第4話 四日目「敵の子どもは配達先ではない」
勇者に知られてはいけないことが、二つになった。
一つ。昨日の弓兵は、わざと負ける予定だった。
二つ。その弓兵隊長の娘が、森で行方不明になった。
黒曜城の小劇場では、いつも最前列へ座る子だ。
「子どもを捜しているんですよね」
そして開始早々、二つ目は知られた。
四日目の朝。
俺は野営地の土へ残った小さな足跡を調べていた。眠っていると思ったミロが、背後から地図をのぞき込んでいる。
昨夜は弓兵隊と手分けして捜したが、足跡は小川で途切れた。
雨上がりの森を暗闇で進めば、捜す側まで崖から落ちる。
隊長は林の出口を見張り、俺は夜明けと同時に痕跡を追い直していた。
「起きていたんですか」
「レオルさんが夜中に三回、荷物を数え直していたので」
「仕事の癖です」
「荷物じゃなくて、森のほうを見ながら数えていました」
よく見ている。
嘘を増やすほど、守れる人数が減る。
昨夜のうちに実感するとは思わなかった。
「近くの家の子が戻っていません。俺は捜します。勇者様は街道を先へ」
「一緒に捜します」
「魔王城へ急ぐ旅でしょう」
「子ども一人を置いて急いだら、何のために魔王を倒すんですか」
迷いのない返事だった。
二日目には枝も切れないと落ち込んでいた男が、捜索には当然の顔で加わろうとしている。
剣を持たせる相手を、寺院は間違えたのかもしれない。
勇者を選ぶ相手は、間違えていないのかもしれない。
「分かりました。ただし、見つけても剣を抜かないでください」
「子どもに剣は抜きません」
「その判断を、相手が子どもに見えるうちに維持してください」
ミロが首を傾げた。
説明はあとだ。
できれば百日後にしたい。
足跡は夜露で薄くなっていた。
だがミロは迷わなかった。
折れた草、泥の乾き方、低い枝へ引っかかった糸を見つけ、林の奥へ進む。
「配達で使う道ではありませんよね」
「迷った荷馬を捜すときに見ます。荷物は道から動きませんけど、動物と子どもは近いほうへ行くとは限らないので」
「経験が?」
「弟が三人います」
急に説得力が増した。
足跡は、小川の手前で消えていた。
俺は下流を見たが、ミロは上流へ向かう。
「水は低いほうへ流れます」
「足跡の子は、水を渡っていません」
ミロが苔へ触れた。
一か所だけ、小さな手の形に潰れている。
「転びそうになって、こっちへ戻った。たぶん、高い場所から道を捜そうとしています」
上流の斜面には、古い見張り小屋があった。
屋根の半分が落ち、壁板は雨で黒ずんでいる。昨日の弓兵隊が使った場所からも見える。
子どもが父親を捜して登ったなら、ここだ。
「外で待っていてください」
俺は小屋の扉へ手をかけた。
「どうしてです?」
「床が腐っています」
本当だ。
中にいる子どもに、角があるかもしれないことは言わなかった。
扉は途中で引っかかった。
肩を入れる。
板が割れ、埃が落ちる。
暗い小屋の奥から、短い悲鳴が聞こえた。
「レオル兄ちゃん?」
「そこにいるか!」
それきり、返事はない。
足元も見えない。
俺は腰の火口箱で短い蝋燭を灯し、入口脇の錆びた金具へ差し込んだ。
床へ白墨を引き、梁の位置を確かめる。
左側は踏める。
右には穴がある。
俺が一歩入ったところで、背後からミロも続いた。
「待てと言いました」
「返事がありません」
「床もありません」
「見れば分かります」
分かっていて入るな。
奥の物陰で、何かが動いた。
樽と崩れた棚の間。
小さな身体が挟まっている。
頭には短い角が二本。
片足が板の下から抜けず、泣くのをこらえてこちらを見ていた。
ミロが止まった。
人間ではないと気づいた。
俺は腰の布を出し、角を隠そうとした。
遅い。
「魔族の、子ども」
ミロの声が落ちた。
「俺が出します。勇者様は入口を」
救助役は俺。見張り役はミロ。正体を説明する役は空席。
役を分ければ、秘密まで分けられると思った。
一歩、ミロが進んだ。
聖剣には触れない。
両手を見える位置へ出し、子どもの前でしゃがむ。
「足、痛いですか」
子どもは答えなかった。
牙を見せ、棚の欠片を握る。
震えているのに、目だけはミロを睨んでいた。
「お父さんが捜しています」
「うそ」
「焼き菓子を二枚、届けに来たんですよね」
小さな目が見開かれた。
ミロは背負い鞄から、昨日拾った包みを出した。
俺が預かっていたはずだが、朝のうちに移していたらしい。
「一枚は割れました。もう一枚は無事です。あなたへ届けます」
「わたしの」
「はい。だから、受け取る人も無事でいてください」
子どもの手から、板が落ちた。
その乾いた音へ重なるように、天井がきしんだ。
梁が沈む。
夜半の雨を吸い、屋根全体が限界に来ていた。
俺は二人へ走った。
床板が割れ、片足が沈む。
「出口へ!」
子どもの足は抜けない。
ミロが聖剣へ手を伸ばした。
板を切ろうとして、止まる。
枝も縄も切れなかったことを、俺より早く思い出した。
代わりに鞄を下ろし、肩紐を抜く。
子どもの腰へ回した。
「少し痛いです。数えます」
梁が落ちる。
俺は折り畳んだ布を広げ、落下する木片へかぶせた。
止められはしない。
だが、目と口は守れる。
「一、二、今!」
ミロが紐を引く。
俺は板を持ち上げる。
子どもの足が抜けた。
三人で入口へ転がる。
背後で屋根が崩れ、落ちた梁が入口脇の金具を弾いた。
蝋燭が落ちる。
火が、屋根の下で乾いていた古い藁へ移った。
「外へ!」
ミロは子どもを抱えたまま斜面を滑った。
俺も続く。
見張り小屋が、遅れて炎を噴いた。
林の下では、弓兵隊長が待っていた。
こちらへ駆け寄り、ミロの姿を見て剣へ手をかける。
ミロの右足が、俺より先に斜面の逃げ道を捉えた。
それでも走らない。腕の中には、隊長の娘がいる。
「待て!」
俺が叫ぶより早く、子どもが腕を伸ばした。
「父ちゃん!」
隊長は足を止めた。
ミロが子どもを下ろす。
短い角を見ても、父親の剣を見ても、逃げなかった。
「足を挟んでいました。腫れています。冷やしたほうがいいです」
隊長は娘を抱き上げた。
牙を食いしばり、ミロへ何か言おうとして、口を閉じる。
礼を言うには、顔が険しすぎる。
敵意を向けるには、剣から手が離れている。
敵である勇者に娘を助けられ、どう扱えばいいのか決めかねている――そう見えた。
その間に、娘が焼き菓子をミロへ差し出した。
「勇者にも、半分」
隊長が、その口を手で塞いだ。
「その名で呼ぶな」
低い声だった。
娘は父親の手の中で、むぐむぐと抗議する。
ミロは受け取った焼き菓子を見た。
固い。
二日目の黒パンより固いかもしれない。
「聖剣なら割れますかね」
「貴重な菓子を無駄にしないでください」
小刀で二つに割ると、片方を俺へ渡してきた。
「レオルさん。あの子、あなたの名前を知っていましたよね」
聞き逃してはいなかったらしい。
「舞台の仕事で、魔族の家族へ芝居を見せたことがあります」
嘘ではない。
会場が黒曜城だったことを、言っていないだけだ。
ミロは俺と隊長を見比べた。
それ以上は聞かなかった。
ただ、納得した顔でもない。
問いを捨てたのではなく、今は鞄の奥へしまったように見えた。
焼き菓子をかじる。
弓兵隊長は娘を抱え、何も言わず森へ戻った。
ただ、去り際に一度だけ頭を下げた。
四日目。
勇者は、まだ一匹の魔物も倒していない。
それでも今日、魔族の子どもが一度だけ彼を勇者と呼んだ。




