第10話 十日目「倒せない門番を通り抜ける」
門番を倒さなければ先へ進めない。
勇者の旅なら、よくある話だ。
「逃げます!」
勇者は開始三秒で、来た道を戻った。
門番の石拳が、さっきまでミロの頭があった場所を通り抜ける。
風圧で俺の外套がめくれた。
十日目の朝。
俺たちは西街道の古い石門へ着いた。
谷を塞ぐ門は、黒曜城より古い。人間と魔族の境が今より曖昧だった時代、商人と配達人を通すために作られたと聞いている。
両脇には人の三倍ある石像が一体ずつ。
普段は動かない。
昨日から、よく動く。
右の石像が二発目を構える。
ミロはすでに安全な岩陰へ入っていた。
「レオルさんも!」
「俺が動くと、荷物が潰れます!」
足元には、昨夜運び込んだ縄、煙筒、鏡、木箱が広がっている。
本来はガドの部隊と模擬戦を行い、勝った勇者が門へ認められる段取りだった。
監察が入ったため中止した。
代わりに、門番を眠らせる古い停止札を用意したが、雨で文字が半分流れていた。
役に立たない道具だけは、今日も予定どおり揃っている。
石拳が振り下ろされる。
俺は木箱を蹴り、身体を横へ投げた。
拳が地面へ埋まる。
衝撃で鏡が一枚割れた。
「道具は置いてください!」
ミロが岩陰から戻ってくる。
「戻るなら、もう少し早く!」
「レオルさんが逃げると思ったんです!」
「仕事道具を置いて?」
「僕と同じ基準で考えました!」
失礼なうえに、少し正しい。
ミロは俺の腕をつかみ、石像の次の拳から引きずり出した。
二人で岩陰へ転がり込む。
石像は追ってこなかった。
門の中央へ戻り、両手を膝へ置く。
『名、荷、届け先を告げよ』
腹の底へ響く声だった。
「さっきも聞かれました」
ミロが息を整える。
「勇者ミロ。荷は聖剣。届け先は黒曜城」
『拒む』
石像の目が赤くなる。
そこから三秒だった。
「言い方を変えます」
「職業を偽るんですか」
「元配達人なのは本当です」
ミロは岩陰から顔だけ出した。
「配達人ミロ。荷物は手紙。届け先は……」
言葉が止まる。
鞄へ手を当てた。
あの未配達の手紙だ。
故郷の老女から、国境のどこかへ嫁いだ娘へ宛てたもの。公の配達路にない集落で、ミロは宛先の印しか知らない。
「届け先が分かりません」
『拒む』
石像の拳が上がる。
俺たちはまた走った。
五度目の拒否を受けたころには、俺の道具は半分が石の下へ埋まり、ミロは逃走経路を四つ開拓していた。
そのうち三つは行き止まりだった。
「門番を倒せませんか」
「聖剣で石が切れないのは、二日目に確認しました」
「小刀は」
「手入れに三十年かかります」
ミロは聖剣を抜き、石像の足へ当ててみた。
刃は表面を滑り、石粉一つ落とさない。
石像が足を上げる。
ミロは逃げた。
今度は俺も先に逃げた。
学習は大事だ。
門から離れると、石像は元の位置へ戻る。
攻撃範囲は決まっている。
門を壊そうとしたときと、答えを拒まれたあとだけ動く。
ならば必要なのは勝つ方法ではない。
正しい答えだ。
「名前は合っています」
俺は地面へ三つの丸を描いた。
「荷も嘘ではない。違うのは届け先か、目的です」
「魔王を倒しに行く人は通さない?」
「商人と配達人の門です。戦争が始まる前の規則で動いているなら、聖剣を荷と呼ぶのが悪い」
ミロは鞄から手紙を出した。
封は六角形の蝋で閉じられ、宛名の下に三本に分かれた杉の印が描かれている。
「この印、どこかで見ました」
ミロが門へ近づく。
石像の目が赤くなる前に止まり、左右の柱を見上げた。
門には古い傷と苔が重なっている。
俺には石のひびにしか見えない。
ミロは荷物を探すときの目で、一つずつ形を拾った。
「あそこです」
左柱の根元。
泥をこすると、三本に分かれた枝の印が出た。その下に、小さな三日月と、右向きの矢が刻まれている。
「配達所の古い中継印です。三日月は夜便。矢印は、次の受取所」
「宛先そのものでは?」
「違います。昔は、住所が分からない荷物を印ごとの中継所へ送っていました」
未配達の手紙の届け先は、まだ分からない。
だが次に渡す場所は分かった。
門の向こうだ。
ミロは聖剣を鞘へ納めた。
代わりに手紙を両手で持つ。
「もう一度、行きます」
「拒まれたら?」
「逃げます」
「安心しました」
門の前へ出る。
石像の目が赤く光った。
『名、荷、届け先を告げよ』
ミロの膝がわずかに曲がる。
逃げる準備だ。
それでも手紙は鞄へ戻さなかった。
「配達人ミロ」
勇者とは名乗らない。
「荷物は、まだ届けられていない手紙です。届け先は、この門の先にあった三本杉の中継所」
石像が腕を上げた。
ミロの右足が半歩下がる。
「ただし、手紙は捨てません」
石拳は落ちなかった。
『荷を検める』
石の指が差し出される。
ミロはためらった。
手紙の封を守るように、両手で包む。
「開けないでください。受取人以外には渡せません」
門番を相手に配達規則を優先した。
石像の赤い目が、手紙とミロを交互に見る。
長い沈黙のあと、指が引いた。
『封、保全。荷、適正』
左の石像も動いた。
二体が門へ手をかける。
石と石がこすれ、谷全体が震えた。
閉ざされていた扉の間へ、細い光が差す。
門が開く。
ミロはその場へ座り込んだ。
「立ってください。勇者らしく」
「配達人で通ったのに?」
「そこは黙っていれば分かりません」
雨上がりの村から、避難した人々が見ていた。
誰かが拍手する。
次に子どもが手を叩き、村長が続く。
「勇者様が門を開けたぞ!」
「剣を使わずに!」
「川の次は門だ!」
話が大きくなる速度だけは、川より速い。
ミロの右手が光った。
昨日より明るい。
包帯の布目を透かし、印の輪郭がはっきり浮かぶ。
通信鏡が腰で熱を持った。
俺は人目を避け、開いた門の脇で鏡を出す。
アルマの顔が映った。
「門が開いた」
「見ていましたか」
「勇者印の光が、黒冠へ届いた」
声は平静だった。
右角に、昨日までなかった細いひびがある。
最初のひびと並び、根元から上へ伸びていた。
「二本目ですね」
「進んだのは勇者も同じだ」
「同じ速さなら困ります」
アルマは右角を隠さなかった。
「レオル。今日の私は、何を食べたと思う」
「朝なら、焦げたパンを」
「あれは焦げていない」
即答だった。
まだ大丈夫だと、思いかけた。
「蜂蜜を塗った。甘すぎた。おまえなら量を半分にしろと言う」
味も、俺の小言も覚えている。
二本目のひびを見た直後だけは、その事実にすがりたかった。
通信鏡の向こうで、誰かが扉を叩いた。
アルマは王の顔へ戻り、通信を切る。
門の向こうから足音がした。
灰色の外套を着た若い女が、こちらへ歩いてくる。
背には薬箱。胸には寺院の印。
彼女は開いた石門にも、拍手する村人にも目を向けなかった。
まず、ミロの右肩を見た。
「寺院治癒師のユラです」
挨拶をしながら、もう包帯へ手を伸ばしている。
「勇者様の監視に来ました。質問は治療のあとにします」
指先が、矢傷の縁で止まった。
「この傷」
ユラは俺を見た。
「誰が、こんな外し方をしたんですか」




