第三話:更地の上の約束と、反逆の狼煙
光と爆音、そして天を突くような轟音が止んだ時。
そこにはもう、煌びやかなオークション会場も、泥塗れの地下監獄も、醜悪な笑みを浮かべていた豚どもも存在していなかった。
視界いっぱいに広がっていたのは、月光に照らされた、見渡す限りの巨大なすり鉢状の更地だった。
瓦礫すら残らない。
私を『家畜』と呼び、命や血を買い叩こうとしていた悪徳貴族や豪商たちは、声を与える隙もなく分子レベルで消滅したのだ。
しんと静まり返った夜気の中、私は宙からゆっくりと地面へと降り立つ。
白磁の肌にまとっていた泥と血は、解放された古代魔導の奔流によって完全に消し去られ、傷だらけだった皮膚も溢れ出る魔力で綺麗に再生していた。
月光を反射して青白く輝く純銀の髪が、夜風に心地よくたなびく。
(……前世の私、見てる? もう逃げない……踏みにじられたままでなんて、絶対終わらせない)
胸の奥で、前世と今世の二人の母の面影が、私を優しく見守るように微笑んだ気がした。
私は思考を切り替え、更地の端へと視線を向ける。
そこには、私が発動直前に間一髪で魔力障壁を張って保護した、地下牢の鉄檻だけがポツンと残されていた。
「ひ……っ! あ、あ……っ」
鉄格子の中でガタガタと震えていたのは、幼いエルフの少女たちだった。
目の前で巨大な建築物と人間たちが一瞬で蒸発した光景を目撃し、絶句して私を見上げている。
私は静かな足音を立てて檻へ近づき、その頑強な鉄格子へそっと手を触れた。
──パリリンッ!
触れた瞬間、重厚な魔導鉄でできた檻が、ガラス細工のように脆く砕け散った。
少女たちの首に嵌められていた奴隷の首輪も、私の指先から放たれた極小の魔力パルスによって次々と跳ね飛んでいく。
「もう……誰もあなたたちを縛れないわ」
膝を折り、目線を合わせながら優しく微笑みかける。
一番小さな少女が、溢れ出る涙を拭おうともせず、掠れた声で私を呼んだ。
「ひ、姫様……! エリシア姫様……っ!」
「ええ、そうよ。私がエリシア。……約束したでしょう? 奪われた名前も、見上げる空も、絶対に私が取り戻してあげるって」
少女たちは感情を爆発させるように声を上げて泣き出し、私の胸へと飛び込んできた。
華奢な身体を抱きしめ返しながら、私は彼女たちの頭を穏やかに撫でる。
──だが。
この地獄のオークション施設を更地にした程度で、私の復讐が終わるわけではない。
ズズズ……と遠くの闇から、地鳴りのような行軍音が近づいてくるのが聞こえた。
爆発の異変を察知し、近隣の帝国駐屯地から駆けつけてきた『エルフ管理部隊』の重装騎士団──およそ五百の精鋭兵たちだ。
「な、なんだこの惨状は……!? オークション会場が跡形もなく消えている……!?」
「おい、あそこに立っているのは……704号か!?」
「首輪が外れているぞ! 全員、武器を構えろ! 反逆者を拘束……いや、殺せ!!」
怯えを覆い隠すように叫び、剣や魔導槍を構えて雪崩れ込んでくる鉄の集団。
私の背後で、幼いエルフたちが恐怖で身をすくませる。
「大丈夫……後ろに下がっていなさい」
私は少女たちを背中に庇い、静かに前へと歩み出た。
五百の精鋭? 重装騎士団?
──ふふっ、滑稽ね。
首輪という『抑制バリア』を完全に破壊した今の私にとって、人間ドモの兵力など、ただの枯れ葉の山と同義だった。
「命令を下すわ。……跪きなさい」
私が可憐な唇から放ったのは、魔法の詠唱ですらないただの『言霊』。
けれど、そこに込めたのはシルヴァニア王族の真祖たる絶対的な威圧。
ドォンッ!!
「ぐあああぁぁぁっ!?」
「重力が……身、身体が動か──ッ!?」
空間そのものの質量が一瞬で跳ね上がり、迫り来ていた五百の騎士たちが、一斉に地面へと叩きつけられた。
甲冑が悲鳴を上げ、地面にめり込みながら血を吐く人間たち。
誰一人として、指先一つ動かすことすら許されない。
私は身動きの取れない騎士団の長──隊長らしき男の前にゆっくりと立ち止まり、冷酷な黄金の瞳で見下ろした。
「ひ……ひぃっ……! 化け物……っ!」
「化け物? いいえ、ただの『エリシア』よ。あなたたちが“家畜”と蔑み、血と体液を絞り取ろうとした、エルフの王女」
私は隊長の顔へ指先を向け、冷ややかに告げる。
「命だけは残してあげるわ。……帝国の皇帝と、私を『繁殖豚』として台帳に登録した愚か者どもに伝えていらっしゃい」
夜風が私の髪を揺らし、周囲に蒼白い古代魔導のルーン文字が神々しく浮かび上がる。
「──『個体番号704号』は死んだ。ここにいるのは、奪われたすべてを回収しにいく復讐者だ、とね」
指先を軽く鳴らすと、圧倒的な衝撃波が騎士たちを吹き飛ばし、夜の闇の彼方へと排除した。
更地に再び訪れた静寂。
私は震える少女たちの手をしっかりと握り締め、遠くに見える帝国の首都──かつて私たちの故郷を踏みにじった中心地を見据えた。
絶望の時間は終わった。
これから始まるのは、世界を統べる理不尽な構造そのものを叩き潰す、極上の大逆転劇だ。




