15.わたしはわたしがわたしのために/red
♢
「シラン殿も随分と騎士団に馴染みましたね」
そう声をかけてきたのは上層部との会議だとかで席を外したミーネに代わって、訓練の指揮を執っているオリドだった。相も変わらず走り込みにへろへろになるし、手の肉刺は潰れっぱなしだし、止まらない汗に借りた騎士服がびしょびしょになっているシランに対して、彼はそんなことを爽やかに告げる。
「……居候ですけどね」
「けれどいい兆候だと思います。知っていますか?君に負けていられないと他の団員も訓練に熱が入っていて、今とても士気が高まっているんです。君がここに根付いてくれると、指導する私としてもありがたい」
「オリド様ってミーネ様の部下の割に策略家ですよね」
ミーネ本人が感覚派だからあえての彼かもしれないが、当初穏やかそうに見えていたオリドの笑顔は訓練に参加するようになってから少しずつ腹黒いものに見え方が変わってきていた。今だって指摘されてもそうですか?なんてのらりくらりとかわしている。いや、それは今は置いといて。
「……ル・ティーヴァの魔術師が騎士団に根付くって嫌じゃないんですか?」
「魔術師を辞めて騎士になればよろしいかと?」
「……」
柔らかな笑顔で返された言葉が、心に小さく棘を刺した。
♢
「シラン様、医官に人事募集がかかってるらしいですよ」
「政務官も万年人手不足らしいですけどね」
「ランゼさん、マルガさん」
ふとした調べ物の折、休憩中の──確かミーネが入院していた時に門番になってくれた頼り甲斐のある──二人のメイドと鉢合わせた。開口一番そんなことを言われて、首を傾げるとあれ、と壁にかかったボードを指さされる。
「王城の求人情報。医務室と薬室の先生がシラン様を褒めてたんですよ、ミーネ様の治療の時本当に助かったって」
「でもシラン様くらい頭がいいなら政務官目指して、元老院の頭もケツもお堅い爺さんたちをばっさばっさと一掃してほしいわ、あたしは」
「……僕、ル・ティーヴァの魔術師なんですけど」
「え?でも国には戻られないんでしょう?じゃああとは魔術師を辞めればいいじゃないですか」
「そうそう、陛下が認めたらきっとすぐ叶いますって!」
善意なのは知っている。ちくりちくりと胸を棘が刺す。
♢
部屋にこもって、手紙を何度も見返していた。
アヴァロンの魔術師を名乗って欲しいというシキミの願いが、薄れていく気がして。
シランは生粋の魔術師だ。魔術師じゃない自分は果たしてシランと呼べるのだろうか。それにもし辞めたら、シキミの身を賭した犠牲はどうなるだろう。魔術師って、……魔術師ってなんだっけ。
終わりのない脳内問答になんだかモヤモヤして、ため息をついて、それから、本を片手に部屋を出て。
ノック数回で出た部屋の相手は、シランを見て驚いた様子で招き入れてくれた。
「……魔術師を辞めろと言われた?誰に」
「……色んな人に」
髪につける香油の匂いだろうか、それが淹れてくれたハーブティーと混ざり合ってなんだかこの部屋だけオルヴェンじゃないみたいだ。この国のために生まれ落ちたような金の髪。照らされた大地のような鳶色の瞳。そのうちこの姿は守護神としてシンボル化していくのだろうか、とまた要らないことを考えた。
「善意なのはわかってるんです。ル・ティーヴァと魔術師ってことを捨てれば、この国で生きていくのは容易いでしょう。新しい一歩は障害ができる限りない方がいい──シキミもそう思って準備を整えてたわけですしね。だから、……」
「うん」
「でも、僕は魔術師です……!僕一人の気持ちで辞めることなんて、シキミが……!」
「……うん、うーん……シキミ殿のことは一旦置いて置くとしよう。一度ゆっくりお茶を飲むといい。……飲んだかな。じゃあ、君に一つ質問をしよう」
その声はただ穏やかだ。共に駆けた時と変わらず、記憶が戻っても変わらず、柔らかで、だからこそシランの胸を打つ。
「君が好きなものは、なんだろう」
答えを聞く気のない問いかけだった。けれど、心に刺さった棘が解けるのを、感じた。
♢
……何故だろう、なんだか変な沈黙がこの場を支配している気がする。
少し心配になって横目でミーネを見ると、分かりやすく表情を晒して微笑んで、シランの後ろにいるだろう王族や近衛騎士を一瞥する。つられて振り返ると、理解し難いといった様子の近衛騎士と──表情は流石のポーカーフェイスだ、見破れない──考え込む様子の王族たちの姿があった。最後に魔女を見上げる。一番分かりやすく首を傾げていた。
「……ええと、」
「お前は、あの呪術師を取り戻したいとは願わないのだな」
「え?あぁ、全然」
「……全然?」
思わずといった調子で背中から飛んだのは少女の声だ。多分、姫殿下の。なるほど、どうやらシキミを取り戻したいとシランが考えていたと思われていたらしい──なるほど。ここの空気はそのせいかとシランは合点がいった。
「はい、全然。あの人が居なくなったのは自業自得なので、勝手に帰ってくると思ってます。……そうじゃなくて、魔女様、」
仕切り直すように声を張り上げると今度はミーネが肩を振るわせているのに気がついた。辞めて欲しい。これだって背中を押したのは貴方じゃないか。
「僕の魔術師としてのあり方は存在そのものなんです。でもここに居たい。だから、魔術師としてここにいる、その両方を僕の全てをかけて、願います。どうか──」
「この国のために魔術を振るう人間でいたいんです。僕が僕らしく、あるために」
──魔女のドレスからぽつん、飛沫が落ちた。
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