生存の代償
避けられない死がある。
起こる前から決まっている死もある。
そして――
選ばれる死もある。
生と死の狭間で、カイトにはもう差し出せるものは何も残っていない。
ただ一つを除いて。
問題は――
それで足りるのか。
世界が、息を止めた。
カイトの身体は師の手の中で力なく吊られていた。首は前に垂れ、呼吸はほとんど存在しないほどかすかだった。腕からは血が流れ、ゆっくりと、不規則な間隔で、ひび割れた地面へと滴り落ちる。
もはや抵抗はない。
意識もない。
抗う力もない。
限界に達した、ただの身体。
「……これが正しい判断だ」
師の声は静かだった。
そして――絶対的だった。
カイトの喉にかけられた指が締まる。潰すほどではない。だが、終わらせるには十分だった。
もう片方の手が持ち上がる。迷いはない。正確に、命が途切れる瞬間を測っている。
その背後で、イツキが前へと身を引きずる。
全身が痛みに震えている。
「……先生……!」
声が崩れる。
「お願い……!」
返答はない。
手が動く。
---
内側――
そこには地面がなかった。
空もなかった。
ただ、広がるのは――
圧し潰すような静寂。
カイトはその闇の中で膝をついた。呼吸が乱れ、身体は遠く感じるのに、同時に異様に重い。
「……お願いだ……」
声が割れる。
「……力をくれ……」
沈黙。
そして――
何かが動いた。
存在。
古い。
動かない。
玉座が現れる。
無から。
肉のようでありながら、それよりも遥かに古い何かで形作られたそれ。
その上に――
“覇者”。
見ている。
動かない。
「……また来たか」
その言葉は大きくも小さくもない。
ただ、存在する。
カイトは拳を握る。爪が掌に食い込む。
「俺は……死ぬ」
応答はない。
「殺される」
間。
「……それがどうした」
その一言は、刃よりも深く突き刺さる。
カイトは顔を上げる。
「……死にたくない」
覇者がわずかに首を傾ける。
「……お前の身体はすでに壊れている」
一歩。
「……あと数撃で――」
「……命乞いか」
カイトは歯を食いしばる。
「……なら直せ!」
沈黙。
そして――
低く、静かな笑い。
「……もう一度力を流せば死ぬ」
「……お前の身体では俺を保てない」
カイトはよろめきながら前へ出る。
「……どのみち死ぬ!」
声が割れる。
だが止まらない。
「このままでも死ぬ……!」
「お前の力を取れば……!」
「……生きられるかもしれない!」
間。
「……だから寄越せ」
沈黙。
今度は重い。
測っている。
裁いている。
そして――
覇者が立ち上がる。
「……哀れだな」
一歩。
「……だが、面白い」
手を上げる。
そして――
カイトの胸に触れる。
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現実が砕けた。
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「……何だと――」
師が止まる。
ほんの一瞬。
理解不能な何かが、彼の知覚をかすめる。
見えない。
だが――分かる。
玉座。
血に沈んだ戦場。
無数の亡骸の上に座る存在。
見ている。
古い。
絶対。
握りが揺らぐ。
わずかに。
「……あれは……何だ……」
イツキの声が震える。
だが師は答えない。
初めて――
躊躇した。
それだけで十分だった。
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カイトの身体が激しく痙攣する。
黒い紋様が皮膚を走る。
ガラスに走る亀裂のように広がり、燃え、形を定めない。
背中が異様に反る。呼吸が乱れる。
音が漏れる。
叫びではない。
まだ。
もっと低い。
何かが壊れる音。
「……反応したか」
師が呟く。
再び冷静さを取り戻す。
「……関係ない」
手の力が強まる。
もう一方の手がコートへ。
細い札を取り出す。
異様な重み。
鋭すぎる縁。
「……ここで終わりだ」
一枚を掲げる。
そして――
カイトが消えた。
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静寂。
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手は空を掴む。
イツキの目が見開かれる。
「……何が……」
師はすぐには動かない。
視線はそこに固定されたまま。
やがて――
「……逃げたのではない」
間。
「……何かに奪われた」
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五日後。
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白い光。
機械音。
イツキが目を覚ます。
痛みが走る。
鋭く。
現実的に。
「……病院か……」
記憶が戻る。
戦い。
圧。
崩壊。
カイト。
身体を起こす。
「……どこだ」
沈黙。
「……知っていれば」
隅から声。
「……すでに殺している」
イツキの顎が強張る。
「……あいつは助けた」
返答はない。
扉が開く。
整った男。
「……当主からの伝言だ」
「……保護下に入れ」
イツキは視線を向けない。
「……今さらか……」
シーツを握る。
男は去る。
静寂。
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別の場所。
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闇。
押し潰すような。
生きている。
カイトが崩れる。
震える身体。
地面を掴む。
痛み。
過剰。
「……やめろ……」
叫び。
「やめろォ!!」
身体が歪む。
筋肉が軋む。
骨が引き裂かれ、組み直される。
「……何なんだよ……俺は……!」
声は消える。
戦場。
再び。
玉座。
覇者。
見ている。
カイトは這う。
「……助けてくれ……」
沈黙。
「……頼む……」
震える手。
「何でもいい……止めてくれ……!」
何もない。
呼吸だけ。
崩壊する身体だけ。
そして――
痛み。
さらに深く。
決定的に。
カイトは叫ぶ。
その叫びは――
止まらなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
ここまで読んでくださったなら、あなたはすでにカイトの世界に足を踏み入れています――そして、ここからさらに深く、暗くなっていきます。
この章は、新たな始まりを示すものです。ただの生存ではなく――その「代償」の始まりです。
カイトが選んだもの、彼に応えた存在、そしてその代価――それらの答えは、これからゆっくりと明かされていきます。
もし少しでも興味や不安、あるいは惹かれるものを感じていただけたなら、ぜひコメントやブックマークをしていただけると嬉しいです。それが思っている以上に大きな力になります。
そして、もし楽しんでいただけたなら、ダークな物語が好きな方にぜひ共有してください。
それでは、次の章でお会いしましょう。




