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バウンド bound  作者: はねとり 諒
22/28

22 やくそく

 突然に姿を見せたテーミスがウレイアに残していったものは、困惑と身動きの出来ない状況だった。


 ウレイアは馬車に向かった時とは違いやや重たい足どりでトリィアの待つ部屋に戻ろうとすると、廊下の途中でずぶ濡れのトリィアがこちらに駆け寄ってきた。


「お姉様っ!」


 ウレイアは駆け寄ってきたトリィアを思わず抱きしめた。


「え?」


「ふう、トリィア…くす、ごめんなさいね、こんなにずぶ濡れにさせて。すぐに拭きましょう」


 トリィアの顔を見て、声を聞けたことで、何かようやく虚ろな世界から戻ってきたような、妙な感覚の中を彷徨っていた。ウレイアが思っていたより彼女の言葉のと影響を受けていたのだろう。


「お姉様?それはいいんです。それよりすぐに出られるように支度はしておきました」


「まったく、なぜ最近はこんな経験ばかりなのかしら?」


 ウレイアは額に手を当てた。


「はい?なんですか?」


「いいのよ、とりあえず部屋に戻りましょう」


 開け放された部屋に戻ると、荷物は最小限にまとめられ、ウレイアが頼んでいた通りすぐに飛び出せるようになっていた。


「もう、扉が切り落とされた時はびっくりしました…テーミスと激しい争いになったのかと……でも街から脱出しないということは?」


「ええ、実は困っているの…まったく……」


 部屋に戻るとウレイアはソファーに座り込んだ。


「どうされたんですか、お姉様?」


「私はさっき、確かにテーミスの首を飛ばすつもりだったのに……多分、彼女の『言葉』に影響を受けていたんだわ…それに深層ではあの場から逃げ出したかったのね……」


「え?ええと、どういうことですか?」


「もうっ!」


「っ?!」


 ウレイアはうなだれていた気持ちに自ら活を入れるとトリィアに自分の恥を晒した。


 もはや自分が正常な判断力を保てていたか信用できない今となっては、テーミスの本心も推し量れない。


「今回ばかりは、自分の甘さがほとほと嫌になったわっ」


 するとトリィアはそんなウレイアの手を握って


「そんなこと言わないで下さい。私はそんなお姉様が大好きなんですから…お姉様が自分を否定されるなら、私まで否定されているような気がしてしまいますよ…?」


「あ、あなたを否定するつもりなんて…」


「それに、そんなテーミスと相対して帰ってこれたのはお姉様だったからじゃないですか?お姉様じゃなければ、今頃はきっとテーミスに取り込まれていたと思います」


 テーミスを知ろうとして逆に彼女のペースに引き込まれていた。じわじわとテーミスの言葉に侵され、おそらく力を込めたあの言葉は止めのつもりだったのだろう。


「…でも、相手の人格を損なわずに従わせるには、かなり言葉を選ばなければならない……少なくとも彼女は私を壊そうとはしなかったということね。あれは彼女なりのわがままな説得だったのかしら?」


 そんなことを反芻している自分にハタと気づく。舌の根も乾かない内にまだウレイアは…


「!、ダメだわっトリィア…今は正気に戻っているのに私は甘いことばかり…っ」


「ぷっ、あ、ははははは…」


 弱音を吐いているウレイアをトリィアは一笑した。


「トリィア?」


「もー、頭でっかちなお姉様らしいです」


「ええ?」


「お姉様は…私達に敵性を示す相手にはいくらでも冷酷になれるのに、そうでは無い相手と見ると、ついつい情けをかけたくなってしまうんですよね?」


「なっ?」


 たしかにそう……確かにそうだが、そう言われると何か気恥ずかしい気がした。


「しかも真剣に話しを聞いてくれる上に本心から思いやった言葉を掛けてくれる、叱ってくれる…」


 そして、何故か徐々にトリィアの語気が強くなっていく。


「さらには強くて美しいのですもの、そりゃあ誰でもころっといっちゃいますよ。特に感受性の強い私達はっ…!」


「と、トリィア…何か怒ってる?」


「はあ……いえ、モテる恋人を持つ故のやきもちですっ!」


 ツンとそっぽを向かれると、ウレイアは急にトリィアのことが怖くなった。


「あ、のトリィ…」


 と、急にトリィアは抱きついて来て、


「なあーんてっもうっ!なんなのですかっお姉様はっ?遂には天使までたらし込んで帰って来るなんてっ、見境がなさすぎますっどきどきですよ私はっ!」


「トリィア…?」


「もういっそのこと誰もいない所にお姉様をさらってしまいたいくらいです……」


 その言葉は今の無防備なウレイアの心の奥底に、ふかく深く突き刺さった。


「…いいわよ」


 ウレイアは微笑んだ。


「はい?」


「あなたがそう望んでくれるなら、どこへでも、付き合うわ…」


 トリィアは一瞬、眉頭を上げて心配そうな顔を見せると、すぐにうつむいてふうっと笑った。


「できませんよ…出来るわけないじゃないですか?今逃げ出しても、きっとお姉様はすぐに後悔に気付きます。それにそんなことをしたら、お姉様も、お姉様を好きになった私自身も…否定することになるじゃないですか…」


「っ!…」


 トリィアの譲れない気持ちと覚悟の笑みは、またウレイアの足を前に出させる。


「だ、か、ら……この一悶着が片づいて、何年かしてセレーネも手が離れたら…少し長い旅をしませんか?ふたりっきりでっ!」


 それは先ほど同様…いや、それ以上に魅力的な提案だった。


「ふうん、いいわね、約束よ!?」


「え?あらっ?それは私のセリフのような…」


「でもセレーネの手が離れたらって、あなたにしては随分とのんびりね?」


「そうでしょうか?私の20年は本当にあっという間でしたよ…?初めてお会いしたのが昨日のように思い出せます…」


 トリィアの言葉が生きる糧、力の種となってウレイアの内側に溜まっていく。


 そして自分のしてきたことに意味を与えてくれて……


「それでお姉様?何か急を要する案件はなんですか?」


 心許なくなっていたウレイアの足取りを背中を押して支えようとしてくれる。


「ん、そうねえ…すぐにエルセーに連絡を取りたいけれど、私達がここを離れたらテーミスがそれをどう解釈するのか……?」


「そうか、エルセー様がここに来ないように止めたいのですね?来た途端にテーミスに知られてしまうから……」


「まあ、あんなテーミスのことだから…私の仲間が増えても危機感どころか小躍りして喜びそうだけど、今のところはエルセーを隠しておきたいわね……それと、どうも無条件に感知できるのは存在だけでは無いようね?」


 今さら奇襲になるとも思えないが、全員の動きを把握されては全てが悪化する。何よりテーミスの中では既に、エルセーは引き入れる対象になっている可能性が高いのだから。


「それに、同族の何人が取り込まれていて、どこにいるのかしら?何処かに隠れているのか、この街にはいないのか?まあ、エキドナが『テーミスと会うわけにはいかない』と言った意味がよく分かったわ」


 おそらくすぐに力の差を感じとったエキドナは、『神言』を使われる前にテーミスに話しを合わせてその場を凌いだのだろう。そうでなければテーミスの『洗礼』を受けて、すっかりテーミス教の信者になっていたはずだ。


(慎重なエキドナがこの街に近づくことを恐れているとすれば……もしかして)


「あの、稼いだ時間の間にお姉様が考えたい事は…きっと沢山あるとは思いますが、その中で一番お姉様を悩ませて困らせているのは、テーミスを殺す必要があるのか…ですよね?」


 とうに悟られていても、改めてトリィアに言われると、隠していたものを見つけられたようにウレイアはどきりとした。


「それは、だから…」


「お姉様のお話では、テーミスは全てを思い通りにしないと気が済まない超駄々っ子みたいですけれど……敵かと言うと、そうでは無いですよね?」


「ううん…テーミスの目的や気持ちからすれば敵では無いのかしら?そもそも彼女自身、そんなつもりもない感じね。でも……」


「でも?」


「やり方に問題があるし、結局破滅する道を彼女は歩いていると思う。それに巻き込まれた者や道を共にした者もまた、一緒に破滅するわね……そしてその後には、今よりも酷い状況が残るんじゃないかしら?」


 どんなに特別な力を持っていたとしても、所詮は1人の力でしかない。たとえいく人かの同族を仲間にしたとしても、この広い世界の中では小さな存在でしかないのだ。


「人間を侮りすぎている、ということですね?」


 トリィアにうなずいた。


「いま、彼女には宗教という後ろ盾があるけれど、無理な支配を強いればいずれはぶつかり合って必ず負ける。どんなに矮小な存在でも数を侮っていては支配なんて夢のまた夢よね?まあそうね、テーミスが1万人いれば、面白いかもね?」


「うんうん、そりゃそうだ!私達だって無策で押し包まれたら大ピンチです。テーミスだってそれが分かっているから、仲間を求めているでしょうに……うふふ、それにしても1万人のテーミスがいたら、1万人のテーミス同士で大戦争が始まりそうですね?」


「かもね…」


 テーミスが仲間を求めているのはそれだけではないだろう。おそらく孤独なのだ。


 特に理想や夢を共有できる仲間とずっと出会えない苦しみは、尚更自分を歪めて他人とその考えを受け入れられない悪循環を生み出しているに違いない。


 増すばかりの孤独と欲求、彼女は人形ではない仲間を求めている。


「じゃあお姉様は、テーミスは敵ではなくても最悪の状況を産み出す元凶になり得る、そう思っているのですね?」


「……」


 トリィアはウレイアを見つめると、ふうとため息をついた。


「それでもお姉様は…テーミスの考えを改めさせて、他人を認めることを諭らせれば、彼女を殺さずに済むかもしれない。ともすれば本当に仲間になれるかもしれない…」


「!」


「今そうお考えでしたね?そう聞こえましたよ?」


「んっ、んんっ…」


「ほんと、凄いですお姉様は。相手が天使であっても救える者には手を差しのべたい、理解しあえるなら争う必要がない。そう思われてますね?でもそれは…本当に困りましたねー…」


(そう、話しをいつも複雑にしているのは私だ)


 しかもテーミスのことをもっと知りたいと思っていた。何よりもこれまで彼女がどう育ってきたのか?そのことが気になっていた。


「でも無理よ、あの性格では…利用するにも危険すぎる。あまり放っておくのも不安が残るし、もっと幼い頃に出会っていれば違っていたかもしれないけど…」


「?!っ、あれ?」


 トリィアは急に何かが、目の前に何かが現れたことに気付いたような顔をした。


「なに?どうしたのトリィア?」


「いえー、今…何か解ったような気が…でも、掴み損ねてしまいましたあ」


「ふうん…そう?もし掴めたら教えてくれる?」


「もちろんです」






 その夜……扉の錠も下され静まりかえった礼拝堂の祭壇の前に、祈りを捧げるテーミスの姿があった。


 絹糸のように淡い光を放つ純白のローブ姿は誰が見てもゴーストを思わせる。たとえ神父でもおののいて逃げ出すかもしれない。


「神よ…今日の新たな出逢いに感謝します……でも授かった力を使って…お姉さんを怒らせてしまいました…」


「それでも許してくれるはず…私を一番愛してくれるはず…必ずあの方を得て…神のお創りになられた世界を…美しく変えて見せます」


「!…あ……アデラお姉さん?」


 もうウレイアは遠慮せずにテーミスの動きを探ることにした。最初から自分の気配を感じ取っていたなら、テーミスに少し触れただけでも気付かれてしまうと思っていた方が良いからだ。


(わたしに…触れてる?人にさわられるなんて…ひさしぶり)


 それに、自分に興味を持っているならば、こちらも気にかけていることをわざとらしく示した方が、彼女のご機嫌をとれるかもしれない。そんなちょっとした自惚れを試していた。


「それに…撫でられてる…みたい……やっぱり…許してくれました……神よ…」


 テーミスは目を閉じると、その感触に身を委ねるように何も無い空間に首をもたれかけた。


 これは、これといった企みがあるわけでも無い。無いなりの対処療法というか、現状を維持するだけのその場しのぎをしているにすぎない。


 そんな煮え切らない小細工を弄するウレイアの膝の上にはトリィアの頭が乗っていた。それも頭を撫でるという義務がもれなく付いてきた。


「ねえ、トリィア?このサービスは、何の代償?」


「それはですねー」


 トリィアがウレイアを見上げる。


「作戦上とは言えー、対処法とは言えー、テーミスにお姉様を貸す気は、私にはさらっさら無いからですっ!」


(はあ?この子はもう…)


 まあ、気の無いご機嫌取りをごまかせたような気もするし、結果的に功を奏したということで納得した。


 その夜はもう遠くを監視することもやめ、ソファーにもたれ、ただ静かにするべきことをウレイアは考える。


 トリィアも他愛の無い話しを持ちかけながらウレイアの答えを待っている。それがやがて寝息に変わりすぐに夜が明けてくると、無情な時間の速さが恨めしく思えた。


(いくら考えても妄想とたいして変わらないわね?なんだか、冴えないわね?最近……)


「お姉様ー、また一晩中考えてらしたんですかー?」


 トリィアが目をこすりながら起き出してきた。


「下手の考え休むに似たり、というでしょう?結局は休んでいる様なものなのよ」


 ウレイアが自分に毒づくとぷくっと頰を膨らませて


「むう、お姉様は下手じゃ無いです」


 怒られた。


「ねえ、お姉様?」


「ん?」


「お姉様が悩まれているのは私やエルセー様のことですよね?ううん、きっとそうです…でも、どんなに考えても答えは出ないと思います、やはり危険は避けられませんよね?だから、まずは私がエルセー様にこの事を伝えに行った方が良いと思うのですが…?」


 ウレイアに気を使うトリィアはひどく遠慮がちに提案をする。


「トリィア、そんなに気を使わないでいいのよ。いつものわがままみたいに思ったことを言いなさい」


「わ、わがままなんて言ったことないですっ。そりゃ、ちょっと甘えたりはーしたりしたかもしれない、かもしれないですけど…」


「はいはい、そうね。でも本当に遠慮しなくてもいいのよ?あなたはもう一人前ですもの…」


「お姉様ー……あ!」


 まずは嬉しそうに目を潤ませたが、すぐにウレイアに疑惑の目を向けると、


「そのお言葉は本当に嬉しいですけど…まさかっまさか私に独立しろなんておっしゃらないですよね?」


 その言葉で気が付いたふりをすると


「ああ…そう、そうよねえ、流れとしては……」


 しかしそこまでを口にして、ウレイアは意地の悪い自分を戒めた。


「でもこんな所でするような話では無いし、いつもあなたには言っているでしょう?自分のことは自分で決めなさいって」


 トリィアはほっと胸を撫で下ろしている。


「そもそも意味ないですよ?どうせ毎日お姉様のところに入り浸りますから」


「あ、ああ、そう…」


 もうそのひらき直り具合には呆れるだけだ。しかもウレイアに拒否権は無いと思っているらしい。


「はい!」


 トリィアが手を上げた。


「え?」


「それでは改めて私は進言します」


「あ、ええ…」


「私はお姉様がおっしゃっていた通り、エルセー様を止めに行くのが急務だと思います。これはもうリスクの問題では無いと思います」


 昨日トリィアにそう言ったのは、状況の変わってしまった最前線から、取り敢えずエルセーに距離を置かせたいウレイアの気持ちから発せられた言葉だった。 


 そして繰り返し考えていた。分散してもエルセーを隠しておいた方が良いのか?テーミスに気付かれても3人揃っていた方が良いのか?奇襲が成立しない以上、取り敢えずはエルセーを待ってここで合流した方が安全だ。


 それにエルセーを止めに行けば、余計な警戒感を与えるかもしれない。


 しかしエルセーを隠しておけば陽動や囮には利用できる。ただし陽動は、テーミスが彼女達を感知できる広さを知っていることが前提になるだろう。


 あるいは今度エルセーが姿を見せれば、テーミスはすぐにエルセーに会いに行く、とするならば誘き出すのに格好の囮を演じてもらえるというわけだ。実はそれがウレイアにとっては非常に都合が良い。


(なにしろ私の最大の攻撃力は………)


「むむ、まだ悩まれてますね?ならばいっそのことこの場は引きますか?」


「うーん……、一旦引いて追いかけさせることも考えたけど、乗ってくるかどうか自信がないのよねえ…それに万が一テーミスの感知能力がより広く進化してしまうと面倒だし……距離を保って似げていたら殺意がばればれでしょうし…」


「そこまで心配されているのですかっ?」


「他には…仲間になったフリをして頃合いよく寝首をかく……というのもあるけど、これは…」


「嫌だし…」

「ダメですっ」


 意見が一致した。


「あら?」

「あれ?」


「くす…分かってるわよ」


 もっとも静かにテーミスを葬ることができるが、多分一番リスクが高い。彼女のそばにいる時間が長ければ長いほど、取り込まれる可能性が高くなるからだ。


「す、すいません…お姉様を、お力を疑っているわけでは無いのですがただ不安で…」


「いいえ、合ってるわよ。完全に洗脳を防げない以上、いつまで耐えられるか分からないもの」


 くやしいが単純な力比べではテーミスにかないそうもなかった。


「エルセーもそろそろこちらに向かっている気がするけど…」


 気がする、とは言っても、それは確信に近いものがあった。






 そしてトリィアはエルセーを探して馬にムチを入れる。今はまだ、テーミスからエルセーを遠ざける選択をウレイアはした。


 数日の間放って置かれた馬も、ましてや乗せているのがトリィアともなれば、それまでのうっぷんを晴らすように気分良く走る、馳しる。


(お姉様が言うのだからきっとエルセー様はこちらに向かっている。すれ違いは避けないと……)


 トリィアが街を離れたことは当然テーミスにも気付かれているはずである。


 その前にテーミスの姿は教会で確認しているが、トリィアを追って出るような動きがあればウレイアが何とかしなければならない。馬を走らせながら、トリィアは別れ際にウレイアに言われた言葉を思い返していた。




「トリィア、こちらに向かっているならエルセーは街道を外れることは無いはず……街道に沿って行けば必ず会えると思うわ。でも念のためにある程度の監視は忘れないでね?それと…エルセーと会う時には笑顔を見せてあげて……」


 背中のトリィアが困惑していると、それを察した馬がちらりと横目を向けた。


「はて?笑顔…?もちろん、そのつもりですけど……」


 トリィアは首を傾げながらエルセーの元へ向かった。




 しかし、こんなタイミングでトリィアが街を離れれば、今頃テーミスはウレイア達が何かを企んでいると思っているに違いない。


 ウレイアはせめてこれ以上の不信感を抱かれないようにテーミス自身への監視は適度にしながら、教会への出入りだけを常に監視することにした。


(今のこの好機に何の動きも無いなんて…)


 しかし教会からそれらしい人物が出てくる様子は無い。神兵も、テーミスも、それ以外の怪しい者も出てこない。


(私の返事を大人しく待っているというの?とてもそんな風には見えなかったけれど…)


 目の前には合いそうで合わないパズルのピースしかないような気がする。そんな漠然とした疑念をウレイアは抱いていた。






 エルセーを掴まえようと意気揚々と飛び出していったトリィアは、なるべく街から離れた所でエルセーと出会うために、馬を気づかいながらもかなり速いペースで走っていた。


 しかしハイペースでの馬の持久力はそもそも低いために、すぐに馬からはペースダウンの要求が出される。それに加えて馬と会話…とまではいかなくても意思の疎通が出来るトリィアとしては、馬はただの移動手段では無く、感情を持った人間と同列の生き物だった。


「この子にあまり無理もさせられないし、少し休ませて抑えて走らせないと…」


 トリィアは馬から降りると馬をひいて歩き出した。


(無理なく走らせると1時間で20キロほど…距離が伸びるほど多頭立ての馬車の方が早いんだけど)


 更に距離が伸びれば実は鍛えられた人間の方が早い。つまりそれは、遠くへ行こうとするほど、丸一日でも余裕で走り続けられる彼女達の方が早いということだ。


 そうは言っても、トリィアほど速く、上手く馬を操れる者はいない。こればかりはウレイアも素直に負けを認めているところだ。


「まあ、どこでおち合えるか分からないのだから考えてもしょうがないですね?…うま、さん?えーと、この子の名前を聞いていないから話しづらいですねー?」


 馬も名乗りたそうだが、さすがにそれは叶わないことだけに、馬は馬なりにしょぼくれた目で訴えた。


「カッシミウに帰ったら私があなたのご主人様の所へ送って行くから、その時に名前を聞いてみましょう、ね?」


「ブルル…」


 馬は元気良く首を縦に振った。


「さて、あとはあなたにペースを任せるからお願いできる?」


「ブフッ」


 四つ脚の中でも頭脳派を誇るからこその意地がある。気合いを入れ直したその目はトリィアに早く乗れと言っていた。






 一方でボーデヨールの教会には動きは無く、そろそろまたテーミスの姿を確認しようと監視の『手』を教会内部に伸ばした。


 椅子も無い小さなテーブルがひとつ、その上にオイルランプがひとつ、クローゼットがひとつ、そしてベッドがひとつ…テーミスの部屋にはあらゆるモノが足りていない。


 思いがこめられたモノ、想いを巡らせるモノ、愛でて癒されるモノ、人が生きていく上で増えていくはずのモノが何も置かれていなかった。


 テーミスを見つけたこの部屋も居住棟では無く、敷地の端に建てられた小さな建物だった。人が発する『臭い』を嫌っていた彼女ならば、当然そうせざるを得ないのだろう。


 そんな冷たい部屋で、テーミスは静かにベッドに体を横たえていた。その姿はまるで物置に放られた人形そのもので、しかも朝に確認した時からずっと眠り続けているようだ。


(もし、そっくりな人形を置かれていたら分からないかも…)


 そんな冗談混じりにひとりで茶化してみたが、意外とそれが的を得ているような、そんな気さえしてくるのだった。






 あれから2時間あまり走っても、馬はトリィアの期待に応えようとペースを落とすこともなく、力強い足取りで進み続けていた。


「どう、どう…」


 それでもトリィアはたてがみを撫でると手綱を引いた。


「少しだけ休みましょう。気持ちはありがたいけど頑張り過ぎですよー。少しオーバーペースでしょう?」


「ブ、ブル!」


「そんなことない?ふっふっふー…ごまかしても分かるんですよ。それに恥ずかしいことでは無いです。大切なのは全力で頑張ったら全力で休むことです。だからえんりょ…」


 !


 見られている!トリィアは視線の主を探そうとしたが、まだ目で確認出来るほど近くはないらしい。それでもトリィアもよく知ったこの気配は…


「大お姉様!」


「ごめんねっ、お願い!」


 トリィアが馬に飛び乗ると、足をあぶみにかけたと同時に馬も飛び出した。


 逸る気持ちに馬も応えて、トリィアと一体となって一点を目指して疾走する。少し疾ると遥か遠くに馬車の影が望めるようになった。


「ああん、もう…」


 見えてはいてもすぐにたどり着ける距離ではない。少しずつ大きくなる馬車をもどかしく見つめながら、精一杯に脚をまわし続ける馬の邪魔をしないように我慢していることしかできなかった。


 エルセーもトリィアに気付いてから馬車の速度を上げている。馬に飛び乗ってからの必死な早駆けを見て、尚更不安を駆り立てられているに違いない。


 たいした時間でもないのだが、ようやくという感じで馬が止まりきる前にトリィアは飛び降りた。


(あれ?いつもの馬車じゃない?けど、あれはリードさんだし、乗っているのは確かに…)


 馬を操っていたリードがすぐに止めよう手綱をしぼるが、乗っていたエルセーも待ちきれずに止まるより早くドアを開けた。


「大お姉様ーっ!」


 トリィアが馬車に駆け寄ると、慌ててエルセーも飛び出してきた、が、


「!!」


 エルセーの姿にトリィアは仰天した。


「えっ!ええええええー??」


 その姿はトリィアが知っている今までのエルセーでは無く、ウレイアの記憶の中の若く美しいエルセーの姿だった。


 驚いて立ち尽くすトリィアにエルセーは駆け寄って肩を掴むと、


「どうしたのっトリィアっ!まさか?!レイに何かあったのっ?」


「へ?あっ!いえっ、いえいえ、ぜんぜん大丈夫で、す…」


 その答えに一拍考えると、


「ええ?ちゃんと答えなさい、どういうことなの?」


「えーと、どういうこと…といえば大お姉様のお姿のほうが…」


「ああ、もうっ…ちょっといらっしゃいっ」


 トリィアは引きずられるように馬車に連れ込まれた。


 そしてちょこんと正面に座らせられても、気になるエルセーの姿を上から下まで舐めるように眺めていた。


 エルセーはトリィアの顔を両手で挟むと、


「こらっ、トリィア!」


「ふあぃ…」


「レイはっ、無事なのね?」


 エルセーに目を覗き込まれたトリィアは頰を赤らめながらこくこくと首を縦に振った。


「も、もちろん大丈夫です、ぜんぜん……」


 その言葉でようやくエルセーも肩の力を抜く。


「もう…まったくもう、あなたが1人きりで必死な顔をして駆けて来るものだから私はてっきり…」


 エルセーに会う時には笑顔で…そうウレイアに言われたことをトリィアは今更思い出した。


「ああーっ!そうでしたーっ。そういうことだったのですね?すいませんっお姉様ー、大お姉様もー」


「何がですかっ?」


「あうっ………お、大お姉様に会う時には笑顔を忘れないようにと…言われましてー」


 エルセーはベンチに体を預けると大きく息を吐き出した。


「はぁー本当にもう…こんなにどきどきさせられたのは何百年ぶりかしら…悪い子ね」


 エルセーはトリィアの手を取ると、手の甲をぽんと叩くようして握りこんだ。


「はわわ…」


「ん?」


「お、大お姉様っ?ところでそのお、お姿は…?」


「んん?」


 エルセーは照れるトリィアの顔を見てにやりと悪い笑みを浮かべた。


「あらぁ、もしかしてトリィア…めんくいなあなたの御眼鏡に適ったのかしら?」


 握った手の甲を撫でながらトリィアの眼の奥をじっと見つめる。


「あわわ…あの、お美しいのは前から知ってました…」


(けど…この飲み込まれてしまいそうな圧倒的な信服感は…)


「大お姉様っ、あの…抑えてください。お話しができません……っ」


「まあ?うふふ…あなたが驚かせるから全開になっちゃったのよ?でもそうねぇ、ちゃんと話を聞きたいし…」


 エルセーは何かを飲み込むようにすっと落ち着いた顔を見せると、放っていたものが霧散して薄くなっていった。


「ふう…お姉様は不感症ではなく鍛えられていたんですねー?こんな大お姉様に迫られていたら他の誘惑やどんな威光を浴びようが流されることは無さそうです」


「あらあら、それは褒められているのかしら?何だか微妙ねぇ…それならあなたのことも鍛えてあげましょうか?」


「いえいえいえっ、私にはまだ早いというか、もったいないというか、漏れ出てらっしゃるもので十分というか…伝えなければならないこともあるのでっ」


 ぐぐっと迫りかけていたエルセーをなんとか踏みとどまらせると、冷や汗とはまた違うものを拭った。


「そうね、話を進めないとここで野宿することになりそうだし?この続きはまた今度ゆっくりとね…」


「あ…はは…」


(なん…だろうなー?お姉様が警戒する意味がどんどん解ってくるんですけど…)


 エルセーはさっと切り替えると


「それで、どんな感じ?まあ、あなたが1人で来たことで望ましい展開では無いのは想像できるけど?トリィア…」


「う…あ、はい。テーミスを見つけることはできました、というか…妙な奇襲を受けてしまったんですけど」


「妙…?」


 …………トリィアは自分が来ることになった理由をエルセーに話した。じいっと黙って話しを聞きながらもエルセーは少し納得しきれない微妙な顔になっていく。


「ふうん…あの子を惑わせるなんてねえ。天使の異名は伊達ではないというところね」


(あれ?なんか苛ついてらっしゃる?)


「でもねえ、何でっ?それで私が隠れなければならないなんて…私達が一気に押し包んでしまえば簡単に方が付くでしょうに?」


 トリィアが怖気ずくには十分な憤りをエルセーが発する。


「そ、そこはやはり…より安全で確実な作戦を望んでらっしゃるのでは、と…」


「あの子の考えていることは自分のことのように分かりますよ。でもねえ…慎重なのは良いけれど、それで返って足元をすくわれることもあるのよっ…?」


「ご自分ひとりだとむしろ無茶なくらい強引だったりするんですけどねー。私なんかが一緒だと本当に気を使われているようで…私もどう思ってよいものか…」


 2人は目を見合わせると呆れたようにため息をついた。いや、ため息をつかれた。


「はあ、しょうがないわねえ……ボーデヨールの西に農村があるから、そこに行っていましょうか?」


「西、ですか?でも農村では泊まる宿も無いんじゃないですか?」


「心配しなくていいわよ、なんとでもするから」


 自信に満ちたというよりは、当然と言う顔で微笑むエルセーにまた頰が熱くなると大事な事を思い出した。


「そうですっ、大お姉様!そのお姿はどうされたのですか?たしか本当のお姿に戻るとあの老け…年季を召した姿に偽装し直すのは大変だとおっしゃっていましたよね?」


 当然エルセーがトリィアの失言を聞き逃すはずは無い。


「それは間違ってはいませんよ…でもあなた今、『老けた』と言いましたね?」


 これは取り繕いようがなかった。


「………………あは?」


 馬車が揺れる…おそらくは揉みくちゃにされているであろうトリィアを思い浮かべると、リードは申し訳なさそうに帽子を深くかぶり直した。

 


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