第16話 十六日目「古い友人にしては命令が多い」
「勇者。レオルの三歩前を歩け」
旅人アナは、出発して最初の十歩で勇者へ命令した。
「アナ。命令しない」
「落石があれば、先に気づける位置だ」
「ミロを盾にしないでください」
「逃げ足を信頼している」
「僕はどうすれば」
ミロが振り返る。
「俺の横を歩いてください」
「レオルより半歩前だ」
「アナ」
「提案だ」
十六日目の朝。
俺たちはアルマを人目のない古い祠から黒曜城へ帰すため、次の村へ向かっていた。
王の正体を隠す時間は、あと半日。
すでに台詞が危うい。
「旅芝居では、アナさんが座長だったんですか」
ミロが聞く。
「違います」
「私が命じ、レオルが全員を動かした」
「だいたい座長ですね」
「違います」
月灯り座で、アルマの役は台詞三つの悪役だった。
それでも幕の裏では、重い箱を一人で運び、喧嘩をした役者へ座れと命じ、給金を払わない座長へ金庫を開けろと迫った。
立場だけなら、座長より上だった。
「水を飲め」
アルマが俺へ水筒を差し出す。
「歩き始めて半刻です」
「昨日、手の皮を傷めた」
「水分とは別です」
「飲め」
「古いご友人へする命令としては、少し多いですね」
ユラが後ろから言った。
「昔からです」
「昔より減った」
「増えています」
ユラはアルマと俺を交互に見た。
診療記録を開きかけたので、水を飲んだ。
命令ではない。
監視対策である。
昼前、前を進んでいた荷馬車が道の中央で止まった。
左の後輪が外れかけている。
車軸を留める木栓が抜け、車輪が指二本ぶん外へずれていた。荷台には粉袋が積まれ、御者と娘が必死に押さえている。
「全員下がれ。私が持ち上げる」
アルマの右手へ、黒い影が集まった。
「持ち上げない!」
俺は手首をつかんだ。
影が消える。
「この程度なら力は使わない」
「昨日もそう言いました」
「馬車と影道を同列にするな」
「黒冠は区別しますか」
アルマが黙った。
ミロは荷馬車の前後を見ている。
「坂の下です。このまま荷を降ろすと、馬車が動きます」
「前輪へ石を。馬を外す。粉袋は右から三つだけ降ろす」
俺が言うと、ミロは先に車輪止めを置いた。
ユラが怯えた馬の目を布で覆う。
「怪我人はいません。御者さん、手綱は離さないで」
アルマが荷台へ手をかけた。
「力は使わないで」
「押さえるだけだ」
人間三人分の荷を、片手で自然に押さえた。
自然の範囲が広い。
俺は抜けた木栓を探した。
道の泥に半分埋まっている。割れてはいない。穴が緩み、振動で抜けただけだ。
「予備は?」
「ないんだ」
御者が答える。
俺は道具袋から固い木片を出し、小刀で太さを合わせた。
削る。
打ち込む。
ミロが車輪を内側へ押し戻す。
アルマが荷台を支える。
ユラが馬を落ち着かせる。
四人で直せば、魔王の力はいらなかった。
「動かしてみてください」
荷馬車がゆっくり進む。
車輪は外れない。
御者の娘が何度も頭を下げた。
「勇者様、ありがとうございました」
「僕は車輪を押しただけです」
「案内役さんも、治癒師さんも、そちらのお姉さんも」
娘が笑う。
アルマは礼を言われることに慣れている。
魔王としてなら。
名も知らない旅人として頭を下げられると、返事が少し遅れた。
「許す」
「何をですか」
「……礼を受け取る」
言い直しは失敗した。
荷馬車が見えなくなったあと、アルマの足が止まった。
さっき影を集めた右手を握っている。
指先が白い。
俺はもう一度、その手首を取った。袖口越しでも体温の低さが分かる。自分の掌だけが、やけに熱い。
「離せ。この程度は自分で止める」
「三呼吸だけ、測らせてください」
アルマは手を引きかけて、やめた。代わりに左手で俺の袖をつまんだ。
一つ。二つ。三つ。
互いの息が外套をかすめる距離で数え、三つ目に同時に手を離した。
「見せてください」
ユラが近づく。
「冷えただけだ」
「診断は触ってからします」
「不要だ」
「アナ」
俺が名を呼ぶと、アルマは手を差し出した。
命令より俺の声へ従ったことを、ユラは見逃さなかった。
何も言わず、手首へ指を当てる。
「脈はあります。遅くない。痛みは」
「ない」
「痺れ」
「少し」
「昨日、影のようなものを使いましたね」
「旅の技だ」
「便利な旅ですね」
ユラの質問だけが細くなる。
「治癒を試します。嫌なら断ってください」
「断る」
「受けてください」
俺が言う。
「どちらの意思を採用すれば?」
ユラが困る。
「患者本人です」
正しい答えを言うと、アルマが俺を見た。
金色ではない茶色の目が、わずかに細くなる。
「試せ」
ユラの指から白い光が広がった。
アルマの手を包む。
そのまま皮膚へ入らず、足元の影へ吸い込まれた。
光が消える。
指先の冷たさは変わらない。
ユラは自分の手を見た。
次に、昨日綱で擦った俺の掌へ触れる。
白い光が傷へ入り、熱が引いた。
治癒師の力は働いている。
アルマにだけ、届かない。
「病気ではありませんね」
「そうでしょうね」
「心当たりが?」
「昔から魔力を受けつけにくい体質です」
アルマが答えた。
嘘をつくと声が低くなる。
道端の鳥が三羽、飛び立った。
ユラは余白へ線を一本引いた。
「今は報告しません」
「なぜです」
「診察で知ったことだからです。ただし、次に倒れたら私は治療法を知らない。その危険は患者へ伝えます」
アルマは命令で話を終わらせられなかった。
夕方、村外れの古い祠へ着いた。
通信鏡で合図を送ると、城側から黒い道が開く。アルマ自身が使う力は、扉を一歩くぐる分だけで済む。
「勇者」
アルマが振り返った。
「レオルを死なせるな」
「旅人が案内役へ出す命令ではありません」
ユラが言う。
アルマは黙った。
一度、息を吸う。
「ミロ。頼む」
「はい。逃げるときは一緒に連れていきます」
「それでよい」
影の道が閉じる。
ユラは祠の位置、時刻、黒い道が開いた事実を監視記録へ書いた。
アルマの手の冷えと、治癒が届かなかった事実は、別の守秘欄へ書いて閉じた。
代わりに俺の手首を取り、脈を数える。
「レオルさん」
「何です」
「古い友人が帰っただけにしては、速すぎます」
俺の脈だけは、治療しなくてもよく分かるらしい。




