25 命約
つらそうに眠っているトリィアをしばらく見つめてから、ウレイアはテーミスを葬る準備を始めた。
血に染まった服を脱ぎ捨て、身体の血を水で拭い、既に塞がりかけている傷を確認する。
(ふふ…本当におそろしい)
首を斬られた瞬間を思い出す度に身体中がふるふると震えた。
「ふう……」
ウレイアは息を吐き出すと、キレイな服を身につけた。
トリィアが微かに声を上げる。
「トリィア…?」
「ん、んん…」
苦しそうなうめき声を聞くたびにウレイアの胸は痛む。そしてトリィアはまるで石を飲み込むように喘ぐと、暗闇から抜け出して来たように目を開けた。
「くっ…んんっ!はあ……おねえ…さま……?」
ウレイアの姿を見てほっと微笑んで見せたのもひと時で、すぐにトリィアは目を涙でいっぱいにして飛び跳ねるように体を起こしてウレイアにしがみついた。
「よかったっ……お姉様が…ご無事で……っ」
良かった…ほっと胸を撫で下ろしたのはウレイアの方だった。何とかテーミスの影響からは脱したようだった。
ウレイアは少しでもトリィアにのしかかる罪の意識を取り除くために軽口をたたいてみせる。
「当たり前ね?少し死んだフリをしていただけだもの。でも最悪のお披露目になったけれど…ケールの技はすごかったわよ?いい、絶対に忘れてはダメよっ?」
トリィアは震えた指先でまだ治りきらないウレイアの首の傷に触れると、ウレイアの胸に顔を埋めた。
「ごめん…なさい…っごめんなさいお姉様……」
「なにが…?それにね……」
トリィアの頭を撫で、そのまま精一杯包んで囁いた。
「謝る意味なんて無いのよ?私は元々怒ってなどいないし、あなたが悪いことをしたわけでもないし…」
「でも…」
「いいこと?その気持ちを怒りに変えなさいっ。あなたが、あなた自身がテーミスを討つのよ!テーミスに償いをさせなさい、トリィア」
自分の運命と敵に勝つために、最も力を与えてくれるものは強い『怒り』だ。そして怒りは『目的』を浮かび上がらせて、目的は駆け引きと手段を導きだす。澄みきった怒りは自分をおとしめることも無いもので、時として救いにもなるモノだから。
それでも、トリィアは鷲づかみにしていた手から力を抜くと、
「あの…お姉様、水を…いただけませんか?」
「え?ええ、いいわよ。すぐに持ってこさせましょう」
そう答えたがトリィアを置いて行くつもりは無かった。トリィアはたった今も後悔と絶望の忌まわしい泥沼に沈み続け囚われている。それに、こんなに覚悟を秘めた声を聞かされて気がつかないほど、ウレイアの眼…耳は節穴ではない。だから……
「ねえ、トリィア…あなたに提案があるのだけど?」
「え…?」
「あなたの命を私にちょうだい。そのかわりに…私の命をあなたにあげるから……お互い、何時でも自由にできるのは互いの命だけ…もちろん、誰かに操られているならば当てはまらないけど、これは互いの命が尽きるまで盟約ならぬ命約ね?…どう?」
「え……?」
トリィアは首をかしげた。どのような理由があろうと正気の自分がウレイアを殺したいなどと思うはずがないからだ。そして考えた、大切なことは『自ら命を捨てられないこと』それから『相手が死ぬまでの約束』ということ。
「!」
つまりそれは、『自ら生を放棄したいのなら先ずは私を殺しなさい』そう言っているのだ。ウレイアはトリィアと同じだけの覚悟をこの『命約』に込めた。
「そんなのだめですっ!おねっ……」
今にもとっぷりと呑み込まれてしまいそうだったトリィアが死滅の沼からウレイアを見上げた時……見上げてウレイアの目を覗き込み、彼女の心の内に触れ、そして精一杯に伸ばされたその手を思わず、ただ強く掴んだ……その時
「……………!」
ウレイアの情と赦しは忌まわしい底無し沼からトリィアを軽がると引き上げる……トリィアのこころは一瞬で『何か』に満たされあふれ、こぼれて落ちそうになると瞳を閉じて受け止めようとする。
「あなたにとっては…酷いわがままを言っているのかもしれないけれど……トリィア、死のうなんて考えないで!」
心を満たしてあふれたものが何なのかトリィアには分からなかったが、経験したことのない喜びと安らぎが彼女の魂を包み込む。
「おねえさまごめんなさいっ……お姉様に教わったものを…いただいたものを…私は汚してしまうところだった」
満たして溢れたものはトリィアの瞳から流れ出ていた。
まだ街には戻らずに何処かへ向かって揺れる馬車の中で、テーミスは愉悦に浸っていた。
「ふふふ…今頃トリーは…どうなってしまったかしら…?ようやく…見つけたのだもの…信じられるのは私だけだと…姉さんに教えてあげないと………」
すると一緒に乗っていた女が相づちのように答える。
「そうですね、テーミス様の素晴らしさを知れば、きっと考えを改めるでしょう」
その言葉にテーミスは眉をひそめる。今まではそんなことは無かったのに何故か女の言葉がテーミスを苛つかせる。
いつの間にか、テーミスは禍々しい空気をまとう姿がすっかり似合うようになっていた。
「まだ…少し遠いけど…ここからは歩いて行って……私は…」
テーミスは口籠って話すことをやめるが、女はにっこりと笑っていた。
ウレイアと命約を結んだあとのトリィアは、物静かにベッドに座ったまま、外をぼんやりと眺めたままだった。
しかしそうは言ってもふさぎ込んでいる様子では無く、何かにさいなまれている様子でも無い。妙に落ち着いているというか、悠々たる姿と言えば良いのか……?それにウレイアの気のせいで無ければ急にトリィアの存在感が増したような気がした。
「………トリィア?」
「はい?」
(っ!…この子………っ)
その穏やかな目は今までとは違う明らかに強い『力』が…
「大丈夫?何か変に感じることはない?」
「いいえ?大丈夫です。!、わたしっ、何か変ですかっ?」
そしてまた、いつものトリィアに戻る。
「いいえ、あんなことの後だから……」
「ご心配、ありがとうございます。大丈夫!まだ少し…気落ちしているかもしれませんが、私は元気ですよ?」
「!!」
トリィアは、ウレイアが気圧されるような微笑みを見せた。
「そ、そう…?なら、あなたに…エルセーのことを聞かなければならないのだけど…」
「あっ!」
驚いてもあくまで淑やかに、軽く口に手を当てるとすぐに報告を始めた。何かを得て肝が据わったような…それが一番言い得ているだろうか?確かに彼女には今までとは違う何かが備わっていた。
「すいません…大切なことなのに。大丈夫です、大お姉様とは無事にお会いできました」
「そう、ちゃんと言うことを聞いてくれた?」
「いえー…あははーっ、すごくご不満そうでしたー」
トリィアにはとんだ貧乏くじを引かせてしまったようだ。何しろエルセーがぐずることは想像に難くなかったからだ。
「でしょうね、ごめんなさいねトリィア」
「いーえっ、もちろんご褒美にはおよびますよ?!もしもお姉様が言いに行っていたら大惨事になっていたかもしれませんから?」
「ふふ、そうねっ。ああ、それで?」
でも少し、その時のエルセーの顔を見てみたかった気もする。
「大お姉様は街の西側にある農村に身を潜めるとおっしゃって……、いけないっ!」
トリィアの頭によぎったのはエルセーの居所がテーミスに知られているかもしれないこと。
「お姉様っ、早く大お姉様の所にっ」
それは既にウレイアも気づいていたが
「あなたはテーミスについて知り得たことを全てエルセーに話したのでしょう?」
「え?ええ…はい」
「なら、大丈夫よ…」
ウレイアは気にも止めていない様子で軽く答える。
いや、どうせならエルセーをテーミスが訪れてくれれば仕込みをする手間がはぶけるというものだとさえ思う。
「大丈夫…?いえいえいえっ、あのテーミスに対しては…」
心配しているトリィアを見てウレイアはにやりとほくそ笑んだ。
「ふふふ、たとえばテーミスが手に余るようなら、エルセーはどうすると思う?」
「ええと?…どうするんです?」
「エルセーは…テーミスをいなし、すかし、逆撫でしながら私の元まで誘い込んでくれるでしょうね……」
そんな様子を想像するのがウレイアは楽しくてしょうがなかった。
「元々、あの人がお膳立てをして、私が蹂躙する……気づけば、そんなことをずっとやってきた……ふふ…私はテーミスの為に最高の舞台を造ってあげる。そしてトリィア?あなたに最高のショーを見せてあげるわ。あっでもダメねえ……テーミスを屠るべきなのはあなただものねえ……?」
チリチリとくすぶり内を焦がす熱がたまらず息を吐いたようにウレイアの口から漏れだした。それだけで部屋の熱さが増したように感じてトリィアも勝手に口が呟いてしまう。
「荒ぶる女神…ウレイア……」
「ん?」
「ああっ、いえ、すいません」
手をはたはたと振って思わず呼んだ女神の名前をはぐらかした。
「そう……エルセーに聞いたのね?」
「う…は、はい…」
「そう…でも不思議よね?エルセーの見る目が確かだったのか、私が自覚も無く意識してきたのか…」
太古の忘れ去られた大地の女神、ウレイアの気性の烈しさは、その慈悲深さゆえだと言われていた。
ただ本人はそうであろうとしたわけでも無く、そう呼ばれる資格があるのかも分からないが、いつの間にか『ウレイア』という言葉は自分と溶け合い、混じり合って、分かつことのできない名前となった。
「きっと…お姉様はその名を与えられた時から女神ウレイアの加護を受けていたんですね?」
人が創り上げた神話にすぎないと知りながらも、真剣にそんなことを言われると、ウレイアもつい真面目に受け取ってしまいそうになる自分が可笑しく思えた。
「うーん…まあ、お伽話だけどね…」
「いいえ、名付けた大お姉様の想いは本物ですから。それに…お伽話でも沢山の人の願いから生まれた女神ウレイアはたしかに存在すると、私は思います…今、私の目の前にも…」
「わたし…?わ、私はただの……」
『ただ』のウレイア………
そうトリィアに答えるつもりだった言葉を飲みこんだ。この娘が自分を女神と言ってくれたように、この娘もまた、ウレイアにとってはただのトリィアでは無いからだ。
微笑むトリィアの頭にぽんと手を乗せて、ウレイアはうそぶく様に言った。
「では…女神ウレイアの加護をあなたに…」
エルセーはボーデヨールからほど近い農村に潜り込んで…いや、堂々と乗り込んで、一番大きな地主の家で歓待を受けていた。
一体どういうことなのか、何故か家主はヤケにかしこまってエルセーに酒を振る舞っている。
「いやー、かの誉高いグリーブ家のお身内の方にお越しいただけるとは…」
もちろんエルセーは見た目を変える偽装をしている。リードも顔をさらしているため、そちらの面倒もみながら。
「いいえぇ、身内とは言ってもあまりに遠縁で、本家とも互いに顔もよく知らない程度のつきあいでしたが、故あって両親に…ボーデヨールのそばに、まあ小ぶりな別荘でもプレゼントしようかということになりまして…」
「なるほど……引退されたあとのお住まいですか?」
「そういうことに…なるかもしれないですねえ。まあ、どのみち両親が亡くなったら屋敷ごと返納することになりますが…」
家主は腕を組んで神妙な顔をする。
「でしょうねえ…ボーデヨール周辺は確かにグリーブ公爵家が管理、主宰をされておりますが…」
「まあ、国に少し余計に税を納めるというか、とても小さな貸しでもつくっておこうかと…」
ハルムスタッドの事情通を武器に嘘八百を並べたてるエルセーだが、有りそうであってもこんな荒唐無稽な話が通るのは、彼女達の力があってのことだ。
それでもほとんどエルセーは『強制』することなく自分の目的に相手を誘導していく。
しかし、そもそも人間相手に話をでっち上げ、小芝居をしてまでわざわざ信用させることに意味は無い。彼女達であれば、ただ命令するだけで相手は信用し、目的はかなうからだ。なのにエルセーは手間をかける。
なぜならそれは、エルセーの趣味でもあるからだ。
「そんなことで見て回っていたら、この村から見える小高い丘が目についたんですよ?」
「それはお目が高い」
「それでね…もしあそこに屋敷を造る許可が得られて、両親がいくらかでも過ごすようになれば、こちらの方たちには特にお世話になると思いますので…まあ、そのお願いとお礼などのご相談をさせていただきたいと思いましてねぇ?」
その言葉に家主の目の色が明らかに変わった。そして筋道が通っている話と納得しているところに甘い言葉を囁かれた時、人はいとも簡単に落ちる。
「いいえっ、お礼などとんでもない。グリーブ家の皆さまのお役に立てるだけでも光栄なことです。精一杯お世話させていただきますので、ぜひあの丘にお決めになって下さい」
「そうですねえ…もう少しこの辺りをよく見せてもらうつもりですが………ところで、この村に宿屋などはあるのかしら?」
しめたっ、などと家主は思うが、それこそがエルセーの目的である。欲で曇った頭ではこんな不自然な問いを疑いもしない。
「それでしたら是非とも我が家にご逗留下さいっ」
エルセーはこんなゲームが好物である。目的の大きさに関わらず、決めたゴールに到達することを楽しんでいる。そんなこんなで2人は良い部屋を与えられた。
でもエルセーができるのはここまで……いまだ不本意ながらウレイアの連絡を待っている間は、とくにやるべきことも無かった。
「さてと…暇ねえ……………ちょっと覗きに行く?」
さすがにリードは首を横に振ってこれをたしなめた。
「エルセー様…」
「分かっています。解っていますよ…」
エルセーはつまらなそうに部屋を眺めていた。どうせすぐに忍耐が切れると、自由に動き出すに決まっているが……
でもウレイアが何かをお願いした時、エルセーは決して彼女の意に反する結果を招くような行動はしない。やり方は違っても必ず良い結果をもって、得意気な顔をウレイアに見せる。
それはエルセーにたいする絶対な信頼となっているし、ウレイアはそれをエルセーの親心だと思って、ありがとうといつも心の中で呟いていた。
ウレイアは無駄かもしれないが、より抜け目の無いように監視を行いながら、夜が来るのを待っていた。
(今夜中に決着をつける……)
テーミスがトリィアに手を出したせいで、忍耐が限界に来ていたのは実はウレイアの方だった。今は暴走してしまいそうな自分を必死に抑えている。
「お姉様、テーミスは?」
「ううん、どうやらまだ戻っていないようだけど…あなたが捕まった時はテーミスが近づいても気が付かなかったのでしょう?」
トリィアはうつむいた。
「はい…」
「つまり存在をごまかす手段を持っているということね?」
(まあ、そのカラクリも何となく、ね…)
すっかり教会に攻め込む準備を終えて、それと同時にエルセーがテーミスを引きつれて来ることにも期待していた。
既に日も傾き始めた頃、テーミスは日当たりは良いが、ひと気の無い寂しげな林の中にいた。
彼女は薄っすらと微笑みを浮かべながら目を閉じて、傍らの石の上にじっと座ったまま動かない。その彼女の前には、高さが胸程の一本の真白な大理石の石柱が立っている。
何も記されていないただの石柱を前に、テーミスは何かを反芻して静かに思いふけっているように見えた。
そしてその頰にひと筋の涙が流れると、気づいたテーミスは不思議そうな顔をしてその涙を指ですくった。
そして、その夜はやって来る……
「もう…暗くなりますね?」
今夜、ウレイアがしようとしていることを感じとって、トリィアはやや緊張しているようだった。
そろそろ教会の扉も閉まる頃だろう。ウレイアは俯瞰での『監視』に切り替えて、街に向かって来るすべての者を見ていた。
「まさかもう、テーミスは戻って来ないのでしょうか?わたしを…私を操って…お姉様を襲わせたから反撃を警戒していても不思議ではないですよね?」
まともな者ならそうかもしれない。でもテーミスのあの不可解な行動にもちゃんと動機があったであろうし、ウレイアにも何となく思うところがあった。
「テーミスは戻って来るわよ。もし、私の自惚れでなければ、テーミスは私にあなたを殺させようとしたんじゃないかしら?」
「ええ?でも…お姉様が私を…仲間を殺すなんて思うでしょうか?」
「おそらく…彼女が築いてきたのは絶対的な縦の関係、従う者には抱擁を…歯向かう者には死を与えてきたのでしょう。私も同じようにあなたを扱っているならば、あなたが私に噛みつこうとすれば処分するに違いないと、思ったかもね?」
「はあ?いえいえ、さっぱり分かりません。それに自分が操って差し向けたんですよ?それが知られれば逆に怒りを煽るだけじゃないですか?」
そう、あまりにも短絡的で子供じみた考えなのだが
「まあ、結果的にあなたは無事でテーミスの目論見も露呈してしまったけれど、たとえそうなってもあなたよりも自分が優秀である証明が出来る…とでも思っていた…とか?私にも理解できないけれど…」
トリィアの頭の上にもクエスチョンマークが浮いている。
「んん?仲間として有能…である証明?あるいは私の後がまを狙って?んん…?ならテーミスはお姉様に従うつもりだったとか?いや違うか…何ですかこれっ?テーミスは何をお姉様に望んでいるのですか?」
『自惚れた』ウレイアが思い当たるのは
「自分を慰めてくれる母親…」
「!」
トリィアはぎょっとした。
「テーミスは得意の『言葉』で私を無理に従わせようとはしなかったし、そして私達の同族の有り様を少なからず知っている節もあった。それを教えたのは今まで従わせてきた同族では無く、見守り育ててくれた存在がいたんじゃないかしら?」
トリィアは更に驚きを見せた。
「まさかっ?それって…」
「まさか、よね?また私の考えすぎかしらね?でもそう考えると、色々と説明ができる気がして…」
目覚めたばかりの無垢な『天使』を『同族』が育てる。巡り合わせさえあればそんなこともあり得るかもしれない。そして両方の思想、価値観を併せ持つことになった。
それは今までの観察で得た、
隠された『天使』の存在と、
自分達を敵視しないことと、
神の国と神の民の発想、
そして、ウレイアを必要とした理由。
それらは全てある者の存在をテーミスの背後に感じさせる。
テーミス……『天使』の母としての『同族』の存在を。
「たしかに…そう考えると……あっ!それですっ!この間掴みかけて消えてしまったものの正体はっ。でも、だとすると黒幕は同族ということに…」
そう結論付けるのは当然だが
「でもその黒幕はもういない…」
「え?」
「だって、そうでなければ私を必要とはしないでしょう?」
「あっ、そうか!」
「テーミスは私を代理母に据えようとしているような…とは言えまあ、だから私の自惚れでなければだけど……」
トリィアは勢い立ち上がると握り拳を作ってわなないて見せる。
「なんて…なんて不遜きわまりない…やはりテーミスは私がこの手で葬りますっ。お姉様には指一本触れさせません!」
トリィアはもしかしたらテーミスに少しでも同情するかもしれない。そんな心配もしていたが、どうやらウレイアの杞憂だったようだ。
「早く戻ってきなさい、テーミスっ」
尚のこと対抗心を燃やしてテーミスを探そうと、トリィアは『監視』の目を飛ばそうとした。
「っ?、???っ?。あ…れ……?」
急にトリィアが眉間にしわを寄せて目を細めた。
「どうしたの、トリィア?」
「ええ、と…」
かと思うと、ペンダントから石をはずそうとしているのか、両の手のひらを広げたまま、まんじりとも動かなくなった。
そして、すぐに不安な気持ちが顔いっぱいになったかと思うと
「お…お姉様?わたし…力の使い方が分からなくなって、しまいました……」
「?、えっ?どういうことっ…?」
トリィアが今にも泣き出しそうな顔になって、動揺があふれだす。
「な、なんで……?ええ、と…」
しかしウレイアには信じられない、
「うそでしょうっ?だってさっきは…」
さっきはむしろトリィアの力が増したように感じていたのに。いや、今でも間違いなく強くなったトリィアの力を感じている。
「いいえっ、自分でも分かるはずよトリィア。あなたの力は更に成長したはず…私にはそう感じるもの」
「………?」
そうであってほしい…これは多分、一時的な能力の麻痺に違いない。トリィアにとっては、それほどにウレイアに殺意を向けたことがショックだったに違いない。
「トリィア、大丈夫よ……今は何も考えないで」
「いえ、でもっ…これでは…これじゃあ私にできることが何もありませんっ」
それでも、ウレイアはトリィアが悲観するような顔は見せない。
「それなら待ちましょう…またゼロからでもいいじゃない?また少しずつ育てましょう?それもまた、楽しそうでしょう?」
トリィアは何も言わず悔しそうな顔を隠してうつむいた。
「たとえ、力が無くなってしまうとしても…今回のことだけはちゃんと終わらせたかったんです…」
「何も無くなってはいないわよ。今はあなたの心が戸惑っているだけ……それにこの件にもちゃんと決着をつけましょう、だけど…」
もうトリィアをエルセーのところに向かわせるわけにもいかない、それは危険すぎる。それにトリィアは『権利』を主張した。
「とても気持ちの整理などつかないでしょう…でも、あなたの心の中に闘争のほむらが燻っているならば…いいえ、そうするべき理由があなたの中にあるのなら…今そんな状態であっても、私と一緒に教会に行く?」
それは何も武器を持たずに猛獣の前に立つことを意味している。
力による『監視』の目も、偽装による目くらましも、集中による時間の延長や増した筋力も、そして今までみがいてきたあらゆる攻撃や防御手段もその手には無い。
「理由…私が頑張れる理由はひとつです、お姉様の横に並び立つこと……ついでにテーミスには『ひと言』言ってやりたい!そして共に行くのかと聞かれれば…許してもらえるなら、もちろん行きますっ」
強い意志を感じさせる目を見て、ウレイアはうなずいた。
「そう…ならばよく聞いて…」
ウレイアはトリィアの前に小袋を差し出した。
エルセーが与えられた部屋は決して広くはないものの清潔感があり、質素ではあってもしっかりとした造りの建物で暖かく過ごすことができた。
ただエルセーにとってはそんなことはどうでもよかった。いま彼女の頭の中はこの部屋からどうして抜け出してやろうか、そのことで頭はフル回転していた。
しかし、そうはいっても、たとえ思考回路をフル回転させてはいても、忍び寄って来る何者かを見逃すほど未熟な小娘ではない。
エルセーは考えをめぐらせながら、自分達の系譜の象徴とも言えるペンダントの石を指で遊ばせていると、許しも無しに部屋の扉が開く直前にひとつの石を選んで握りしめた。
キ、キぃー…蝶番が小さなきしみをあげながら扉が開くと、部屋からもれる燭台の薄明かりに…女の姿が浮かび上がった。
エルセーはさほど興味を示さずに、ゆっくりとした瞬きと同時に視線を移すと、女はコツコツコツと3歩部屋の中に入り込んで亡霊のように止まった。
亡霊は顔に影が被る場所にわざと陣取り、エルセーの様子を伺っているように見える。
「入室を許した覚えはありませんよ?」
招かれざる客をたしなめると、女は小さな声で謝罪を始めた。
「重ねがさねのご無礼をお許しください。今日はあなたをお迎えに上がりました」
エルセーは目をいぶかしげに細めると、改めて無礼をたしなめる。
「謝罪になっていないわね。私を侮っているなら不快です、こそこそと隠れてそんな女を身代わりにするなど…その程度で私をだませるとでも?とっととお帰りなさいな」
すると、入り口の影からするりともうひとりの女が入ってきた。
同族だ。
その女は立ち尽くす女の横まで進み寄ると、その場にひざまずいた。
「い、偉大な先達の方とお見受けいたしました。数々の恥と無礼をどうかお許しください」
「気配を消すのが得意のようだけど、まだまだ未熟ねっ、今までは運が良かったと思いなさい。それで?」
女の頰に冷や汗が流れた。忍ぶことには揺るぎない自信と見破られたことの無い実績もあったが、まるで通用しない程の相手と今更ながらエルセーの圧力に圧倒され縮みあがっている。
「ぜ、ぜひ、あなたに会っていただきたい方がいます。その方は強い力をもって私達に安寧を約束してくださる方です」
エルセーは冷ややかに女を見下ろし、
「安寧ですって…?ふうん……お前の主人はこうやって他にも人を集めているの?」
「あの方は…私達の中でも特別な者を選び、認めてくださいます。ただ、誘いをあまりむげにされますとお怒りを買うこともございます。今日も若い娘がひとり…」
「!」
女の言った言葉に眉をしかめる。
「ですから先ずはお会いになった方が…」
「なんですって?」
「…は?」
エルセーは語気を強めて女を問いただした。
「今っ、若いムスメをどうにかしたと言いましたねっ?どんな娘に何をしたのですかっ?」
「それは…」
「〝言いなさいっ〟」
「っ!!……と、トリーと言う娘がお気に召さなかったようで…暗示をかけてもうひとりの元へお返しになりました…」
かっとエルセーの頭に血が昇った。
「お前の…主人にそれほどの力があると言うならば、今ここでそれを証明してみなさい」
「し…しょうめい?とおっしゃれても…」
すっと立ち上がると女に詰め寄った。
「その大層なご主人様の威光、それに仕えるお前の覚悟!それ程の主人に仕えているならば、何でもいいからこの私を圧倒してみなさいと言っているのですっ、さあっ!」
女は完全にエルセーの怒りを買った。こうなってしまった以上この死地から生還するにはエルセーを倒すしか方法はないだろう。
「テーミスごときにこの世界を変えるほどの力があるものですかっ!」
「!、お待ち下さいっ、テーミス様は…」
「リードっ!」
「っ?」
エルセーがその名を呼ぶと、女の首に一筋の光が走った。
「だから言ったでしょう?今までは運が良かったのだと…」
女は反応することもできないまま、その首を床に落とした。
いつの間にか女の背後にはリードの黒い影が立っている、そして最も馴染んだ得物が、彼の右手で鈍く光っていた。
「行きますよっ、リードっ」
「はいっ」
惨状もそのままに、ふたりは村をあとにした。




