第6話 六日目「勇者は手紙を捨てられない」
勇者へ届いた最初の命令は、怪我人を置いて先へ進め、だった。
「これ、届け先を間違えていませんか」
ミロは寺院の封がついた紙を、裏返して確かめた。
「右手に印がある勇者ミロへ、と書いてあります」
「僕です」
「では、正しく届いています」
ミロは紙端を空へ透かし、中継所三か所の小さな配達印も指で追った。
「偽物では」
「残念ですが、正規の便です」
「正しく届いたことが、あまり嬉しくないです」
六日目の朝。
俺たちは、井戸の横に赤い屋根がある村へ着いた。
ミロが薬を届ける家だ。
宝箱は約束どおり、村までついてきた。
村の手前で取った短い野営の間に、ミロが銅貨を削って飾りを作り、箱の蓋へ取りつけた。
今は赤い屋根の軒下で得意げに開閉している。
家の子どもが三人、そのたびに拍手した。
配達は終わった。
箱も満足した。
本来なら、昼前には次の街道へ出られるはずだった。
ところが、俺たちが旧関所にいた昨日の夕方、村の水車小屋で梁が折れた。
屋根が落ち、村人六人が怪我をしている。
届けた薬は寝込んでいた老人の分だったが、包帯も人手も足りない。
そこへ寺院の白い鳥が降りてきた。
脚へ結ばれていた命令書には、事故直後に街道の中継所から届いた第一報として、
『水車小屋の事故。軽傷六名。村内で処置可能』
と記されていた。
そのうえで、次の町の祝福式と百日の行程を優先し、西へ急げとある。
『勇者の遅延は、街道全域の避難計画へ影響する。村内で処置可能な負傷者は村へ委ねよ』
丁寧な字だった。
内容が冷たいほど、字は整うらしい。
ミロは命令書と、赤い屋根の奥を見比べた。
家の中では、腕を吊った男が床へ座っている。
額を切った女が、痛みをこらえながら別の負傷者へ水を運んでいる。
子どもたちは宝箱で遊びつつ、何度も室内を振り返っていた。
軽傷六名。
村内で処置可能。
紙の上では、そうなっていた。
「祝福式は、何をするんでしょう」
「寺院の前で剣を掲げ、町の代表から花を受け取るそうです」
「怪我人は治りますか」
「花の種類によりますね」
「治らないほうですよね」
冗談の確認が早くなった。
俺は地図を広げた。
ここで一日使っても、黒曜城までの日程は戻せる。
だが寺院の式へ遅れれば、ミロが勇者として公に認められる機会を失う。
アルマから渡された古い記録では、勇者印は、本人の行動を他者が《勇者》と認めるほど形を強める。
その記述どおりなら、百日目に一撃を届かせるには、公の承認が要る。
少なくとも、俺はそう踏んでいる。
ただし、式で花を受け取るだけで足りるとは、どこにも書かれていなかった。
目の前の六人を置いて花を受け取れば、見た目だけは勇者へ近づく。
「勇者様。決めるのはあなたです」
俺はそう言った。
本当は、先へ進ませるべきだった。
敗北係としては、迷う余地がない。
ミロは命令書を折り、鞄へしまった。
「配達人は、届け先に人がいなければ待ちます」
「これは配達ではありません」
「僕がここへ来なければ、薬も届きませんでした」
赤い屋根の子どもが、宝箱の蓋へ銅の飾りをもう一つつけようとしている。
箱は嫌がって脚をばたつかせていた。
「今日だけは、まだ配達人でいさせてください」
断れなかった。
俺たちは村へ残った。
治癒師はいない。
俺にもミロにも、魔法は使えない。
できるのは、自分で歩ける者と歩けない者を分け、水を運び、包帯を切り、必要な家へ荷車を回すことだけだ。
ミロは水筒、包帯、薬包を、自分の鞄へすべて詰め始めた。
肩紐が食い込み、身体が傾く。
「六軒分を、一人で運ぶつもりですか」
「僕が残ると決めたので」
「残った人が倒れたら、怪我人が七人になります」
ミロは鞄と、手の空いている村人たちを見比べた。
少し迷ってから、包帯と水筒を一つずつ預ける。
助けを求める声からは逃げない。
代わりに、全部自分で背負おうとする。
善人にも、手順は要る。
親指と中指を二度鳴らした。
泣き声も怒鳴り声も、運ぶ者、待つ者、知らせる者へ分けると仕事になる。
事故の現場では、何も起きない食卓より息がしやすい。
役に立つ欠点ではある。治すべき欠点でもあった。
ミロは家々を回った。
「歩ける方は井戸の前へ。歩けない方は、扉へ白い布を結んでください。荷車が順に回ります」
配達の確認口調が、そのまま人を動かす。
俺は月灯り座の色布を裂き、白、黄、赤の三つへ分けた。
白は、水と食料を運んでほしい家。
黄は、包帯や手当ての道具が必要な家。
赤は、荷車を回してほしい家。
色を渡すと、今度は村人同士が次の役を決め始めた。
俺が全員を動かさなくても、現場は止まらない。
診断ではない。
村人同士が、誰に何を運ぶのか迷わないための目印だ。
二年前、黒曜城で天井と火が同時に落ちた夜にも使った。
人間と魔族では、身体も声の大きさも違う。
それでも、色なら同じ指示を共有できた。
同じ布を、人間の村でまた裂くとは思わなかった。
「レオルさん、赤が足りません」
「舞台幕を切ります」
「大事な物では?」
「人よりは安い」
本当は座長に見つかれば、俺の命も同じくらい安くなる。
宝箱まで働いた。
包帯と薬瓶を中へ入れ、四本の脚で家々を回る。
最初は村人が悲鳴を上げたが、三軒目には子どもが箱の上へ乗った。
六軒目では、老人が勝手に椅子として使った。
百年の倉庫警備を終えた魔物の、新しい職場が決まった瞬間だった。
昼過ぎ。
崩れた水車小屋から、最後の負傷者を運び出した。
太い梁の下へ、若い男の足が挟まっている。
足先は動いている。
だが、梁を持ち上げる人手が足りない。
ミロは聖剣を抜かなかった。
代わりに、荷車の車軸、石、縄を集める。
「二日目の倒木と同じです。持ち上げるんじゃなくて、転がします」
俺が滑車を組み、村人が縄を引く。
ミロは梁の下へ板を差し、男の足を守る。
一度目は石が外れた。
二度目は縄が切れた。
三度目で、梁が指二本ぶん浮いた。
「今です!」
男を引き出す。
歓声はなかった。
全員、疲れて声も出ない。
ただ、助けられた男の母親が、ミロの手を何度も握った。
「勇者様、ありがとう」
ミロは困った顔をした。
「梁を上げたのは、皆さんです」
「でも、あんたが残った」
その言葉に、ミロは返事ができなかった。
夕方、隣町から荷車と薬師が到着した。
ミロが知っていた脇道を使い、村の若者が呼びに走ったのだ。
薬師が六人を診て、命に関わる者はいないと確認したところで、ようやく俺たちは腰を下ろした。
寺院の白い鳥は、井戸の縁で待っていた。
ずっとこちらを見ている。
「返事が必要ですね」
ミロは朝の命令書を鞄から出した。
紙を捨てるのかと思ったが、裏面へ短く書く。
『六名を救護。明朝出発します。祝福の花は負傷者へお渡しください』
「怒られますよ」
「届かないよりはいいです」
「怒りまで配達する必要はありません」
「返事を待っている人がいますから」
命令書を鳥の脚へ結ぶ。
白い鳥は飛び上がり、西の空へ消えた。
その夜、別の黒い鳥が俺のところへ来た。
魔族側の連絡ではない。
脚には、寺院と同じ白い封がある。
『勇者の進行に遅延あり。行動確認のため、治癒師一名を派遣する』
監視役であり、治癒師でもある。
寺院は俺たちを信用していない。
だが、疑うだけなら書記を送ればいい。
患者を診られる者を選んだ点だけは、朝の命令書よりましだった。
ミロは赤い屋根の軒下で眠っていた。
背負い鞄を枕にしている。
まだ届けていない一通の手紙だけは、今夜も背中側へしまったままだ。
六日目。
祝福式には間に合わなかった。
代わりに、六人を置き去りにはしなかった。




