第66話:浮気女を脅す
『──おい、警察!? なんでこんな早く、がはっ!?』
『動くな! 警察だ! 武器を捨てろッ!』
『や、やめろ……ッ! 離せッッ!』
突如、スピーカーから響き渡ったのは、さっきまで学校を占領したと息巻いていた男たちの、無様な悲鳴。
ドカドカという激しい足音、何かが激しく転倒した騒音。
そしてガシャーンとガラスが割れるような派手な音が、音割れしたマイクを通して全校舎に生々しく伝わってくる。
『ピンポンパンポン──、』
やがて、そんな間の抜けた電子音と共に、乱暴に通信が切れる音が響き、教室内は水を打ったような静寂に包まれた。
「え……? 嘘、だろ……?」
誰かが呆然と呟いた。
不審者が侵入したという隠語の放送が流れてから、まだ十分も経っていない。
人質だの身代金だのと、脅迫染みた放送が入ってからは、三分も経過していないはずだ。
「早すぎるだろ……いくらなんでも」
「もう警察が来たの? ──そんな早いことってあり得るか!?」
さっきまで俺を犯人グループに差し出そうとパニックになっていたクラスメイトたちが、困惑と驚愕の表情で顔を見合わせている。
当然の疑問だ。
普通、どれだけ急いでも十五分から二十分はかかる。
まるで、最初からこうなることを知っていて、校門のすぐ外で待機していたかのような早さだった。
「……ひーくん?」
俺の制服の袖を掴んだまま、妃菜が不安そうに顔を覗き込んできた。
涙の膜が張った瞳には、恐怖だけでなく、あまりの急展開に対する戸惑いが浮かんでいる。
俺は掴まれたままの妃菜の小さな手に、そっと力を込めて握り返した。
そして、まだ息の荒いクラスメイトたちの前に立つ。
「もう大丈夫。警察が来たから」
「なんでそこまで冷静なんだよ……!」
「言っただろ、『もう少し、迷惑をかけていいかな』って」
「え……?」
混乱と戸惑い、様々な感情が混ざりあった声があちらこちらで漏れる。
「全部計画通りだから」
俺が静かにそう告げる。
妃菜だけでなく、この教室にいた全員が目を見開いた。
「平野……お前、知っていたのか?」
担任の驚きに満ちた声を背中で受け止めながら、俺は数日前の出来事を思い出していた。
◇
冬美が迫ってきた日の次の日。
部活を終えた俺のスマホに、とあるアカウントから一件のダイレクトメッセージが届いた。
『どこに行けばいい』
最初は既読スルーを繰り返していた。
しかし、俺の一件のメッセージで豹変する。
『お前が浮気をしたことの証拠を持っている。これがどういう意味か、わかるよな?』
それ以降『既読』はつかず、ずっと沈黙していた。
ついに来た返信は、俺の想定通りだ。
「本当に来てくれたんだ」
「だ、だって……従わないと私の立場が……」
いつもそうだ。
何よりも自分が大切──それは大事なことだ、が、そのせいで他人を簡単に裏切る。
強者の味方について嘲笑う。
この性格が、ここまで魅力的に感じたことはなかった。
「単刀直入に言う。お前──冬美、龍生を裏切ってくれ」
「は、はぁ……っ? 言ってる意味がわからないんだけど」
「そのままの意味だ。龍生を裏切れ。従って貰わないと──」
言いながら、俺は一つのを見せる。
サッカー部の人達に協力してもらって得た、龍生と冬美の浮気の証拠。
それを見た途端、冬美の顔がゾッと青ざめた。
「違う! 違うの、本当に……!」」
「何が違うって? これを見たら誰でも真実を知ることができる」
「わ、わかった……わかったから、その画像を消して」
「俺の言うことを聞いたらな?」
誰が浮気女の言ったことを信じるか。
散々使ってやる。
「……じゃあ、それでいい」
「ありがとう。冬美には龍生の行動を見張っておいてほしい」
「もし怪しいことをしていたら、響にメッセージを送る──それでいい?」
「うん。──それはさておき、今知っていることは何かないか?」
「──ッ!」
一瞬だったが、冬美の表情が歪んだ。
それを俺は見逃さなかった。
「知っているようだな。全て吐け。そしたら画像を一枚消してやる」
「……何枚あるの?」
「6枚」
「私が先に見せるから、そしたら消してくれる?」
「いいよ」
冬美が震える手で差し出してきたスマホの画面には、龍生のSNSの裏垢が映っていた。
冬美とのデートの画像や俺への悪口。
鍵垢だが、不用心すぎる。
その中で、一つの投稿が目に止まった。
『決行は次の木曜。平野響を拉致して、ボコボコにして学校にいられなくしてやる。学校の連中は適当に脅して、人質にすればいい』
画面に並ぶ最悪な言葉の数々に、俺は思わず目を細めた。
あいつは、自分のプライドを満たすためだけに、学校全体を巻き込む暴挙に出ようとしていたのだ。
「このままだと龍生くん捕まっちゃう……」
涙目で訴えかけてくる彼女を見て、俺はあいつの浅はかさに心底呆れると同時に、完璧なカウンターのプランを脳内で組み立てていた。
「わかった。情報は助かったよ」
「お願い……龍生くんを止めて」
それを元カレに言うのか。
まあ、いいだろう。
元から龍生を地獄に落とす策はできている。
それを実現させるには、今退場されても困るからな。
「冬美は何も知らなかったフリをしろ」
「え……?」
「いつも通り龍生の横にいればいい。あとのことは、全部俺が片付ける」
「ありがとう、ありがとう」と肩を揺らして泣く冬美が、とてつもなく惨めに思えた。




