第12話 十二日目「負け役のゴブリンが台本を捨てた」
ゴブリンは台本を読み終えると、槍の穂先へ刺して返してきた。
「読んだ」
「感想は」
「よく燃えそうだ」
十二日目の朝。
三本杉街道を塞ぐ林砦で、次の敗北は開始前から失敗していた。
台本を刺した若いゴブリンは、名をネジという。
背丈はミロの胸ほど。片耳が途中で欠け、身体に合わない鉄兜を前後逆にかぶっている。顔を守る穴が小さすぎたので、自分で後頭部へ二つ開けたらしい。
「兜を正しくかぶる気は?」
「敵と同じ向きを見るのは嫌いだ」
理屈まで後ろ向きだった。
砦の門前には、ゴブリンが五人並んでいる。
本日の計画は簡単だった。
石を投げる。すべて外す。ミロが聖剣を抜く。驚いて武器を捨て、脇道へ逃げる。
負傷者なし。砦は空になる。勇者は街道を進む。
動線はガドにも見せ、台本は昨日のうちに全員へ届けた。
問題は、届けた文章が俺のものだったことだ。
ネジは台本ではなく、砦脇へ開けた敗走用の道を槍先で示した。
「勇者を見たら、怖がって逃げろ。逃げる向きまで、そっちで決めたのか」
ネジが槍から紙を抜く。
「俺たちは、そう命じられた」
「演技です」
「怖がったふりなら、誇りは減らないのか」
「死者は増えません」
「誇りも生きている」
砦長クルムが、隣で深く息を吐いた。
彼は錆びた胸当てへ、細い木札を二十枚ほど吊っている。部下が考えた最期の言葉を、一枚ずつ彫って持ち歩いているそうだ。
「ネジの最期の言葉は二十三行ある」
「長すぎませんか」
「俺も削れと言った」
「十九行まで削った!」
まだ長い。
死ぬ気の相手へ、三歩下がって自然に転べと頼んだ俺が悪い気もしてきた。
だが今日、彼らを本当に死なせるわけにはいかない。
「最期の言葉は、百日後に使ってください」
「予約するな!」
ネジが台本を地面へ投げた。
林の向こうから、枝を踏む音がする。
ミロとユラが来た。
話し合いの時間が尽きた。
「配置へ。石だけです。槍は置く」
俺は限定命令書を開いた。
クルムたちは互いを見て、砦の左右へ散る。
ネジだけが槍を置かなかった。
「隊長命令だ」
クルムが言う。
「魔王の命令じゃない」
「今は俺の命令だ」
「だから困ってる!」
声と同時に、ミロが林道へ姿を見せた。
ゴブリンたちが石を投げる。
一本目は右。
二本目は左。
三本目は、ミロのはるか手前へ落ちた。
完璧だった。
「敵です!」
ミロが来た道へ走る。
そちらも完璧だった。
「待ってください、勇者様!」
俺が姿を見せると、ミロの足が止まった。
振り向く。
俺と、その隣で診療記録を開いているユラを見る。
「二人とも先に逃げてください!」
戻ってきた。
予定にはないが、七日分の実績には合っている。
ミロが聖剣を抜く。
クルムたちが大げさに武器を落とした。
「うわあ。勇者だ」
「怖い」
「逃げよう」
全員、声が平らだった。
アルマよりは上手い。
褒める基準が低すぎるだけで、成功に見えかけた。
「ふざけるな!」
ネジが脇道から飛び出した。
槍はミロの胸を狙っている。
ミロの身体が先に逃げた。
穂先が外套を裂く。
「今のは外す予定ですか」
ユラが聞いた。
「いいえ」
「では記録します」
「避難を!」
「先に言ってください」
ユラはもう砦脇の岩陰へ移っていた。
逃げ足ならミロ、危険な場所から患者を動かすならユラである。
俺だけが道の中央に残った。
役割分担としては正しい。
個人の安全としては間違っている。
ネジが二撃目を突く。
ミロは身を低くして避けたが、その先は砦の閉じた門だった。逃げ道がない。
「門を開けろ!」
「内側から横木が掛かってる!」
クルムが叫ぶ。
敗走用の脇道へ全員出たため、門の内側には誰もいない。
安全のために閉じた門が、安全な逃走を邪魔していた。
俺は門横の荷車へ走る。
中身は、昼に使う予定だった空の麻袋だ。
「ミロ、伏せろ!」
留め木を蹴り外す。
傾いた荷台から、麻袋が一斉に滑り落ちた。
ネジとミロの間へ積もる。
槍が袋を三つ貫いた。
軽い。止められない。
ミロは袋の山へ飛び込み、ひと抱え分をネジへ投げた。
攻撃ではない。
「道を空けてください!」
荷物を渡しただけだ。
ネジが反射的に受け取る。
両腕がふさがった。
その隙に、ミロが横を走り抜ける。
俺の襟をつかみ、ユラのいる岩陰まで一緒に運んだ。
「荷物の扱いが雑です!」
「人の扱いも考えてください!」
襟が首へ食い込んでいる。
クルムがネジへ飛びつき、槍ごと地面へ押さえた。
遅れて、林の奥からガドが現れる。
巨体が二人の間へ立つだけで、槍の動きが止まった。
「演習は中止だ」
クルムが部下へ撤退を命じる。
ネジは麻袋を抱えたまま、俺をにらんだ。
「次は本気でやる」
「今日も本気でした」
「もっとだ」
困る。
ユラがミロの裂けた外套を確認する。
「怪我はありません。今回の攻撃の向きは、説明と一致しています」
「喜んでいいんでしょうか」
「駄目です」
診断が速い。
夕方、ガドは地面に落ちた台本を拾った。
一行目には、《ゴブリン五名、勇者を恐れて敗走》と書いてある。
「あいつらへ謝れ」
「危険な命令なら撤回します」
「命令の話ではない」
ガドは、台本の《五名》を太い指で叩いた。
「名前を言えるのは」
「クルムと、ネジ」
「石を投げた三人は」
答えられなかった。
「名前を聞け。何を守ってここに立っているか聞け。そのあとで、もう一度頼め」
砦の上では、クルムが二十枚の木札を外していた。
ネジは破れた台本を、火へ入れずに持ち帰っている。
俺は五人の負け役を用意した。
向こうには、五人ぶんの負けられない理由があった。




