第65話:人質と身代金
今回、第65話に出てくる『水樹』は第21話・第22話に出てきます。
最近、龍生の様子がおかしい。
部活を追放され、クラスでも完全に孤立しているあいつだが、ここ数日は妙にニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべてこちらを睨んできていた。
その日の五時間目の授業中。
チョークが黒板を削る単調な音と、担任の眠気を誘う声だけが教室に響いていた。
俺がノートの隅に次の練習メニューを書き殴っていた、その時だった。
『──ピンポンパンポン』
突如、スピーカーから校内放送のチャイムが鳴り響いた。
授業の終わりを告げるチャイムではない。
どこか緊迫した不自然なタイミングだ。
先生が黒板を書く手を止め、冷静さを見繕ったような教頭先生の声が全校舎に響き渡る。
『保健体育科の田中先生、至急、北側の通路へ向かってください。繰り返します──』
その放送を聞いた瞬間、教室の空気が一変した。
それは、避難訓練で何度も聞かされた『学校に不審者が侵入した合図』の隠語だったからだ。
「え……嘘でしょ? 本当に入ってきたの?」
「おい、今のってあの放送だよな!? 避難訓練って今日だったか!?」
さっきまでの退屈な空気が消し飛び、クラスメイトたちが一斉に慌てふためき始める。
担任が「静かに! 席を立つな!」と声を張り上げる。
しかし、窓の外を確認しようと立ち上がる奴、急いで前後の扉の鍵を閉めに向かう奴で、教室内は一瞬で軽いパニック状態に陥った。
北側の通路。
セキュリティの弱点──来賓用として常に開け放たれている門から、まっすぐ中に繋がっているあの動線だ。
あそこからなら、簡単に侵入できてしまう。
「……っ」
ガタッと椅子の音を立てて、妃菜が俺の方へと駆け寄ってきた、
いつもなら学校では滅多に関わってこないが、今は見たこともないほど顔を青ざめさせ、怯えたように俺の制服の袖をぎゅっと掴んでくる。
震える瞳が、助けを求めるようにまっすぐ俺を捉えていた。
机の下に隠れようとする周囲の混乱に包まれる中、俺は妃菜の小さな手をそっと握り返し、廊下の奥へと冷たい視線を向けた。
『あー、あーッッ! 聞こえるかァ?』
放送からチャイムもなく男の声が聞こえる。
この学校の教師ではない、全く知らない声だった。
放送機器の使い方も知らないのか、爆音のせいで音割れが酷い。
『この学校は俺たちが占領? 制圧? ──まぁいい! とにかくお前たちは人質だ。解放されたければ、今すぐ平野響を放送室まで連れてこいッ』
「…………」
教室に静寂が訪れるが、すぐに嵐の如く荒れた。
みんな、自分のことだけを考えて、俺をすぐに差し出そうとしてくる。
俺は全校生徒を解放するための、いわば身代金のような存在らしい。
「平野……、悪いが捕まってくれ」
「そうよ。あなたが捕まれば私たちは──」
俺がクラスに馴染める兆しを見た途端にこれだ。
理不尽という言葉でも言い表せない。
手が震える。
周りの目が怖い。
誰も、俺を心配してくれない。
と、目を瞑った刹那──
「口を閉じろッ」
担任が珍しく声を張り上げる。
ダウナー系だが、やる時はやる男だ。
「お前ら正気かよ。響を差し出したとして、僕たちが本当に開放されると思ってるのか?」
クラス委員長の水樹も声を上げた。
次に、妃菜、恋春と、俺の味方は徐々に増えていく。
俺は──
「もう一人じゃないんだな……」
目頭が熱くなるのを感じながら、俺は拳を握りしめた。
「ごめん。俺のせいで……もう少し、迷惑かけていいかな……?」
恐る恐る顔をあげる。
先程まで鋭い視線を向けてきた奴らも、清々しい──とまではいかないが、少しは落ち着いたような表情を浮かべていた。
どうしてこんなに冷静んだ。
彼らへの感謝と共に、ふと思う。
だが、今はそれどころじゃない。
立ち向かう準備はできた。
俺は簡単に身代金になる気はなかった。




