智春
明がスタジオを出て、僕は紙コップを片付ける。中のお湯は冷え切っていた。
マサも「疲れたぁ」と帰って、僕も続こうとしたが、蓮司さんに肩を叩かれた。
「トモ、少し話せるか?」
「え……ああ、はい」
連れて行かれたのは、蓮司さんの自宅だった。
途中コンビニで酒を買い込んだのは僕の口を割らせるためだったらしい。酔いがまわった頃、蓮司さんは俺に詰め寄ってきた。
「トモ、バンドやめようと思ってるだろ」
「え?」
どきり、とした。
「いや、そんなことないですって」
「なに溜めこんでんだ。誰にも言わないから吐けよ」
「なんもないですって」
「ドラムに出てんだよ。苦しいんだろ。
明もカリカリしてるし、やりにくいんじゃないのか?」
「いや、明のせいではないです……」
「ホントか?」
ホントのことなんて、言えるわけがない。
そう思ってたのに、心が揺らぐ。
言ってしまおうか。
迷ううちに、蓮司さんはタバコに火をつけ、煙とともに深い深いため息をついた。
「――お前みたいなやつは、我慢して我慢してある日突然消えるんだ。
俺は、せめて理由だけでも知っておきたい」
僕はぎゅっと目をつぶった。
「僕、あいつのことが好きなんです。友人として、じゃなくて」
「そうか」
思ったより平坦な返事に、目を開ける。
「……驚かないんですね」
「うすうす気づいてたからな」
「引かないんだ?」
きっと、僕はみっともない顔をしている。
蓮司さんは僕の頭をくしゃくしゃとかき回した。犬みたいな扱いだ。
「それで引くほどお前のこと嫌いじゃないよ」
あたたかい言葉。喉の奥にこみあげるものを必死で飲み込む。
「……はは、『嫌いじゃない』かぁ。僕も蓮司さんみたいに人間できてたらなぁ」
僕なんか、明のことが好きすぎて、苦しくて、「どうして望みがないのに好きになったんだろう」って、怒りにも似た感情を抱いているのに。
蓮司さんは、冷えたビールを僕の頬に当てた。
「なに馬鹿言ってんだ。俺は顔に出ないだけだ。びっくりはした」
「全然見えない」
僕はふふっ、と笑った。
先輩はつられて笑い、数秒後、真顔になる。
「最近の不調はそのせい、なんだな」
「――はい」
認めると、もう止まらなかった。
高校で明と出会って、バンドを始めて、デビューも決まって。
うまく行っているのに。
明が曲の途中で俺を振り返って、笑うだけで見とれて、苦しくなってきた。
曲の間だけは、俺達は一体だと思っていたのに、だんだん観客の数が増えて、明が注目されて。
仁美さんのことだって、最初は祝福できてたのに、今は帰ったら明は彼女のものなんだと思うと、たまらなく嫌で。
僕だけを見ていてもらいたい、時が止まればいいのにと本気で思う。リズムを刻んでいるのは僕だ、僕がいないと明は歌いだせないはずだ。
ダメだとわかっているのに、試すように手が止まってしまう。
曲が始まったら、終わってしまうから。
「こんなの、明とドラムに対する二重の裏切りだ。僕はもう、音楽をやる資格がない」
蓮司さんは僕の肩をぽんぽん、と叩いた。
「俺はお前とリズム隊やるの好きだけどな。それはお前が楽しんでるのが大前提なんだ。苦しむのは見たくない。それに……」
蓮司さんは酒を飲んで、沈黙した。
優しいな、と思う。
「不調のドラマーがいるままでは……これからのプロの世界、通用しないだろう」
蓮司さんが言うのをやめたのは、つまりはそういうことだろう。
僕は笑顔を作った。
「うん、やっぱりもう明のそばにはいられない。
ごめんなさい、蓮司さん。
僕、バンドやめます」
言った後、肩が軽くなった。
だけど、悲しんでいるであろう蓮司さんの顔からは、目を逸らした。
「わかった。
この後どうするのか決めてるのか」
「しばらく一人で考える」
帰り支度をした僕に「おい」と声がかかる。
「バンドやめたって、お前は大事な友人だからな」
「ありがと。……蓮司さん、電話鳴ってるよ」
「また連絡しろよ」
曖昧に笑って、ドアノブから手を離す。
その、数秒の間。
「明? どうした?」と電話の声が聞こえたけど。
もう僕に続きを聞く資格はなく。
ドアは、パタンと閉まった。




