21 天使のカオ
そこそこの意を決して教会に潜り込んでみたものの……そしてそのあと、ボーデヨールの街を丁寧に3割ほど探ったにも関わらず、結局テーミスを見つけることは出来ていない。
緊張を強いられる探索でトリィアも消耗気味に宿に戻ったが、弱音を吐くこともせずにケールの宿題に取り組もうとしていた。
「ちょっと、お待ちなさいトリィア」
「はい?」
「ここに座って」
ウレイアは自らソファーに座ると隣にトリィアを座らせた。
「何ですか、お姉様?」
「戻った時にお茶と湯を頼んでおいたから、少し休みなさい」
「湯?……お湯?お風呂ですかっ?お風呂さまの方ですかっ??」
ぴょこんと跳ねるとウレイアに嬉しそうな顔を見せた。
「ええ、あなたの大好きなお風呂様よ」
「もうー、ありがとうございますっ。あ、でも…お姉様の方が大好きですよっ?」
「そしてお風呂に浸かったら何か食べに行きましょう?」
「はいっ」
コンコン……
ドアがノックされると、お茶とトリィア待望のお風呂様の使者がやって来た。使者はもうもうと湯気が昇る桶を手に下げて入って来る。
「湯を運ぶために暫くドアを開けておいて欲しいのですが、よろしいですか?」
使者にそう言われると、トリィアは上機嫌で答える。
「どうぞ、どおぞっ!」
これは使者が何度も桶を運ぶのかと思いきや、その後の桶は小振りな荷車に幾つも乗せられて、思っていたよりも手早く、3度の運搬でバスタブは湯に満たされた。
「では、こちらに香油と石鹸を置いておきますので、どうぞお使いください。あ、お湯は熱くしておりますので、置いてある桶の水で調整して下さい。あとお湯は床に流してもらってかまいませんので……」
なるほど、バスタブを置いた床は石張りになっており、捨てられた湯は小さな穴から外へ流れるようになっている。
「はいはーいっ、ありがとうございましたー」
てっきりドアが閉まった途端にトリィアが服を脱ぎ出すかと思っていたのだが
「では……お姉様?」
「どうしたの?入りなさいな」
「でもー、私だけでは申し訳なさすぎます。湯もすぐに冷めてしまいますし…ですからここはっ……一緒に入りましょう!!」
「……いえっ狭いでしょう?えっ、ちょっとトリィアっ」
1人用のバスタブではどうしたって狭苦しい。膝を突き合わせて浅いお湯に浸かってもリラックスなんて出来ない……
「考えている時間はありませんよ?お姉様!」
「ちょっ……トリィアっ」
しかしウレイアの抵抗も虚しく、なかば強制的に服を剥ぎ取られて、引きずられるようにバスタブに放り込まれた。
「ちょっとっ!!熱いわよ!?これっ」
そして全ての桶の水をこぼすと、溢れそうなバスタブのお湯を先ずはそこへ汲み直している。
(あらあら…こういうことには抜かりが無いのね…)
トリィアは持参してきた香油を握りしめるとバスタブに飛び込んだ。
「どーんっ!あっっつーーう」
鼻歌を歌いながら湯に香油をたらすトリィア。
「ふんふんー、お姉様とー……同じかほりー…」
「まったくもう…」
「お姉様、背中を向けて下さい」
もはやあきらめて黙って背中を向けると、泡立てた石鹸で頭の天辺から撫で洗われる。
「なでなでー…すりすりー……うふ、うふふふ…………」
(!、まったく…でも……変わらないわねこの子は……)
「はいっこうたーい……っ」
洗われて体をよじりながらウレイアが振り返ると、トリィアは当然のように背中を向けてうずうずと待ち構えていた。
その背中にウレイアの胸がちくりと痛んだ。
(トリィアの…小さな背中。私達が背負わされた運命の重さをこんな小さな背中のトリィアに…)
必要だとは思っていても、トリィアに戦い方を叩き込み、人を殺すことを覚えさせ、今もテーミスを暗殺するために生死のかかった状況を強いている。
(トリィアが争いを嫌う優しい子だと、知っているのに…)
「お姉様?」
「ん?はいはい…」
(私がこの子に教えてきたことは…)
日常の些細な事から礼儀作法まで、しかしその何倍もの時間は生き残る術と勝ち残る『殺し方』を教えるために使われてきた。しかし目に障るものを排除する事に何のためらいも見せない彼女達の種族特有の気質も保ちながら、トリィアは人も動物も慈しむことを今だに忘れていない、それはトリィアの持つジレンマと危うくて貴い資質なのだ。
「さあ、あとは1人でゆっくり浸かっていなさい?」
「えー?」
トリィアが汲み置きしておいた湯をかぶるとウレイアは退散した。
(トリィアだけを…ここから、いえ、こんな状況から逃がすには…この先もずっと)
そして肌に香油をすりながらそんな考えを巡らせていた。
「おねえさまっ!」
すると急に裸のままトリィアが飛び出してきた。そしてウレイアの前で仁王立ちになっている。
「!?、と、トリィ…」
「お姉様!、私ももう子供ではありませんっ」
「え?ええ……」
トリィアは怒らせていた肩を下げると、声を落としてウレイアに言った。
「お姉様に育てて頂いたからではありません。私は…お姉様のパートナーになりたい、それは今日、初めて会ったとしても同じだったと、自信を持って言えます…だから………」
「?」
「だから…お願いします。私を道の途中に置いて行かないでください…」
!
「トリィア…あなた……」
ウレイアの望みは、この子に幸せになって欲しいだけ。ただ安心して暮らしていけるように、できるだけのことをしてあげたいと思っていた。
ウレイアにはこの子が自ら決めたことを受け入れる義務がある。その決意の中の明らかな間違いはこれまでも正してきたが、時には自分の感情を押し付けることも少なくは無かった。
しかし、トリィアが望む幸せは、こころを満たす喜びは、トリィア自身が決めることなのだ。
「まったく…こっちいらっしゃい」
トリィアの手を掴むとバスタブの横に座らせた。
「あのっ、お姉様?うわぷっ」
お湯を頭からトリィアにかけると、体に付いていた泡を洗い流した。
「わかった、解ったわトリィア…私が悪かった」
「お姉様、じゃあ…」
「ええ、解りました、それに……あなたには秘密を持てないことも…ねっ!」
ウレイアは残った桶のお湯もトリィアにぶち撒けて笑った。
「ぶわっぷ…っ」
「ふふふ…」
この街はエクサパティシ教の信者が大半を占めているせいか、生活そのものが質素…いや慎み深いと言ってあげた方が良いのだろうか?何にしても地味である。
「この街は食べる物の見た目も味もー何というか……そうっ!まさに『味気ない』ですよね?何とも味気ないお肉だけがお皿にどーんっとか…ジャガイモだけがどーんっ…みたいな?」
トリィアは両手で叩きつけるような仕草をしながら愚痴をこぼしている。大好きな食事が余程不満だったようだ。
そんなトリィアが好きそうな雑学をウレイアは披露する。
「囚人の気力を削ぐ良い方法を知っている?」
「!、あ、もしかして食事とおっしゃりたいのですね?」
「そう、見た目を質素にして、味も薄くすると良いらしいわよ?」
うんうんと納得している。
「そうですよねー、しかも毎日同じメニューだったりしたらもう、抵抗する気力も無くなってしまいますよね?」
「まったくね、この街の住民は本当に上手く飼育されていること」
まあ、ウレイアにとってはどうでもいいことだが。
それにしても……エキドナはどうしただろうか?彼女がここに来る予想にはウレイアもかなりの自信を持っていた。
(外したかしら?もしくは……まあ、今となっては…)
「ほんとですねー、どうしたんでしょうか?エキドナさん…」
ウレイアは不意を突かれたように驚いてトリィアを見た。
「え、なぜ……?」
(察するというか…これはもう、そんなレベルでは無く心を読まれているような……?)
トリィアが目を細めて、にこりと笑う。
「不思議ですか?愛ですよ、あ い……お姉様を見ていると聞こえて来るんですよねー」
「聞こえて……?」
(まさかっ!トリィアは動物の心を読むのが得意だけど、これは能力が進化している?)
「そんなー…お姉様は馬じゃないですからー。だから愛ですってばっ!」
「ええっ?」
トリィアの得意気な顔を見てウレイアはぞくっと鳥肌が立つのを感じた。
(こんな感覚は初めて……でもこんなに急に?)
確かめたい……
もしこれがトリィアの力なら、鍛えてみたい……人の思考を読み取れる能力、ウレイアはぞくぞくした。
そのトリィアは楽しそうに笑っている。
「うふふ…」
「ふふ…こわいわね………」
そんなことの直後だからなのか、気のせいなのか、トリィアが纏う雰囲気がいつもとは違うような気がした。
「お姉様、今夜は私が見張りをします。教わったことにも慣れましたし、昨晩は一睡もされてませんよね?」
「大丈夫よ、言ったでしょ?5日間くらいは平気だって」
トリィアは口を尖んがらかしてウレイアを見た。
「そう、それじゃあまた、交代で見張りましょう」
「はいっ、頑張ります」
今夜は監視しているトリィアを監視することになりそうだ。
しかし、何も動きが無かった……
ウレイアもじいっと待つことには慣れているが、今回は我慢比べに来たわけでは無い。なるべく速やかな解決を目論んで乗り込んできた以上、心が逸るのは仕方がなかった。
「結局、昨晩も何もありませんでしたね…?」
夜の間、ウレイアが思っていた以上に上手に監視をこなしていたトリィアだが、カッシミウを出てからずっと緊張した状態が続き、大分神経を擦り減らされている筈だ。
「まさか長期戦にはならないと思ったけれど…一度仕切り直すのも有りかしら?」
「相手が見つからないのでは喧嘩もできませんねえ?」
「……」
気に入らないのはこちらが攻めに出ているつもりで、どこかテーミスにペースを握られているような気がするからだ。こちらが空回りしているだけならまだ良いのだが。
「今日はどうしますか?」
「そうねえ…馬も運動したいだろうし、今日は気晴らしに少し街の外に出てみましょうか?」
そして外から街を探ってみるつもりでいた。特に城壁の中と、街から少し離れた場所に身を潜められるような村や建物が無いか調べてみたかった。
エキドナの情報などから街の中にばかり気を取られていたが、むしろ初日にやっておくべきことだったかもしれないと、ウレイアは思った。
「いいですねっ、では早速支度をします」
「トリィア」
「はい?」
「街から少し離れたら、ちょっと踏み込んで探ってみるから、場合によってはここへは戻って来れなくなるかもしれない、だから大切な…ものは……っ、っ!」
一瞬にウレイアの目が鋭くなるっ!
「!、何か見つけたのですか?」
「教会の馬車が…通りを上ってくるわ」
「外から?まさか、馬車にはっ?」
しかも13人もの神兵を伴っている。当然馬車に乗っている人物は重要人物だと想像した。馬車の中を探るべきか?やり過ごすべきなのか?
「どうですか?テーミスは乗っていますか?」
「………………」
ここまで来て、これまで待っていたのだから馬車の乗客を探るのは当然だ……が、しかし、そんなことをする必要は無かった。
!
!
2人の記憶に残っているこの気配…これだけ離れていても空気を伝わってはっきり感じる。
「います!乗ってますよ、お姉様っ。あの馬車にテーミスがっ!」
「ええ、傲慢で不遜な気配が駄々漏れよ、テーミスっ!」
もはや視る必要も無いっ。こんな忍びもせず、むしろ自分の存在を誇示するように力を垂れ流すような同族はいない。
「トリィア、抑えなさい………」
「あ、はい」
(存在した。疑っていたわけではないけれど。それに分かるわよ、ずっとあなたのことを考えていたし、クリエスとマリエスタの屋敷を眺めていった時に触れているもの。だから初めまして…では無いわよね。そしてこれで……)
「いることさえ分かれば、狩れる…!」
殺意を漏らさぬよう押し込めているウレイアの姿を見てトリィアは
(こ、これも…お姉様のすがた……こわいっけど……おそろしく研ぎすまされた美しい剣の様です、お姉様!)
徐々に近づいて来る馬車はそれにつれて速度を落としている。それは伴走していた神兵達の馬が馬車を少しずつ追い越していくさまを見ても分かった。
「まさか…まさか、お姉様?」
「落ち着きなさい、トリィア」
馬車はゆっくりと近づくと、2人のいる宿の前、いや、ウレイアの目の前で…止まった。
トリィアは突然置かれた信じられない状況に、身動きが出来ず、パニックになる寸前だ。
「お、お姉様?こここ、これは一体……っ?」
ウレイアはその時、既に持ってきた荷物の中から全てのマテリアルと予備の鋼糸を引っ張り出して仕分け、考えをめぐらせながら持ちやすい袋に詰め替えていた。
(何のために止まった?)
神兵は13名、しかしその内の9名は馬車を置き去りにしてそのまま通り過ぎて行ってしまった。残りは4名……
(私達に気付いて止まったのならば、全員でおし包もうとするか……たまたま他の用があって、たまたま止まった?そんなわけは無いわね)
残った4名の神兵達も馬車の前後を警戒しているようで、こちらを気にしている様子が無い。しかし、
「私達を意識しています、お姉様っ!間違いなくっ…」
馬車の中の人物は2人がここにいることを知っていて、それを感じ取っている。ウレイア達が感じているように。
「この往来でヤりあうつもりかしら?」
周辺を広く監視しながらウレイアは起こり得る展開をしらみ潰しに考えていた。今のうちにトリィアに距離を取らせておくのか?ちらりとトリィアを見ると、真剣な顔で首を横に振られた。
「いえこれは、あくまで戦略としてよ?」
「だーめーでーすっ!」
たしかに戦力の分散も確かに考えものだが、エキドナのリポートから考えると2人で固まっているのも不安だった。
「トリィア、桶に水を汲んで持ってくるように頼んできてくれる?」
「水、ですか?」
「ええ、2つね」
「?…わかりました」
謎かけに首をかしげながらトリィアは部屋を出た。
その間にウレイアは、荷物の中に用意しておいたものを確認すると、にやりと口もとをもち上げた。
「すぐに持ってきてくれるそうです…って、お姉様っ、何をくつろいでいるんですか?」
ソファーに座って本を広げているウレイアを見つけてトリィアが当然ツッコミを入れる。
「ああ、ありがとう。あなたもここに座りなさい」
呆気にとられていた顔はすぐに呆れ顔になった。
「あの、テーミスは放っておいていいんですか?他にも何かやっておくこととか…」
「やること?まあ、そうねえ、着替えはしておいた方が良いわね。乗馬の服がいいわ」
「はい、えっ?それだけ?」
「…そうね、今のところは」
トリィアが言葉を失っていると、ドアがノックされた。
コンコン
「どうぞ」
「失礼いたします。水をお持ちしましたが……」
「ありがとう。そこらへんに置いておいてくれるかしら?」
従業員は水桶を置いてさがった。
黙って横にちょこんと座ると、トリィアはひとつ深呼吸をした。
「ふぅー…今は、待つ時間なのですね?」
ウレイアはトリィアの肩をつかむと引き倒して膝枕の上に寝かした。
「お?」
「そうね、少し待ちましょう。大丈夫、力を抜いていなさい」
大通りは時間と共に人通りも増して、通行人は教会の馬車の横を通り過ぎる時に一様に一礼をしながら通り過ぎて行く。
睨み合う、と言う程には緊迫感は感じていないが、けっして相手の動きは見逃さない。街の外までフォローして、もし怪しい動きを見つけた時は、すぐに行動を変えるだけの心構えをしておく。
そんな張り詰めた中で、2時間…3時間……
起き上がったりまた寝たり、ちらちらとウレイアの顔を確認しながら緊張していたトリィアも少しずつ気が緩み始めて、膝の上でうつらうつらとし始めている。
「トリィア…さすがに眠ってはダメよ…」
「んん…すいません、でも…この枕が悪いんです」
「ふふ、でもそろそろ、起きてもらおうかしら?」
「ううん」
トリィアは一度うつ伏せになってから体を起こすと、
「はあい、では今から作戦を受け付けます。お姉様どうぞ…」
「それじゃあ、私はこれからテーミスの顔を見に挨拶してくるわ」
「んんー、なるほど…ええーっ?!」
どうやら一気に目が覚めたようだ。
「挨拶って?ああ、あの馬車に乗り込むおつもりですかっ?」
「そうね」
「ちょっと、ちょっと待って下さい。あの…無茶はお姉様のチャームポイントでも何でも無いですよ?あんなパンドラの箱に近づく必要があるんですか?」
ウレイアは腕を組んで考えた。
「ううん…多分ね」
「た?多分て……いえいえいえ、やっぱり待って下さい。たしかに私達を待っているような感じですけど……うーん、罠を張って待ち構えているかも知れないのに…」
「そう、だから2人で行くわけにはいかないでしょう?一網打尽にされたくはないし。そうは言ってもばらばらになっても心配な事があるから、私が出ていったらあなたは……」
これだけの時間を待たせても宿を包囲するわけでも無く、テーミスが乗り込んで来るわけでもない。
明らかに何らかの交渉、またはコミュニケーション、または罠で2人をきゅっと締める、そんなところだろう。
そして最も注意するべきなのは別れた後に片方が人質になることだ。その対抗策を取れなければ、ここは一旦引いて体制を立て直すべきだ。
「…という作戦でいきましょう?あなたには悪いけど」
「うえー……いいえ、分かりましたっ。でもお姉様!まあ、あそこへ行く以上の無茶はないですけどもっ……無理はしないでくださいね?」
「ええ、分かってる。あなたも…私との約束を守るのよ?」
ウレイアはトリィアを抱きしめた。
「!……はい」
ウレイアとの約束、数少ない命令のひとつは『私を見捨てること』……ウレイアが窮地に立った時、決して危険を冒して助けないこと。
それはトリィアが弟子になりたいと申し出た時に、その条件として約束させたものだった。
しかし……
トリィアがこの師弟の約束を守らないことくらいウレイアも分かっている。だから自分がそんなことにはさせない、させるような窮地に立つわけにはいかないのだ。
(悪いけど…死んでもらうわよ。テーミス……)
逆に奇襲を受ける形になった以上、なんのつもりかは知らないが、話をしたいのなら騙し討ちで決着をつけさせてもらう。馬車とはいっても外からは見えない密室に変わりはない。テーミスさえ処理してしまえば今回の件はかたがつくだろう。
そして家に帰らせてもらう。
ウレイアはためらうことなく、むしろ足を早めて宿から出ていく。
途端に神兵達の視線が集まるが、どこか虚で、その目に生気を感じさせなかった。そんな死人の目に一瞥をくれると、一旦止めていた足を馬車に向けた。
ウレイアが姿を見せると、馬車のあるじの気配がぐっと濃くなったのを感じた。
(嫌ね、なぜそんなに興奮しているのかしら?)
一歩、そして一歩、近づくほどに相手の興奮が空気を震わせている。ただどれほど近づいてもウレイアを視ようとはしてこない、どこかこの時間を楽しんでいるような印象を受けた。
(ふん、意外と受ける方が好きなのかしら?まあ、そうで無ければこんなに待たされたら文句を言ってきそうなものよね?)
ここで一度引き返してやろうか?そんな悪戯心が湧いてくるが、そこは我慢をして、8つの視線の中馬車の前に立った。
コン
中からノックが伝わった。御者役の兵士がすぐに降りてくると、敵であるウレイアに気を配りながらドアを開けた。
うっすらと暗い馬車の中で、ぼんやりと光る白いローブを被り込んだ姿が浮かび上がっている。
(これが?)
感じられていた気配からは想像もしなかったその姿。ウレイアはその姿に魂の無いまやかしのような存在を見て目をひそめた。
「大分、待たせたかしら?」
まるで人形に声を掛けているような気分だが、ウレイアに声を掛けられると微動だにしなかった人形は、向きもしないが今気が付いたかのように頭を少し、くっと起こした。
「…ステキな声……ねえ、早く入って…」
!
(濡れた指でワイングラスの縁を鳴らした様な…何にしても少し、カンに触る声ね!)
ウレイアは遠慮なく車内を確かめてから、僅かな決心と共に小さな箱に入り込んだ。
白い人形の気配で満たされた世界に、ウレイアという異物が混じり合う。しかしそれはすぐに分離して、水と油の様にまんなかにゆらゆらとゆらぐ境界を造り出した。
まるで生気を感じさせない血色の無い肌と表情、神のシンボルをかたどったペンダントの天辺には小振りながらも光の象徴であるダイヤモンドが埋め込まれていた。
(とても綺麗な石ね…最高級…)
こんな時にテーミスでは無く宝石に見とれてしまうとは、さすがに自分も大概だと思いながら
(テーミス…)
こころの中で囁くと、それを察したかのようにガラス玉の様な目をウレイアに向けた。そしてやや微笑むと
「ちっとも退屈ではなかった…」
「?」
「どんな人が来てくれるのか…考えるだけでとても楽しかった」
ひどく儚い微笑を浮かべる少女、モノとしての重さをまるで感じない透けそうな体は、触れようとすれば手がすり抜けてしまうのではないだろうか?
もっとも、どのような容姿であっても、どんな印象であってもウレイアは興味を持たないが。
「そう」
(思ったより、若いのね…それじゃあ)
ウレイアの殺意を受けて、ペンダントの鋼糸がふっと肌から浮き上がる。
すん…
ところが不意に人形が鼻をひくつかせた。
「この馬車にはね…人間は絶対乗せないの」
「え?」
「だって…人間は臭いのですもの…」
「臭い?」
言葉に悪意は無い…のだろう、それが分かる。そしてそれが天使の本質なのか、元から負の感情を持たないのなら他の存在を卑下していることにも気がつかない。
自分が心地良く感じるかどうかがこの人形には全てということなのか?
「でもお姉さんは素敵、いい匂い……甘いだけじゃ無い…澄んでいて目の覚めるような鮮烈さがある。なんで……もうひとりも連れてきてくれなかったの?」
「よければ聞かせてほしいのだけど、なぜ私達がいると分かったの?」
くすくすと人形が笑った。
「だって、この街くらいだったらすぐに感じるもの…お姉さんたちが来た時もすぐに分かったわ。ああ、また……誰かが私を『殺し』に来たって」
(っ!…感じる……?!)
「だからすぐに逃げ出したの……少し気持ちを落ち着かせてもらおうって。こうしてお話ししたかったから…」
そう、そうだろう。そうでなければ説明がつかない。ウレイア達が既知の相手や強い力をすぐそばで感じ取ることが出来る、そんな能力の強化版というわけだ。
(でも、わざわざ間を取ることの意味が分からないけど…ということは、やはりエルセーにも気づいていた可能性が高いわね。その時もテーミスが同じ行動を取ったのならすれ違っていたのね?でもその後は…偶然?)
そしてそれは、ウレイアが出現を恐れていたことのひとつでもある。やがてその能力はこの街程度に留まらず、感知出来る広さが拡がるかも知れない。
(それだけで、殺すには十分な理由よ…)
「私を…殺しに来たんでしょう……?」
テーミスの目に愁いが見えた。
「それはあなたも同じでしょう?あなたも私を殺しに来たんでしょう?」
「…私が?お姉さんたちを……?なぜ…?」
「なぜ?とぼけているつもり?あなたは私達を、魔女を殺すのが好きなのでしょう?」
「ええと…」
視線を遠くに向けて、考えを整理しているような素振りを見せる。そう見せているだけかも知れないが、今が首を狙うチャンスと見て鋼糸に力を込めようとした。
「私の夢を聞いてくれる?」
「ゆ、ゆめ?」
ウレイアが苛ついた顔を見せても、人形は楽しそうに語り始めた。
「うん…ふふ、私の夢はねぇ……神さまがお創りになったこの美しい世界に相応しい……美しい住民達で世界を創ることなの…」
「美しい…住民達で?」
「そう…お姉さんみたいな……」
人を煙に巻いて楽しんでいるのか?しかし聞いていた天使の生い立ちから想像できるように、人を騙そうとしているようには感じなかった。
「なら、なぜ魔女を狩るの?当然魔女を忌まわしい害獣とでも思っているのでしょうけれど、私もその魔女のひとりよ?」
「それは……悲しい誤解だと思う…他に言葉を知らないから魔女って呼ぶけど…たしかにこの世界を汚している魔女はいるし…話も聞いてもらえない……けどね?それは魔女が悪いんじゃ無くて…運命のせいなの。魔女を嫌う人間の方が余程…野蛮で薄汚い存在……だから魔女の方が私は好き…純粋で……嘘の無い存在だから」
「え?」
「なにより私達は姉妹なのよ?お姉さん……共に神様に力を分け与えられた…許された数少ない存在なのよっ……?」
(!、まさかっこの子っ?)
「その証拠に魔女の中には心の美しい人もたくさんいるの……そういう人は、とてもいい匂いがするのっ」
「あ、あなたの言っている『匂い』というのは…」
少し興奮して語っていた人形はうっすらと微笑むと、
「んー…こころのにおい?……存在のにおい?魂のにおい?お姉さんは特別にいいにおい…!ねえ…私の匂いも嗅いでみて……?」
「な?悪いけど…私には分からないわ」
「そう…」
呟いて、そして残念そうに落ち込んだ。
言いたいことは分かる。それを肌で感じることはあるし、それがこの子の能力だとしても、やはり偏狭的な感覚だとしか思えない。
「あなたは一体何をしたいの?それに、何の答えになっているの?」
「だからね……話を聞いてくれた人にはお願いをしているの…私の夢の…お手伝いをしてって……人間達には魔女は倒せないでしょう……?話をしてくれそうな姉妹を見つけたら…ここへ来るように頼んで欲しいって……そんな話も出来ないような相手なら…いらないから殺してあげてって……」
(それが……エキドナが生かされた理由?もしかしたらテーミスの炎に巻き込まれて死んだという神兵はエキドナを助ける為に殺したんじゃ……?)
「あなた……いつもこんなに丁寧な話をしているの?その、話しができそうな相手には……」
「ううん…毎回違うから……お姉さんは特別?やっぱりちゃんと話を聞いてくれているし…でも…どうしても殺さなきゃならなくなる時もあるし…いやだけど力ずくで言うことを聞かせる時もあるし…」
「力ずく?」
「ふふ…私にはねぇ…神様さまに頂いた言葉の力があるの……『神言』って呼んでるの……神言を使うとみんな言うことをきいてくれるけど…」
それはウレイア達も当然のように使っている強制力のことだろう、しかし今まで同族と相対してきた中で気付いていないのなら……気づかないほどの力の差があるというのだろうか?
「神さまがお創りになった世界に醜い者は要らないの……人間は必要だけどもっと間引かなきゃ……何も生み出さない者や心の澱んだ臭い者…特に教会は酷いのっ…彼らの悪臭には耐えられない…神さまを利用してお金を集めることしか考えていない……いつか綺麗にさらって教会を浄めないと」
「!?」
「そしてね…ふふ…いつか私達…姉妹だけの…神の民だけの国を創るのっ……清らかで高潔な美しい国…私達の夢の国…私はそこで暮らしたいのっ」
胸に両手を当てて、感極まった表情でそんな世界を想像している。無表情だった人形の目がきらきらと潤んで光っていた。
「あ………」
ウレイアは言葉を失った。
現実的でも無いし、理由もかたちも違う、でも、でも自分達の厄災と言われていたこの天使が夢見ている世界は、結果的にはウレイアと近いものに思えた。
(いいえ、近いように見えても全く違う。でも…こんな考えに至るなんて、やはりどう考えてもおかしい。この子はもしかしたら……)
「だから…ねえ?私にお姉さんの力を貸してくれる?ううん…お姉さんなら横にいてくれるだけでもいい……だってお姉さんは……」
言いかけて、それまでの感情を押し殺すように飲み込んだ。
「?、わたしが、なに?」
「あ…ううん……お姉さんは特別だから…だって…仲間と一緒に来たのはお姉さんだけだもの……そんな人はお姉さんだけだもの…そんな人を待っていたの…だからお願いしてるの…」
「………」
訴えるようにウレイアを見ていた人形は目をそらしてうつむいた。
「できれば……無理に従わせたり…殺したりしたくないの」
「それは脅迫かしら?」
「ちがう…っ!でも…言うことを聞いてくれないと…」
「とにかくっ、あなたの夢の邪魔もしないし、こちらが何も仕掛けなければ私達に危害を加えるつもりは無いということ?」
彼女はまたうつむいた。
「ん…ええと……」
「あなたに従わなければ敵とみなされるの?そんな単純で極端な結果だけを望むの?」
「でも…」
「特別な私でも考える時間は貰えないの?」
「え?………いいよ…でも必ず『うん』と言って…そして私を手伝って」
時間を与えても答えは一択を迫る。どうしようもなくわがままなようだ。そしてどうしようもなく危険だ。
「私はテーミス・カークランド…お姉さんは?」
「私は…アデラ」
「ふふ…いいよ……本当の名前はこの次で……その時は姉妹として名乗ってくれるんだもの……この出逢いは神の思し召し…そして……〝私と一緒に歩いて行く、それがアデラお姉さんの運命だものっ!〟」
「!!!」
その言葉がウレイアの頭の深いところに響いた。
一瞬捕われそうになるが、偽名で呼ばれたことと、強い否定の意思で頭の中から弾き出す。
「あれ……?やっぱりお姉さんは特別…神言を使うと皆んなお人形になってしまうのに……でも…言うことを聞いてくれないなら次は手加減しないから…」
鳥肌で全身が総毛立ち、ずっと昔に置いて忘れていた冷たい汗が身体芯を冷やした。
(本当にっっ、つよいじゃない…!強制はしないと言っておいて……試したつもりかしら?)
ウレイアは心の中で舌打ちをすると、唇を噛んだ。やはり、今決着を着けておくべきだ。
「ごめんなさい…でもあなた達は自分より強い者におもねったり…巻かれたりするでしょう?」
「だから私に『ちから』を見せつけたの?それで自分の方が強いことを証明したつもりかしら?それは……私に対しては全くの逆効果ねっ!」
バギッ!ギンッ!!激しい音と共にウレイアは身うごきもせずに、ひと息でドアの外枠に沿って壁を斬り飛ばした。
「えっ?」
しかしその結果にウレイアはとまどった。それだけのことが起きた。
「すごーいっ!」
しかもこのパフォーマンスはテーミスを逆に喜ばせただけのようだ。むしろ慌てたのは見張りをしていた神兵の方だった。
「テーミス様っ!」
覗き込む神兵を見るとテーミスは途端に豹変した。
「誰の許しを得てこの聖域を覗き込んでいるのですかっ?〝下がりなさいっ!〟」
「!、お赦しをっ」
兵士は弾かれるように身を引きながら、テーミスに赦しを乞うた。
「あっ、みっともない姿を見られちゃった。でも人間に話しかけられるとつい苛ついてしまって…」
(ず、随分と歪んでしまっているのね。それにしても、なぜ今私は…?)
「それじゃあね、テーミス…帰りは少し寒いかもしれないけど」
「お姉さんっ…やっぱり…お姉さんことは諦めないから……それに…私のこと…本当は好きでしょう?」
ただ語るだけでも当然力の影響力はある。かたれば語っただけ相手を誘導することができるが、それを知らずに行っていたとしても、やはり性根の小賢しさを不快に感じるだけだった。
(それが精一杯の訴えなのかもしれないけどね……)
「だけど…あまり待たせないでね?」
ウレイアはその言葉を振り切るように切り抜いた壁から馬車を出た。いや、逃げ出した。




