第3話 三日目「外す予定の矢が全部当たりそう」
外す予定の矢が、全部ミロの急所へ向かっていた。
一本目は左胸。
二本目は喉。
三本目は、避けた先の右脇腹。
本気に見える攻撃をしろとは言った。
本気で殺せとは言っていない。
「伏せろ!」
俺はミロの背負い鞄をつかみ、林道の窪みへ引き倒した。
三本の矢が頭上を抜ける。一本は木の幹へ深く刺さり、二本目は土をえぐった。三本目だけが、ミロの肩を浅く裂いた。
「敵ですか!?」
「矢を撃ってくる知人はいません」
「僕もです!」
それは何よりだ。
木々の上で、弓弦が続けて鳴った。
俺たちは窪みへ身を寄せる。深さは膝ほど。隠れ続ければ包囲されるし、飛び出せば狙い撃ちになる。
ミロは傷を押さえながら、来た道と右の斜面を見た。
「戻るなら、三射目の直後です。右は木が密で、二人並んでは走れません」
撃たれて最初に探すのが、反撃でなく二人ぶんの退路だった。
「逃げます。レオルさんも一緒に」
「その前に、予定を直します」
「この矢も予定に入っているんですか」
入っていた。向き以外は。
本来なら、矢は俺たちの左へ落ちるはずだった。
朝、ミロが起きる前に弓兵隊長と確認した。城の避難訓練を何度も一緒にやった相手だ。
狙うのは林道左の、赤い布を巻いた木。
勇者の予定位置から腕二本ぶん外す。
三射したら煙を上げ、敗走する。
隊長は不満そうだったが、手順は正確に復唱した。
目印の赤い布は、今も林道左の木にある。俺の腰にあるのは、位置を変えるときの予備だ。
それでも矢はミロへ集まった。
「レオルさん、どうします」
「まず肩を」
傷は浅い。
布を当てて結ぶ間にも、矢が窪みの縁へ突き立つ。
ミロが聖剣を抜いた。
「矢を落とせますか」
「昨日、縄にも負けました」
「確認しただけです」
ミロは剣を窪みの上へ出した。
飛んできた矢が刃へ触れる。
聖剣は防ぐどころか、嫌そうに傾いて道を譲った。
「確認できました!」
「しまってください!」
役に立たない剣が、敵へ現在地を知らせている。
俺は腰袋から舞台用の小鏡を取り出した。通信に使う黒い鏡とは別の、照明を返すための手のひらほどの鏡だ。
窪みの外へ少しだけ出し、角度を変える。
朝日が林の奥へ走った。
すぐに鏡を引っ込める。
直後、鏡のあった場所へ矢が三本刺さった。
金属の反射を狙っている。
少なくとも、今はそう見える。
「勇者様。三つ数えたら、聖剣を一度だけ高く上げられますか」
「矢が来ますよね」
「来ます」
「走った先にも?」
「来ます」
「確認ですが、それは作戦ですか」
「作戦にします」
ミロが一度だけ目を閉じた。
三射目が土へ刺さる。
ミロの身体は、さっき選んだ退路へ半歩動いた。
だが林道の向こうでは、荷馬が一頭、矢の音に怯えて綱を引いている。昨日の商人たちとは別の旅人が、馬車を捨てて森へ逃げたらしい。
このままなら、馬は荷台ごと斜面へ落ちる。
ミロは退路を見たまま、馬へ向きを変えた。
「あそこまで走ればいいですか」
「剣へ矢が向いたら窪みへ捨てて、馬を外してください。鏡は俺が動かします」
「でも」
「走るのは得意でしょう」
その言葉で、ミロの目が開いた。
俺は試した小鏡を手元へ戻し、折り畳み鏡を二枚追加で出した。
朝、幕を落とすため枝へ通しておいた左右の細紐へ、一枚ずつ結ぶ。紐の端は窪みまで届いている。
「寺院に怒られませんか」
「生きて帰れば謝れます」
三つ数える。
ミロが立ち上がった。
聖剣が朝日を弾く。
矢が一斉に向きをそろえた。
ミロは剣を窪みへ放り込み、馬へ走った。
俺は左右の紐を引く。
二枚の鏡が別々の枝で跳ね、林の奥へ光を散らした。
次の矢が、二つの光へ割れる。
まだ足りない。
俺は火口箱を開き、道脇へ仕込んでいた煙筒へ火を入れた。白煙が地面を這う。
本来なら、弓兵隊が退く合図だ。
弓弦は止まらない。
命令そのものが変わっている。
ミロは荷馬へたどり着き、暴れる首を抱いた。蹴られそうになりながら御者台へ上がり、馬と荷台をつなぐ綱の結び目を一つずつ外していく。
「急げ!」
「切ると、あとでつなげません!」
こんなときまで配達人だった。
矢が荷台へ刺さる。
ミロは最後の綱を外し、馬の鼻先を斜面から街道へ向けた。耳元で何か囁く。
馬が一度いななき、煙の中を走り出した。
その進路へ、再び矢が集まる。
俺は腰の予備布を外し、手元に残していた小鏡へ巻きつけた。
煙の中から、ミロとは逆側の低い枝へ引っかけるように投げる。
赤と銀の光が、大きく揺れた。
最後の一斉射が、そちらへ飛ぶ。
弓兵の位置が見えた。
「そこだ!」
俺は煙の中から叫び、朝から手元へ残していた中央の落下紐を引いた。
林の上へ吊っていた大布が落ちる。
弓兵たちを傷つけるものではない。緑に塗った薄い幕が、三本の木の間を覆っただけだ。
だが弓兵側から見れば、目の前に突然、壁が出たことになる。
隊列が乱れた。
「撤退!」
ようやく隊長の声が響いた。
魔族の弓兵たちは、幕へ絡まりながら森の奥へ消えた。
敗走というより、洗濯物に追われているようだったが、遠目なら勢いはある。
静かになった林道を、ミロが馬を連れて戻ってきた。
「勝ったんでしょうか」
「相手は逃げました」
「僕、剣を捨てましたけど」
「判断が速くて結構です」
俺は窪みから聖剣を拾い、三枚の小鏡と二枚の赤布も回収した。
聖剣の刃には傷一つない。
役に立っていない道具ほど、きれいに残る。
「肩を見せてください」
「馬が先です」
「馬は矢を受けていません」
「怖がっています」
ミロは馬の首を撫でた。
呼吸が落ち着くまで、離れないつもりらしい。
弱い。
だが、何もできないわけではない。
俺が作った予定では、勇者は剣を振り、魔族が負けるはずだった。
実際には剣を捨て、馬を一頭助けた。
予定よりは、こちらのほうがましだった。
夕方。
ミロが薪を集めている間に、俺は森へ戻った。
弓兵隊長が、落ちた幕を畳んでいた。頬には布の緑色が移っている。
「命令と違う」
俺が言うと、隊長は牙を見せた。
「こちらの台詞だ、敗北係。おまえの修正版が届いた」
差し出された命令書を開く。
俺の字ではない。
『勇者へ恐怖を刻め。本気の攻撃を受けてなお立つ姿を、人間は英雄と認める』
末尾には、アルマの王印に似せた黒い封がある。
似ているだけだ。
俺が全員へ渡した役を、誰かが別の台本で上書きした。
攻撃されたことより、その事実のほうが腹立たしかった。
二年間、舞台の修繕から兵糧庫の開閉まで、彼女の命令書を何度も扱った。
外周の角度が一本違う。
「誰が運んだ」
「黒い外套の監察兵だ。摂政の直命だと言った」
名乗りだけなら、証拠にはならない。
王印まで偽造されている以上、摂政ゼルドの命令にも、ゼルドへ疑いを向ける罠にも見えた。
どちらにも見えるよう、作られている。
アルマが四年間国を預け、帰還してからの二年も摂政を務める男。
疑うには、大きすぎる相手だった。
隊長は折れた矢を拾い、低く言った。
「子どもまで巻き込んでいないだろうな」
「何の話だ」
隊長の顔色が変わった。
娘が昼食を届けに来るはずだったという。
戦いが終わっても姿がなく、家へ戻ったと思っていたらしい。
林の端に、小さな包みが落ちていた。
中には固い焼き菓子が二枚。
その先の泥へ、俺の手より小さな足跡が続いている。
足跡は街道ではなく、崩れた古い見張り小屋の方角へ向かっていた。




