第14話 十四日目「橋が落ちる順番を間違えた」
橋が落ちる予定は正しかった。
落ちた時刻と、上に人がいたことだけが間違っていた。
「右へ寄れ!」
俺が叫ぶより早く、吊橋の左側が沈んだ。
板が斜めになる。
荷車が滑る。
中央にいたネジが、前後逆の兜ごと谷へ消えかけた。
「十九行、まだ言ってない!」
右の手綱へしがみつき、最初に気にするのが最期の言葉だった。
十四日目の朝。
俺たちは林砦の住民を、谷向こうの炭焼き場へ移していた。
古い吊橋の床は、左右二本の太い綱へ板を並べた構造だ。その上に、胸の高さの手綱が二本ある。
昨夜、ガドと四本すべてを確認した。
避難が終わったあと、向こう岸にある右の床綱の留め杭だけを抜く。空になった床を谷側へ落とし、人間が砦から集落へ追ってこられないようにする。
それが台本だった。
今、切れたのは反対側。
こちら岸の、左の床綱だ。
しかも橋の中央にはネジ、ピオ、ササラを乗せた小荷車が残っている。
「動くな!」
「この板、動いてるぞ!」
ネジが叫ぶ。
正しい指摘だが役に立たない。
左の床綱が切れ、板は左下がりに回っている。残った右の床綱へ、三人と荷車の重さが集中していた。
次にあれが切れれば、床ごと谷底へ落ちる。
「ササラさん、息はできますか!」
向こう岸のユラが声を張る。
「年寄り扱いするな!」
「返事ができる。意識あり!」
怒鳴られて診断している。
俺は道具車へ走った。
舞台幕を吊るす太綱が一巻き。昨日、砦の荷を運ぶために積んだものだ。
長さは谷を渡せる。
ただし、投げても届かない。
「ミロ!」
呼ぶ前から、勇者は走っていた。
向こう岸ではない。
橋から離れる方向へ。
「どこへ!」
「高い木です!」
逃げ道を探したのではなかった。
橋の斜め上に張り出した杉へ登り、配達鞄から細い荷紐を出している。
「これなら投げられます!」
紐の先へ石を結び、谷向こうへ放る。
一度目は短い。
二度目は風に戻された。
三度目が、ユラの足元へ落ちた。
「受けました!」
「その細紐へ、俺の太綱を結ぶ。向こうへ引いてください!」
細い荷紐だけでは人を支えられない。
だが太い綱を届けることはできる。
俺は二本をつなぎ、結び目を布で包んだ。ユラとクルムが向こうから引く。
舞台幕用の太綱が、谷の上を渡った。
「向こうの杉へ二周! 高さは腰! ガド、こちらを押さえる!」
ガドが太綱をこちら岸の木へ巻き、自分の腰も当てた。
「橋を支えればよいか」
「無理です。人だけを支えます」
「橋より人のほうが軽いな」
比較してから気づくことではない。
谷の上に一本の命綱が張られた。
ネジたちの胸より少し高い。
最初に投げ渡した細い荷紐は外さず、命綱へ掛ける腰輪を向こう岸から引くために残した。
「一人ずつ、腰を掛けます!」
ミロが予備の配達縄を輪にした。
「誰からだ!」
「ササラさん!」
「麦を先にしろ!」
荷車の上で老婆が抵抗する。
「患者が先です!」
ユラとミロの声が重なった。
ササラが舌打ちした。
問題は、命綱が橋の上を通っていても、輪を本人へ届ける者がいないことだった。
ミロが橋の入口へ立つ。
右の床綱一本へ重さが集まっている。
走れば揺れる。
ゆっくり進めば、切れるまでに間に合わない。
「僕が行きます」
「途中で床が落ちたら」
「逃げます」
「どこへ」
ミロは頭上の太綱を見た。
「上へ」
輪を自分の腰へ掛ける。
ガドと俺が反対側を持った。
「走れ!」
ミロは傾いた板へ踏み出した。
一枚目。
二枚目。
三枚目が外れた。
身体が谷側へ振られる。
命綱の輪が脇へ食い込み、ミロが宙へ浮いた。
「逃げました!」
「上手です! 戻れ!」
足を床へ戻し、また走る。
ネジへ着くと、自分の腰から輪を外し、ササラへ掛けた。
「先にばあさんだ!」
「さっきからそう言っています!」
こちらで太綱を張り、向こうで細い荷紐を引く。
ササラの身体が床から浮き、谷の上をゆっくり進んだ。
ユラが向こう岸で受け止める。
次はピオ。
その次がネジ。
荷車は諦めるしかない。
「蜂箱が!」
ピオが叫ぶ。
「命と箱、どちらです」
「蜂も命だ!」
正論が一つ増えた。
ミロは命綱を蜂箱へ回した。
箱が谷の上を渡る。
中の蜂が怒り、ユラとクルムを追い回した。
救助の順番は正しかった。
着地後の配置が悪かった。
最後にネジを引き上げた瞬間、残った右の床綱が裂けた。
橋の床と麦袋が、谷底へ落ちていく。
ミロは頭上の太綱へ両腕でぶら下がった。
俺とガドは、命綱がたるまないようこちら岸で張った。
手の皮が焼ける。
ガドの足が土へめり込む。
向こう岸でクルムたちが細い荷紐を引く。
ミロは谷を渡りきり、地面へ転がった。
全員いる。
蜂もいる。
麦だけが、かなり減った。
昼過ぎ、ユラが俺とミロの手へ薬を塗った。
「舞台の綱で、人を谷から上げた経験が?」
「役者を二階から降ろしたことなら」
「魔族の退路へ、ちょうど届く長さを持っていた理由は」
「荷運びです」
ユラが記録の余白へ線を引く。
「助かりました。疑問も増えました」
「差し引きは」
「疑問が三つ多いです」
命を救っても、監視は負けてくれない。
夕方、俺は切れた左の床綱を谷から引き上げた。
断面は雨で腐った色をしている。
表面だけだった。
内側には、新しい鋸の跡が並んでいた。
切り口へ泥を塗り、古い傷に見せてある。
木屑まで谷へ捨てられていた。自然に切れた綱ではない。
「昨夜、確認したときにはなかった」
ガドが言う。
橋を落とすことも、渡る順番も、昨日書き直した台本にしかない。
誰かが俺たちより先に読んだ。
そして今度は、負け役ではなく橋を演出した。




