第2話 二日目「聖剣は木の枝より役に立たない」
聖剣は、木の枝に負けた。
「もう一度お願いします」
ミロは野営地の中央で剣を構えた。
相手は、俺が両手で横に構えた、親指ほどの太さの枝である。乾いている。虫食いもある。月灯り座なら、子役が踏んだだけで折れるため、小道具にも使わない。
ミロが振る。
銀色の刃は枝へ触れる寸前で速度を失い、表面を撫でるだけで止まった。
枝は無傷だった。
ミロの手だけが痺れた。
「次は縄にしましょう」
「まだやるんですか」
「原因を分けます。硬さの問題かもしれません」
「枝より柔らかい相手って、かなり限られませんか」
昨日、スライムに三秒で倒された男の意見としては重い。
俺は二本の木の間へ麻縄を張った。ミロが聖剣を当てる。縄は少しへこんだだけで、刃を押し返した。
布も同じ。
熟れた果実も同じ。
朝食の黒パンに至っては、切れずに剣の腹で潰れただけだった。
「焦げたパンなら、切れたかもしれません」
「何か言いました?」
「身近に、聖剣より硬い食料を作る人がいるだけです」
ミロは鞘へ剣を戻し、背負い鞄から小刀を出した。
刃渡りは手のひらほど。柄には、何度も巻き直した革紐がある。
黒パンへ入れると、あっさり二つに分かれた。
「こちらは切れます」
「聖剣を寺院へ返して、それを腰へ差しましょう」
「魔王も切れますかね」
「試す順番がおかしい」
ミロは半分のパンを俺へ差し出した。
昨日より顔色は戻っている。額には薄い青痣が残ったが、本人は気にしていない。代わりに、聖剣が何も切れないたび、右手の包帯を確かめていた。
その下には勇者印がある。
「寺院では、印が出たから間違いないと言われました」
「剣を振ったことは?」
「渡されたあと、見送りの人が多くて」
「説明は」
「魔王を倒せ、と」
ずいぶん簡潔だった。
少なくとも、送り出す側が整えたのは、勇者が立派に見える形だけだったらしい。
剣の扱い方も、旅の食料も、雑魚に襲われたときの対処も、本人には何ひとつ教えられていない。
俺は前夜、アルマから受け取った王印付きの巻物を思い出した。
勇者が魔物を倒し、人々から認められ、百日目に黒曜城へ到達する。
初日のスライムは倒せなかった。
今日の枝も倒せない。
だが、勇者印まで間違いなら、アルマを止める手段はない。
「魔王だけは切れるのかもしれません」
口にすると、ミロが瞬いた。
「どうしてそう思うんです?」
「勇者の剣ですから」
「さっき、返して小刀を差せと言いませんでした?」
人の話をよく覚えている。
「考え直しました。寺院へ返すには遠すぎます」
疑うような目を向けられたが、ミロはそれ以上聞かなかった。残ったパンを布で包み、鞄の決まった位置へ戻す。包帯は左、食料は右、未配達の手紙は背中側。見なくても手が迷わない。
剣より、鞄を持たせたほうが強そうだ。
俺たちは野営地を片づけ、街道を西へ進んだ。
昼前、道を大きな倒木が塞いでいた。
昨夜の風で斜面から滑り落ちたらしい。根元は土を抱えたまま、幹が道幅いっぱいに横たわっている。人なら脇を抜けられるが、向こう側には荷馬車が二台止まり、商人たちが途方に暮れていた。
「迂回路は?」
俺が聞くと、ミロは斜面と雲を見た。
「北の細道はあります。でも、明け方の雨なら土が崩れています。荷車は無理です」
「地図にない道ですが」
「配達で三度通りました」
迷いなく答えた。
商人たちは斧を持っている。しかし、太い幹を切るには夕方までかかる。
俺は荷車の予備縄と滑車を借り、幹へ回した。
商人を、主縄を引く者、車輪を押さえる者、合図を見る者へ分けた。
役が一つ余ると不安になる。全員へ渡して、ようやく手が止まった。
滑車の固定先には、荷台でいちばん重い木箱を借りた。
舞台の背景を吊るすのと同じだ。
重さは二十倍ほどあるが、原理は変わらない。
変わらないと思うことにした。
「勇者様、合図でこの細縄を切ってください」
「聖剣で?」
「留め具を外すための縄です。荷重はかかっていません。刃が通るか、もう一度確かめます」
「切れなかったら?」
「俺が金具を外します」
「分かりました」
商人たちが主縄を引く。
幹がゆっくり回り、道の端へ寄り始めた。
俺は滑車のそばで、荷重のかかり方を見る。主縄が鳴る。斜面側の杭がきしむ。
あと半歩。
親指と中指を二度鳴らした。
ミロが聖剣を振る。
刃は細縄へ当たり、止まった。
俺が留め具へ手を伸ばした、その瞬間。
斜面側の杭が抜けた。
幹が戻る。
張り詰めていた主縄が地面を走り、俺の足首へ巻き付いた。
まずい。
倒木が道を滑り、身体が引かれる。金具へ手を伸ばしたが、指一本ぶん届かない。
商人たちの悲鳴が重なった。
「レオルさん!」
ミロは一度、滑る幹の進路から外へ跳んだ。
逃げる判断は速い。
だが転がりながらこちらを見て、足へ巻き付いた縄に気づく。安全な場所へ着く前に向きを変え、逃げた勢いのまま戻ってきた。
ミロが聖剣を捨てた。
鞄から小刀を抜き、走る。
俺の足へ巻き付いた太い主縄ではなく、滑車を荷車の木箱へ固定していた細い荷紐へ刃を入れた。
荷紐が切れる。
支点に使われていた木箱が、荷台から落ちた。
重い箱が土へ沈み、そのぶん滑車が傾く。俺の足を引いていた主縄が、一瞬だけ緩んだ。
ミロが俺の襟をつかんだ。
二人で泥へ転がる。
倒木は、さっきまで俺の頭があった場所を通り、道端の溝へ落ちた。
音が止んだ。
ミロは俺の上へ半分乗ったまま、荒く息をしている。
「荷物と同じに引っ張りました。すみません」
「謝る部分はそこではありません」
「重かったとは言ってません」
「そこでもない」
足首は擦れていたが、骨は無事だった。ミロの小刀にも、刃こぼれ一つない。
商人たちが歓声を上げた。
「さすが勇者様だ!」
呼ばれたミロは、落とした木箱へ飛びついた。
「先に中身を確認してください! 割れ物は?」
英雄の第一声が荷物の心配だったため、商人たちは少し黙った。
それでも箱の中の瓶は無事だった。道も開いた。ミロは敵を一匹も倒していないが、二台の荷馬車と俺を助けた。
勇者らしいかどうかは分からない。
少なくとも、役には立った。
夜。商人たちと別れ、俺たちは道脇で火を起こした。
ミロが眠ったあと、俺は腰の内袋から黒い通信鏡を取り出した。覆い布を外し、表面を二度指で叩く。
鏡の中の火が消えた。
代わりに、黒曜城の玉座が映る。
アルマは頬杖をついていた。魔王の姿ではあるが、片手には焦げたパンを持っている。城の食堂では焦がした者が責任を持って食べる決まりだが、彼女だけは二年間ずっと「保存食の試食」と呼んでいた。
「初日はどうだった」
初日の失敗をそのまま城へ上げれば、追加の兵か指示が来る。勇者の弱さが軍へ広がれば、負け役の不満も増える。
俺が直せるうちは、現場で止める。
アルマを不安にさせたくないという理由だけは、報告書の外へ置いた。
「予定どおり、勇者がスライムを倒しました」
「そうか」
嘘をついた俺より、信じた彼女のほうが悪い。
そういうことにしておかないと、鏡の中の顔をまっすぐ見られなかった。
「二日目は?」
「聖剣の性質を調べました」
「成果は」
「黒パンに負けました」
アルマの眉が寄る。
「人間の保存食は強いからな」
本気で言っている。
笑いそうになって、止まった。
彼女の右角に走る黒いひびが、昨夜より長い。根元だけだった線が、角の半ばまで届いている。
「魔王様。その傷は」
アルマが鏡から顔を逸らした。
「先に足を映せ」
俺は自分の足元を見た。擦れた箇所へ巻いた布が、鏡の端に入っていたらしい。
「質問へ質問で返さないでください」
「命令だ」
頼みたいことほど命令にする。俺は鏡を傾け、歩けることだけ見せた。
「まだ九十八日ある」
答えになっていない。
九十八日という数字より、一晩で角の半ばまで伸びたひびのほうが信用できなかった。
「勇者を急がせろ、敗北係」
鏡が黒く閉じた。
足元では、聖剣よりよく切れる小刀を抱えた勇者が眠っている。
遠い城では、俺が助けたい女の角が割れ始めていた。




