bound 境界
ウレイアは小さ目な水晶を握り込むと、トリィアのために技を封じ込めた。
これを身に付けていれば、トリィアはのべつ姿を隠していることになり、人間から見とがめられないのは間違いないのだが、はたして同族や特にテーミスに対してどれ程の効果があるのかは予想できない。
トリィアはテーミスの悪意に操られ、自分の『力』を見失ってしまった。しかし、たとえ『力』を使うことができなくなってもウレイアに不安な顔を見せることは無く、今はただ、出来ることで彼女を補助し、テーミスを倒すことだけを考えている。
「さあ、それじゃあこれを…」
「ひっ!」
トリィアの反応にくすっと笑った。
「我慢なさい、ちゃんと被って…それじゃあ…行きましょう」
2人は重たいローブをしっかりと着込んだ。
少し予定は変わってしまったが、結果は変わらない…そんな自信がウレイアにはあった。
(エルセーには後でさぞ怒られるのでしょうね?)
エルセーの単独突入を思いとどまらせるために情に訴えてまで説得したというのに、一体どうすれば許してもらえるだろうか?
こうなるとテーミスはまるでザコキャラで、恐怖のラスボスはエルセーであり、彼女に許しを乞うことが本番となる気がしてきた。
「ふふふ…」
いきなりのウレイアのふくみ笑いにトリィアがびくっとおののいた。
「な?なんですかっ、お姉様?」
「ああ、ごめんなさい…置いていくエルセーのことを考えると、後が怖くってね……怖すぎて笑えてきたわ」
トリィアはあきれた顔をすると、
「ええ?なんだか楽しそうでしたけど?」
「くす…ええ、そうかもね…」
「あ!そういえば忘れてましたっ」
ウレイアはどきりとした。この話しの流れで思い出すことといえば、エルセーのことに違い無いからだ。
「大お姉様は元の姿に戻っていました」
「っ!、そうなのっ?……それはまずいわね…」
ウレイアの不安は確信に変わった。神妙に考えこむ顔をさすりながらため息を吐く。
「お姉様?なんだかテーミスよりも大お姉様の方を余程恐れているように見えますけど?」
「え?ええ、怖いわよ…素のあの人に会ったのならあなたにも解るでしょう?それに…あなたも人ごとでは無いんじゃない?」
呆気にとられていたトリィアの顔もエルセーの怒りの報復を想像するだけでみるみる青ざめる。
「まずいっ、それはまずいですね?お姉様!」
「そうでしょう?ううむ…ま、まあとにかく、早く済ませて家に帰りましょう」
「ええ?黙って逃げ帰ったりしたらそれこそっ…それこそ………まあ…仕方ないですね…」
ウレイア達はそんな不安も置き去りにして、逃げるように部屋を出た。
陽が落ちて間もない街には、まだ人の往来がある。本当なら深夜を待って行動したいが、もしもテーミスが戻っていないなら今の内にやっておきたいこともあった。
まあ、人間に姿を見せなければ問題はないのだが。
「どうですかお姉様?私は隠れていますか?」
今はウレイアの石に頼るしか無いトリィアは確かめるように言った。
「ええ、私には幽霊のように朧げに見えるけど、人間にはまったく認識されないでしょうね」
その石にウレイアは全力を込めた。まるで自分の偽装を自分で見ているような妙な気分だが、自分がトリィアを確認できるのなら、単純に『力』で勝るテーミスにどれ程の効果があるのか?
トリィアは思い出してくすっと笑った。
「うふふ、まったく…『天使』よりも大お姉様の方が怖いなんて」
「あら、あなただって同意したでしょう?」
「お気持ちは分かりますが…」
呆れたように微笑むトリィアを見て、ウレイアも少し安心できた。
「私がこの世で本当に怖いのは、エルセーとあなただけよ…?」
「え、えーっ?なんでっ?わたしもですかーっ??」
「ええ…いつもご機嫌を損ねないように気を使っているわ」
トリィアはまったく腑に落ちていない顔をすると、
「ま、またまたー、そんなわけないじゃないですかー、もう………それっ、本当ですか……?」
「ふふ…」
これから……誰かと殺し合いをするとなれば、どんな相手でも絶対は無い。
またその覚悟ができないのであれば、そもそも相手に殺意を向ける資格も無い。
それを知っている2人には、今のこの時間が何よりも愛おしい。いつにも増して優しくあろうとする時間がここにはあった。
「お姉様…」
「ん?」
「何の力も持たない今の私なのに…私を部屋に置き去りにせずに連れて来てくれて、ありがとうございます」
「『力』の有る無しじゃない。あなたは十分に強くなったし、もう小娘とは言えないもの。それに、あなたは私と『命約』を交わしたパートナーでしょう?」
「もちろんですっ!」
気がつけば、トリィアを気遣う時にウレイアが振り返ることは無くなった。
寂しくもあるが、後ろからいつも自分を見つめていたトリィアはもういない。今は自分の隣に立ち、自分と同じものを見つめている。
ウレイアはそれが、誇らしくてたまらなかった。
「さて…正面から入るわけにはいかないから裏に回りましょう」
(死神として、私は何度も何度も…こうして暗闇を歩いてきた……時には楽しみ、時には誇り、時には哀しみ、そして…立ち止まるようにもなった。そして今は、憤怒の女神としてテーミスの存在を否定するために歩いている)
「へえー、こんな塀に出入り口が?…!っ、いえいえ、ダジャレでは無いですよっ、決して…」
テーミスを屠る理由はひとつだけ…トリィアの傷をかきむしったからだ。
(かつて、エルセーは私の為に教会をひとつ世界から消してくれた。涼しい顔でこともなげにそんなことが出来るエルセーは、誰よりも気高くて、何よりも強く美しかった)
「それじゃあ、ここからは一度別れるわよ?今はその目だけが頼りだから……辺りには十分に気を配るのよ」
「分かってますっ。お姉様もお気をつけて」
「ええ…もしテーミスに気づいたらすぐにそちらに行くから。また後でね……」
「はい」
(エルセーに憧れて、エルセーの様になりたいと願った時から、彼女は私の半分になった)
(私達には血のつながりなどは無い。けれど、受け入れて継いできたもの、そそがれて育ったもの、血よりも濃いものが私の魂の中には確かに流れている)
(そして自分が誰かを育てられるようになったなら、エルセーのようにありたいと願った)
「お姉様っ」
「なに?」
「い、いえ…またあとで…」
「ええ」
二手に別れると、ウレイアは迷うことなく地下に向かった。大きな教会に地下室は付きものだが、多くは保管庫や聖人を祀るための霊廟として割り当てられる。
それは大切なものを火災や破壊から守るためだが、この上物に対してこの程度の地下のスペースはやはり物足りない。完全な暗闇の中を一番奥まで進んでいくと、初めて調べた時の霊廟にたどり着いた。
扉に鍵はかかっていない。中には祭壇と、その奥に石棺が置かれている。棺に何も刻まれていないのは珍しい。
ウレイアは体にぐっと力を入れると、石棺の蓋をずらした。
軽い…厚みに対して軽すぎるのは使われている石の材質と、裏を削り取って薄くしているからのようだ。ぴったりと隙間が無かったのは柔らかい石材が何度も擦り合わされているからのようだ。
(やはり…これはパミス、多孔質な表面は石粉を塗り固めた手の混みよう……)
パミスとは軽石のことである。中には更に下へと伸びる階段がある。視通してみると、一旦は下がるものの先にはまた登る階段がある。つまりは向こう側には別の空間があるということだ。
そして罠らしきものは…無い。
それでも慎重に、より注意を払いながら進んでいくと、登りの階段の上にも石の蓋があった。蓋の裏にはちゃんと手を掛けられるようになっている。少しだけ蓋をずらして外を視ると、入ってきた部屋と同じような造りの個室になっているようだ。
石棺から抜け出し部屋に降りるとドアの隙間から灯りが漏れているのが見えた…
(外は廊下か…先の大部屋に6人集まっているわね。当然、これで全員では無いのでしょうね?それにしても、見られている感じがないけど…?)
廊下に出ると幾つかのドアがある。こちらの地下空間の方が大分広く造られているようだ。
!
廊下からその大部屋に向かおうとした時、何者かの視線を感じた。つまりは同族がいるということだ。ウレイアは大部屋の前で一拍おくと、集中力を高めてからドアを開いた。
全員の視線が一斉に侵入者に向けられる。
虚ろな目、品定めをする目、穏やかな目、しかし敵意を持った目は今のところ…無い。
そしてやはり、全員が同族だった。
部屋の中を見回すと快適に過ごせるよう十分な家具や物に溢れていたが、ベッドが無いところを見ると、寝室は別のようだ。ウレイアが部屋の全てを観察していると、年長者と思しき女がまずは声を掛けてきた。
「ようこそ、新しい姉妹…あなたが話しに聞いていた方ね。テーミスが嬉しそうに話していました」
直感だが生きてきた年月はウレイアと同じくらいか…少し下か?
「テーミスに化けていたのはあなたね…?」
迷わず言い当てられた女は驚いた顔を見せる。
「なんだ…バレていたの?さすがっ、あの子が特別な目で見るだけはあるのかしら?」
そしてウレイアをすぐに射抜くような目で見ると
「あの子のお気に入りのあなたには悪いけど、ここでは私の言うことを守ること……あの子には私がついているんだから、けっして出過ぎたマネは…」
「〝黙りなさい……〟」
そうウレイアにささやかれた次の瞬間には、女の顔に恐怖と後悔が張り付き、言葉を詰まらせた。
「!!!!!!」
「?!」
「!っ…」
すぐそばで天変地異でも起きたかのように、全員の視線が改めてウレイアに注がれたっ。
もはやこの場では遠慮などはしない。
この時ウレイアは、トリィアにも見せないような猛々しい『威勢』を隠すことなく放っていた。全てをさらけ出しているわけでは無いにしてもその威圧力はエルセーにも劣らない。
畏怖、畏敬、羨望、それぞれの反応を見せるが、注目を集めるには充分だった。
そして放ったその強威は、たしかにトリィアにも届く。
(!、えっ…これってお姉様?うそ…)
力の感覚を失っている筈のトリィアは驚いた。
同族達が静まりかえった中でウレイアは声を上げる。
「聞きなさいっ、私はこれからテーミスを殺すわ…間違いなくね……」
!っ、??????
すぐに当然その場がざわつく。
「すぐに理解なさい!この中でテーミスを護りたい者、もしくは殉じたい者は前に出なさいっ、そして私を止めてみせなさいっ!そうでない者はすぐにこの教会から去りなさいっ」
女達は言葉は発せず互いを見ると、座っていた者も黙って立ち上がり4人が殺意を持ってウレイアの前に立ち、残った2人は振り向くこともなく部屋から出て行った。
それでも4人が残ったことにウレイアは感心した。中には自分の意思では無さそうな者もいるが……
「大したものね……?それと…てっきりあなたは真っ先に逃げ出すかと思っていたけど?」
その中にはウレイアに大口をたたいた同族もいた。醜い心の臭いを嫌うテーミスが何故こんな女を姉妹に引き入れたのか?考えられるのは、テーミスと出会ってしまったから身に余る野心を抱いてしまった、ということ……
それが今に至っても放り出さないのは…僅かな情か、自分自身への責任か…?
「あ、あんたがどれだけ強いとしても、4人を相手に勝てると思ってるわけ?」
またしても大口をたたいている姿に少し呆れてしまったが、ウレイアはにっこりと笑うと、前に一歩あゆみ出た。
「くす、時間もないし、それじゃあ…やりましょうか……?」
「「「「!!!!」」」」
一瞬で室内は惨状となった。数を頼っておごり、ウレイアにペースを渡してしまった時点で勝敗は決していた。先手を取ったウレイアの速さを凌駕できる者などここにはいなかった。人形になっていた女に目眩しの石を放ったが、同時に、あとは一息で撫で斬りしただけだ。
目の前には死体が2つとケガ人が2人。ケガ人は腰が退けて運良く鋼糸による即死をまぬがれた大口女が1人……
人形の目で向かって来るので仕方なく、脚のいちばん痛みの酷いところを切り落とさない程度に切り裂いてあげた女が1人、幸いその激痛のおかげでテーミスの呪縛から解き放つことができたようだ。
「いーっ!痛あいいいいっ!!あああっ、ここはどこなのっ?あの、あの…おんなわぁ?」
目覚めても暗中でとり乱す同族に歩み寄ると、傷を押さえて語りかけた。
「悪いけど、助けてあげられるのはここまでよ?ここはボーデヨールの教会にある地下室よ、分かる?動けるようになったらすぐにここから逃げなさい」
「く、痛ぅーっ…ああ、あなたは…?」
「気にすることはないわ、ついでで悪いけど…仇も取ってあげられるから。頑張りなさいな……?」
この女が奪われた時間は果たしてどれくらいだったのか?憐れではあるがこれ以上関わるつもりは無い。
そして次に首を懸命に押さえている大口女の前に立って見下ろすと
「まあ、今までは運が良かったのね……」
「!、ひっ…ば、バケモ……おお願…い、ころ…さないでええ」
その様にウレイアは眉をひそめた。所詮はテーミスの威を借り成り上がろうとしていただけの小物か…実際のところ、この手の輩はテーミスよりもタチが悪い。
ウレイアは顔をしかめて問いかけた。
「あなたの誇るものは一体何なの?」
「ええ…?」
この女には自分の言葉も通じない……
っと、ウレイアは上を仰ぎ見るっ。
「!、どうやら時間ね、あなたの大好きなテーミスが戻ってきたわよ?」
すると女がせせら笑った。
「くくくっ…げほっ。たとえあんた…でも、テーミス…に勝てるもの…かっ!?」
耳障りな音を発する虫をはらうかのように、見上げたままのウレイアは今度こそキレイに女の首を落としてみせた。
大口女が積み木のように崩れる姿も放って立ち去ろうとすると、足を斬られていた女が無理やり立ち上がろうとしている。
「くそっ、くそっ…くやしい……っ。そうよっ、テーミスよ。あの小娘えーっ…」
「無理に動くと治りが遅いわよ?」
「関係無いっ、動ける!アイツに一発だけでもいいんだ…でなきゃ私は前に進めないっ」
もうひとりからは懸命に生きてきた者の叫びが聞こえた。
「落ち着きなさい。動けるなら早くここから立ち去りなさい、それが今、あなたに出来る最善よ。仇は討ってあげるから、何としても生き延びなさい」
「痛ーっ。ちくしょうっ!!」
悲痛な思いを受け取りウレイアは急いでもときた道を引き返す。
(若いのに多才だったのは誰かに指導を受けていたおかげかと最初は思ったけど、やはりね……テーミスの場合は誰かを言いなりにしてサポートさせた方が、からくりとしては分かりやすい)
テーミスはもう気がついただろうか?ちょうど正面から街に入ろうとしていた。
(あら…ひとりなの?てっきり隠れるのが得意な誰かと一緒だと思っていたけど…?)
ウレイアは少し考えるとにやりとした。
(もし、誰かをエルセーのところに置いてきたのなら、かわいそうに……)
地下から抜け出し礼拝堂に向かう途中で何人かとすれ違ったが、そんなことは気にも止めずに風を少し起こしてすれ違う。
目指すのは当然、礼拝堂。
何やらトリィアは祭壇の下に身を隠しキョロキョロと辺りを気にしているが、その姿を目にしてウレイアの悪戯心がうずいた。
「トリィア…」
ウレイアはわざと忍び寄って突然声をかけた。
(!!っ、うわーーーーっ)
口を押さえて予想外に跳び上がって驚いたトリィアはゴツッ!っという音と共に祭壇の裏に頭をしたたかにぶつけてうずくまった。
(いっったーーーーーっ!)
「あ……ごめんなさい…」
さすがにウレイアも申し訳ない気持ちでトリィアの頭を撫でると、けっこうなタンコブが盛り上がっている。
いやしかし、自分に気づけない相手にどうすれば脅かすことなく声をかけられるのだろうか?まあひと気が無いのだから姿を見せれば良かったのだが…
この時間の礼拝堂はロウソクはまだ灯されてはいるが、人が入って来る心配はあまりないようだ。
トリィアは当然声を抑えて詰め寄ってくる。
「お姉様っ!もしかして今のはわざと驚かそうとしませんでしたかっ?」
「な、こんな時にそんなこと思うわけがないでしょう?」
ウレイアとしたことが、ぼやっとした姿のトリィアに見つめられた時についちょっとだけ目が泳いでしまった。
「やっぱりっ!おねっ…う、うむむう…」
らしくも無くトリィアは言葉を飲み込んだ。
(あら?てっきりぐずられるとばかり…)
「まったくもうっ……まあ、何故かお姉様が近くにいるなとは感じていたんですけど。あっ!それより先ほど間違いなくお姉様のおっかない気迫を感じました。あれは…?」
これまでも多少は晒して見せてきた本性だが、言ってみればあれはウレイアの負の側面、人を押さえつけて喜ぶ悪魔の面様。
当然、彼女の中に悪魔だけが巣くっているわけでは無いし、もちろん自分で分かってやっていることではあるが、自身の内側や湧き上がるものを抑えずに誰かにぶつける姿をトリィアに見せたことはない。
「まあ…そうね……これからテーミスと相対した時に、いつもと違う私を見るかもしれないけれど、なんと言うか……」
「ま、まさかっ、大お姉様みたいに変身なんかしたり?」
「ええ…?くすっ、そんなまさか」
ただ、何を目にしても今まで通りに自分を見て欲しい、そんな気恥ずかしいことが言いづらかった。
「つまり、本気のお姉様が見られる、と言うことですか?それはかなり楽しみです!」
「そう?」
「すごくっ!」
「そう…」
今のトリィアになら自分の全てを見せても何も変わらない…そんな自信を得るのにこんなにも長い時間がかかってしまった。
それはテーミスが言っていた通りである。相手の力量を肌で感じることが出来る彼女達は力の差がある程にどうしても気後れし、尻込みし、言われるがままに従うことさえある。
ウレイアはそんな関係をトリィアと築きたく無かった。ただ家族として彷徨っていた彼女を受け入れたのだから。
テーミスの能力ならば、自分がいることも、仲間がいなくなっていることも、何よりトリィアがここにいることにも気づいているはずだ。
しかしそのテーミスが乗った馬車は、動きを変えることもなく、もうすぐここに帰ってくる。
ウレイアが馬車の動きを気にしていると、トリィアはそれを察して目つきが変わる。
「もうそろそろ、やって来ますか?」
「ええ、慌てる様子も無くね…さすがに影武者…ということは無いと思うけど」
ウレイアは立ち上がると祭壇の上に飛び乗って、遥かに高い天井を見上げた。
(ここならばうってつけね)
そのまま天井をしばらく見回していると、静かに礼拝堂の重いドアが開いた。
「ようこそ…ウレイア姉さん」
囁くようで、しかし良く通る高い声…白い『天使』、考えてみると『人形』が歩いているのを見るのは初めてだ。
テーミスは銀白のローブと、そのフードを深々とかぶった姿で現れた。
「わたしの…姉妹たちを感じないけど…まさか姉さん…?」
ウレイアの無感情な目がテーミスを見つめる。
「もういないわよ……?でも良かったわね、良かれ悪しかれ3人はあなたを守ろうとしたわよ?」
テーミスが眉をひそめる。
「かわいそうに…」
彼女は短い祈りを捧げると、
「姉さんは…〝姉妹たちにやきもちをいだいたのね…そうでしょう?〟なら…仕方ない」
始まった…テーミスはウレイアの中で自分を肯定させる言葉を紡いでいく。
「でも…わたしの姉妹たちは殺したのに…なぜその娘は生きているの?」
意外にテーミスがはっきりと心の揺らぎを見せる。初めて出会ったついこの前とは少し印象が変わったように見えた。
その言葉でトリィアがすっくと立ち上がるのを見てウレイアはぎょっとした。
(トリィア?!あんなに忘れないように言ったのに……?)
「テーミス、あなたはお姉様が私を殺すと思っていたのでしょう?噛みつく飼い犬を処分するように。確かにあなたの思惑通り、私はお姉様に噛みついてしまった………でもねっ、この人はたとえ自分が死んでも、私の牙を笑って受け止めてくれるのっ!」
そう言ってトリィアがウレイアを見上げた時に、ウレイアは自分の頰に手を当てるフリをして人差し指で耳を3回叩いて見せた。
(ん?……あっ!)
その仕草を見てようやく思い出したのか、トリィアは慌てて祭壇に身を隠してしゃがみ込んだ。
(んん…でも……)
!!
身を潜めたはずのトリィアが今度は祭壇の横に大きく飛び出して全身をテーミスに晒した。
(トリィアっ?)
「わたしが……自分が弱かったのかもしれないっ、けれど、私はあなたのしたことが許せない。でも…それでもね、あなたには感謝するべきこともあるの………」
ウレイアははらはらと見守っているが、テーミスは首を傾げて、黙って耳を傾けていた。
「今でもそれが何なのか、言葉では説明できない。でもあなたがもたらした傷みの先に、私は何か…この世界の言葉には無い大きな何かに気づいて、それをこの手に掴めた………それは…とても大きくて収める器など無さそうなのにこの手にしっかりと握れるようなもの…私は、それに気づいて確かに握りしめたの……今もっこの手に!」
その手を自分に突き出して見せるトリィアの話を黙って聞いていたテーミスの表情が、不可解と不快にゆがむ。それでもトリィアはかまわない。
「だからお礼を言っておくね。そして…さようならテーミス」
トリィアがテーミスに微笑んだ瞬間っ、トリィアが火柱に包まれた!
ウレイアはつい叫んだっ。
「トリィアっ!」
しかし、焼き殺されるかと思った途端、トリィアが火柱の中から飛び出してくる。
「あ…っ、つーーいっっっ!」
そして飛び出した勢いのまま、またしても祭壇の下に収まる。
(あちちいーっ!お姉様に着せられたローブが無かったら危なかったかもーっ?うおーっ?前髪がちょりちょりにーっ!)
テーミスが明らかに驚いて困惑している。
「ナゼ?…なぜ燃えないの…?」
ウレイアは得意な顔をした。
「なぜ燃えないかって?あなたがその程度だからよ……?」
「?!…………」
いや、そんなわけはない。
実はウレイア達が宿から着込んできたものは、最も重く厚い綿の生地を3枚も重ねて特注したローブで、それにたっぷりと水を吸わせておいたもの…たとえ炎に包まれても、この程度の熱では燃え出す筈もない。
加えて宿から出る前にウレイアが言い聞かせておいたことがある。
「いい?テーミスと対峙したら常に体を逃す方向を意識しておいて。そして火に巻かれた時はすぐに目を閉じ、息を止めて、火の外に飛び出すことっ。何度も想像しておいてね?」
「はあ、でも…こんな簡単なことで?」
「そうね、簡単ね。でも常に用意しておけることでは無いし、用意できないようなことは考えから除外してしまうのが人間の心理なのよ。そして火の天敵は水、濡れた物をすぐに燃やせるほどの温度はとてもとても高いのよ」
トリィアは腑に落ちない様子で返事をする。
「はあ…」
「でも、やはり一番大切なのは、今のあなたに『力』の耐性が無くなっていることを悟られないことよ。気づかれれば一瞬で殺されかねないからね?」
「あ、はいっ」
自分の力が通用しない、その心理を、疑う心をテーミスに植えつけたいのだ。
(それにしてもトリィアったら、わざとテーミスに技を使わせたわね?終わったら叱らないと…)
でもそれだけでは無かった。トリィアはひと言、テーミスに言ってやりたかったのだ。
「テーミス?あなた少し変わったわね……」
驚くと同時に悔しそうな顔でトリィアを見ていたテーミスはウレイアの問いに不意を突かれた。
「え?わた…し…?」
「ええ、少し人間らしくなった…今の方がずっとステキよ?」
「わたし…が?」
『人形』が動揺しはじめている。ウレイアのことが気に入っているならば、ウレイア自身が動揺を誘うテーミスの弱点にもなりえる。
「何か心の傷むことでもあったの?口惜しいことがあったの?かわいそうなテーミス…私が抱きしめてあげましょうか?」
「あ……」
蝋のような顔に赤味が差す。
「でも今、自分の『臭い』を嗅いでごらんなさいな……少し人間臭くなっていない?」
(うおーっお姉様、ひどいっ!)
テーミスの顔の赤味に黒色が差したかと思うと、ウレイアの周りが一瞬熱くなった。
「あらあ…私は燃やさないの…?私を好きだから?それとも神の祭壇とすぐ後ろにある神の像はさすがに燃やせないから?あなたの信仰心は本物だものねえ……?」
テーミスの怒りや悲しみが空気を揺らしている。警戒して離れていた距離も徐々に詰まってきた。
「なぜ…?なんで…そんなひどいことを私に言うの?なんで?ウレイア…」
茶化して逆撫でして、問われることを待っていたその言葉にウレイアは無感情に答えた。
「あなたのことが嫌いだからよ!テーミス?」
「!!!!!っ」
うつむいたまま、テーミスはかっと目を見開いた。
「ウレイアっ………そこは神の御前よ…〝今すぐに降りてっ!!!〟」
言葉の圧力に教会の空気が震えたっ!
感の良い者なら街の外れにいても感じ取っているだろう。おそらく彼女全力の『神言』。
しかしウレイアはテーミスを見下ろしたまま微動だにしない。
その様子を見て予想もしていなかったテーミスは、見開いた目でそのままウレイアを見上げた。
「え…?????」
「だから言ったでしょう?あなたの『力』はその程度だって…」
「うそ………」
そしてウレイアは冷ややかに、『きっかけ』としている言葉を告げた。
「テーミスあなた…今までは運が良かったのね?」
「「!!!!っ」」
次の瞬間っ、猛然たる炎の熱が爆発するように『ウレイア』が圧となって『テーミス』を押し返して空間を支配する!
トリィアが、テーミスが硬直する。それは2人が経験したことの無い『力』の『気当たり』の暴風であった。
そして熱を帯びた空気が幾万倍にも重さを増しその場にいる者を押さえつける。たとえそれが『錯覚』のようではあっても2人にとってこの『錯覚』は紛れも無い現実……それはウレイアの資質と尽きぬ探求と160年の弛まぬ錬磨で纏うに至った畏敬を抱かせるほどの『気格』と、相手を打ちのめす『力』である。
(私は長い時間、私の中に棲まうたくさんの自分たちと話しをしてきた……自分の内面を自覚することは、思った以上の恥辱や葛藤、残酷な告白を自身に強いなければならない。しかし、それらのまぎれもない沢山の自分達を理解し受け入れ、交じり合って初めて自分の『かたち』をひとつのものに成した時、嘘偽りの無くなった自分に喜びを感じることができる………そして、知ることができた、その時の自分の限界と、その先にある果てしの無い可能性をっ)
ウレイアはその可能性をひたすらに育ててきた結果を、存在の全てを曝け出して見せたっ。
長く時間を共に過ごしてきたトリィアでさえ、全身の鳥肌が収まらない。
(お姉様っ?こっこれはっ?気を抜くとひっぱられるっ!?酔って意識を呑まれてしまうっ。大お姉様以上です…っ!でも大お姉様の信服を強いる圧倒的な支配者感とは違う…何か敵意でさえ包み込んで溶かしてしまうような暖かさ、しかし恐ろしい……そうかっ!だからお姉様と対峙した者は皆…)
しかしさすがにテーミスは臆するどころか、両手を祈る様に合わせて欲に染まった笑い顔を見せた。
「ああ…うふふ…やっぱり…っ!」
チャリ……
テーミスの言葉に混じって何かが聞こえた。




