩しく形成されていく。
「私から奪った名前も、尊厳も、同胞たちの流した涙も……その汚らわしい命と魂で買い叩いた罪とともに、すべてこの地獄ごと更地にしてあげる」
絶望に顔を引きつらせ、逃げ惑う悪徳貴族どもを見下ろしながら、私は冷酷に指先を振り下ろした。
次瞬──世界を白く染め上げる圧倒的な光と破壊が、汚らわしい競売場を影ごと呑み込んでいった。




