第11話 十一日目「治癒師は傷の向きを見る」
「傷は治せます。説明のほうは、かなり重症です」
寺院治癒師のユラは、ミロの肩から俺へ視線を移した。
十一日目の朝。
俺たちは石門を越えて最初の街道宿にいた。昨夜の雨で足止めされた旅人に、フィーネ川から避難してきた村人まで加わり、食堂は寝台より病人のほうが多い。
ユラは到着してから、まだ俺たちへ一つも質問していなかった。
代わりに、八人を診た。
「次。咳の方を先に」
「でも、勇者様の診察が」
「歩ける患者は待てます。息ができない患者は待てません」
ミロは診察椅子から立ち、奥で咳き込む老人へ席を譲った。
「僕、何をすれば」
「湯を沸かす。布を煮る。終わったら休む」
「三つですね」
「最後が最優先です」
ミロは大鍋へ走った。
監視役としては、勇者を自由にしすぎている。
治癒師としては、正しい。
そこが面倒だった。
ユラは灰茶の髪を耳へ掛け、老人の胸へ手を当てた。淡い白光が指の間から広がる。苦しそうだった呼吸が、少しずつ長くなった。
治癒は奇跡に見える。
だが熱は残り、失った体力も戻らない。ユラは光を止めると、寝台の脚へ板を挟み、老人の上体を高くした。
「今夜までは一人にしないでください」
魔法より先に、誰が見張るかを決める人間らしい。
昼までに、食堂の床から呻き声が減った。
ユラが最後に座らせたのがミロだった。
包帯を外す。
三日目の矢傷は塞がりかけている。右肩の外側を浅く裂いただけで、腕も上がる。命に関わらないから、俺はずっと後回しにしてきた。
ユラは傷の両端を指で押した。
「矢は左上から右下へ抜けています」
「弓兵は木の上にいました」
ミロが正直に答えた。
俺の胃だけが、遅れて下へ落ちた。
「寺院へ届いた報告では、勇者様は正面から敵陣へ踏み込み、三十人の弓兵を退けたとあります」
「三十人もいたんですか」
「十二人です」
訂正してから、黙ればよかったと気づいた。
ユラは腰の診療記録を開いた。
余白へ、細い線を一本引く。
「十二人と分かる位置に、レオルさんはいた」
「数えました」
「矢が飛んでいる最中に?」
「数えると落ち着く性格です」
「脈は上がっています」
いつの間にか手首を取られていた。
治療中に嘘をつく相手としては、かなり相性が悪い。
「傷の向きからすると、ミロさんは敵へ踏み込んでいません。左を向いたあと、右へ身体をひねっている。何かをかばいましたか」
「馬です」
「勇者様」
「はい」
「質問は一つずつ答えてください。こちらの方の脈で、答え合わせができます」
「便利ですね」
「不便です」
俺は手首を返して逃れた。
「舞台用の鏡を使いました」
半分だけ、本当のことを言う。
「光へ狙いをずらし、ミロを馬まで走らせた。その途中で矢がかすった。勝利の見栄えが悪かったので、報告した誰かが話を盛ったんでしょう」
「誰が報告を?」
「知りません」
今度は本当だ。
ユラは俺の顔ではなく、指先を見た。
二度鳴らしかけて、止める。
線が、もう一本増えた。
「傷は浅いです。泥だけ洗います」
「治癒魔法は使わないんですか」
ミロが聞く。
「大きな治療は一日二回までです。一回は先ほど使いました。もう一回は、今日まだ会っていない重傷者のために残します」
「僕は勇者なのに?」
「だから歩ける傷へ使え、と寺院から言われています」
ユラは煮沸した布を絞った。
「私は従いません。痛みますよ」
直後、ミロの悲鳴が宿中へ響いた。
治癒師へ余計なことを聞く勇気だけは、確実に育っている。
夕食後、ユラは冷めた薬草茶を片手に監視命令を見せた。
「寺院は、僕に村を出ろと言いました」
ミロが紙の端を見た。
「あのときは、歩けない人が六人いたのに」
「最初の報告には、歩ける軽傷者が二人とあります」
ユラは薬箱から、別の紙を出した。
雨に濡れ、端が波打っている。
「これは翌日に届いた追報です。負傷者六人、うち二人は移動不能。最初の命令が出た時点で、寺院は知りませんでした」
「なら、悪くないんですか」
「悪い命令でした。悪意があったとは限らないだけです」
黒い太陽が昇り、百日の期限だけが人間側にも伝わっている。勇者を一つの村へ留めれば、その先の町が危険になる。寺院の判断にも、救おうとした人数はあった。
ただし、紙が街道を進む間に、傷は待ってくれない。
「寺院の医療網がなければ、冬を越せない村もあります。だから私は、命令を破って終わりにはしません。次の命令が、同じ古い報告から出ないように直します」
ユラは追報を監視命令の上へ重ねた。
組織へ従うか、逆らうかではない。
患者の状態へ、紙のほうを追いつかせるつもりらしい。
勇者の負傷、進路、戦闘回数、同行者を記録し、三日ごとに寺院へ送る。
「疑問があります」
「二本の線で済みましたか」
「今は七本です」
増え方が早い。
「ただし、診察で知ったことは患者の情報です。誰へ渡すかは、本人へ確認します」
ユラはミロへ向いた。
「矢傷の正確な経緯を、寺院へ報告してよいですか」
ミロは少し考えた。
「馬を助けたことは。でも、魔族の人数は……僕にもよく分かりません」
「分かりました。未確認と書きます」
監視役は、嘘を暴くために来た。
それでも、暴いたものを勝手には渡さない。
レオルという同行者については、と聞かれる前に、俺は寝床を決めて外へ出た。
逃走ではない。
通信の時間だった。
宿裏の薪小屋で黒い鏡を開く。
映ったアルマは、机に蜂蜜壺を置いていた。
「昨日と同じ物ですか」
「同じ厨房、同じ壺だ」
「一口だけ」
「命じられるのは新鮮だな」
アルマは笑わず、匙を口へ運んだ。
金色の目が、わずかに止まる。
「どうです」
「温かい」
「味を聞いています」
「分かっている」
指先が匙の上で震えた。
十秒。
アルマはもう一度、蜂蜜を舌へ乗せた。
「甘い。昨日と同じだ」
今度は答えた。
だが、昨日のアルマなら一口目で顔をしかめていた。
甘いと言えるまでに、十秒かかった。




