第53話:龍生のこと、裏切らない?
新学期は、どこか気怠い雰囲気で始まった。
夏休みの終わりを悲しんでいるからか──それとも、俺が絶望の中心にいるが故に錯覚しているからか。
答えはわからない。ただ、治まらない吐き気のせいで、いちいち気にしてはいられない。
妃菜はと言うと、自分の席から動かず、ずっとスマホを操作している。
誰かとチャットでもしているのだろう。
だが、彼女は俺を裏切った──ということは、敵だ。
目障りなので早く消えて欲しいものだ。
「……ッ」
相変わらず吐き気が酷い。
無理して登校したせいか、頭が金槌で叩かれているように痛む。
俺は少しでも治すためにも、軽い睡眠を取ることにした。
◇
『一緒に響を滅茶苦茶にしない?』
私が送ったメッセージは、『既読』になったまま返信がない。
まあ無理もないだろう。
なんたって相手は恋春だ。妃菜──のことを、この世で誰よりも警戒しているに決まっている。
(ひーくんとまた、話したいな……)
私は響をどん底に落とした屑だ。
彼の前に立てるのは、龍生や冬美──響を取り巻く『絶望』を全て間引いてからと決めてある。
などと考えていると、スマホが無音のまま震えた。
『いいよ』
たった三文字。
幼い頃は毎日のように遊んでいたというのに、今はこのザマ。
私って、死んだ方がいいのかな。
みんなを苦しめて、大切な人ひとりも守れずに……
反吐が出るような鉄の味が、口の中を満たした。
どうしていきなり。と思うのと同時に、自分が噛んだからか──と理解が追いつく。
『──ここに来て』
チャットに、追加でメッセージが送られてきた。
公園を指す地図と、詳細について。
私の計画は、彼女を味方にできたら完成する。
魂の底から嗤いが込み上げてきた。
◇
「こうやって真面目に話すのは久しぶりだね」
いつもの小悪魔的な様子は一切なく、代わりに何かを見透かそうとする鋭い目を、恋春は浮かべていた。
「小学校ぶりだね。──その、あの時はごめん」
「いいよ。妃菜の考えていることも、わからなくはないから」
「でも、ごめん。これは自分自身にケジメをつけるために言ってるの」
そこまで言うと、恋春は黙り込んでしまった。
刹那、彼女の瞳を涙の膜が覆う。押し出すようにして、雫が頬を濡らした。
「よかった……。妃菜に嫌われたと思ってたから……っ」
(なんでそんな顔するの? 私はあなたを騙して呼び出したのに──)
勝手に裏切られたような気になって、そんな自分に心底腹が立った。
言い訳でしかないが、響の隣にいないと、自分の感情を制御することができない。──いつも頼ってきた代償だ。
「妃菜はいいの?」
何が?
言いかけて、慌てて呑み込む。
「ひーくんのこと?」
「うん」
「私はひーくんを裏切らない。騙したのは申し訳ないけれど、それだけは曲げられない」
私の言葉を聞いて、恋春の顔が分かりやすく曇った。
「やっぱり、妃菜は私のことを人として見てくれてないんだね」
「違っ──」
「何が違うの? 私に平気で嘘ついて……」
「ここに呼び出したのは、恋春のためでもあるの」
今度は嘘ではない。
私が求めるのは、屑達を地獄に落とすことであって、大切な人を傷つけるのは御免だ。
「ねえ、恋春──」
この一言を、ずっと躊躇って言えなかった。
でも、響に愛想を尽かされてようやく勇気が出た。
「龍生のこと、裏切らない?」
言い切ったのと同時に、恋春からは「は?」という声がこぼれ落ちる。
意図せずに出たものということは分かっているが、それでも胸にずっしりと纏わりつく。
それでも──
「龍生は思わせぶりなことをして、女の子を弄んでいるんだよ?」
「それが?」
知ってるけど。と言わんばかりの表情で返される。
「恋春はそれでいいの?」
「…………言いわけないじゃん」
「だったら──」
「私を愛してくれるのは、この世で龍生くんだけ。それが偽りの愛でも、私には生きる価値そのものなの」
私のせいだ。元はと言えば、私が恋春を突き放さなければ、今のようにはならなかったはずだ。
後悔。
今はもうどうすることもできないから、悔やむことになるんだ。
やり直せるなら、後悔なんてしなくて済んだはず。
「恋春はもう、止まる気はないの?」
「私のことを愛してくれる人がいるなら、龍生に縋る必要はなくなる」
「へ?」
思わず間抜けな声が漏れた。
恋春は……龍生にこだわりがない?
ただ、心の拠り所があればそれでいいんだ。
「そうだ──平野響のこと、私が貰っちゃおうかな?」
「駄目ッ!」
私の声は、夕方の公園に響く。
すぐに誤魔化そうとしたが、その時にはもう遅かった。




