転機
走る僕を、通行人が避けていく。
鍵を開けるのももどかしく自宅に入ると、もう限界だった。
「うっ、うわぁあ……」
ぱた、ぱたと涙が床に落ちる。
苦しい。
好きなのに、好きだから、離れるしかなくて。
あの香水も、脱退した夜に捨てた。
そんなことも知らないだろ。
暗い部屋で、自分の苦しさを吐き出すように泣く。それしかできない。
それしかできない奴なのに。
なんで僕のことを歌ってくれるんだ。
絶対に届かないのに、自分の感情だけでこんなに思い焦がれて、馬鹿みたいだ。
「共に春を」と歌う声が頭にリフレインする。
トモ、と僕を呼ぶ声がよみがえる。
外がすっかり暗い。
泣き疲れた頭がぼうっとする。
よろよろと立ち上がった時、携帯が鳴った。
画面に、後輩の名前。
「もしもし」
涙声を抑えて取り繕う。
「主任! すみません明日って空いてます?」
「え?」
「急なんですけど、友達が体調崩してライブいけなくなったんです、だから空いてたらどうかなーって」
「他の友達とか」
「いやもう連絡しましたよー! 友達に兄弟、親にまで片っ端まで声かけたのに皆都合悪くて」
「うーん......」
落ち着いた態度を装ってたけど。
頭は混乱していた。
デビュー前に逃げた奴が、しれっとライブを観に行く?
それは、どうなんだろう。
めちゃくちゃ迷惑をかけたのに。
でも......あれから5年経って、3人は僕の不在なんてもう関係なく成功していて。
だけど、それでのこのこ観に行くのは......いいんだろうか。
行ったって、つらくなるだけかも。
でも、でも、でも。
無言の僕に、後輩は手応えを感じたのか、電話の向こうでライブの魅力を語り続ける。
「新曲もやるらしいんですよ、あの、『香水』」
「え、じゃあ......行くよ」
喜ぶ後輩。
僕は悩んだ割に、あっけなく陥落した自分に驚いていた。
でも、天啓のように感じたんだ。
あの曲を、生で聴きたい、って。




