20 怨念の霊廟
ハルムスタッドの首都であるボーデヨールは、国境にほど近いクルグスからは馬で半日と少し、朝に主発すれば遅くとも午後3時には到着できる距離にある。
見渡す限りの草原の中に築かれた城塞都市は、ハルムスタッドが遷都して以来今だに拡大を続けていて、モーブレイにとっては近隣諸国最大の友好国でもあった。
クルグスでエルセーと一旦別れた2人は、ボーデヨールでの再会を約束して先に首都を目指していた。
「お姉様…昨晩は夜中に起こしてしまってすいませんでした」
これは失言である。
(ん?トリィアがエルセーの悪戯を謝るというのはどういうこと?その理由があるというなら私は自白と受け取ってしまうけど?)
「私を起こしたのはエルセーでしょ?なのにあなたが謝るなんて……それともあの悪戯にはあなたも一枚噛んでいたの?」
「めめ、滅相もないっ。あれはエルセー様の暴走です。私はただ、大お姉様とお姉様の信頼関係の深さに気付いたことをお話ししていただけで…羨ましいなぁって…」
「!、ん…ま、まあそれはねっ…幼い頃から命を預けて育ったのだから自然と培われたモノというべき?でしょう?」
何故かウレイアは顔を赤らめて、顔をそむけた。
「は?んんー?お姉様?おかおが……」
ウレイアの機微を見逃さないトリィアはその異変に気付かない筈もない、クールフェイスなウレイアがおかしな反応を見せたその理由……それはまだ陽も登りきっていない今朝のことだった…深い眠りから目を覚ました時にウレイアの隣にいたのは
「ん、んん…え?エルセーっ!なぜ私のベッドに?」
「あら、おはようレイ。ええ、そのことについては是非説明させてちょうだい」
体を起こして首を怠そうに回すと、エルセーは淡々と語り出した。
「私がねえ、まあ暇を持て余してあなた達の寝顔を見に来たと思いなさいな。それはもう良く眠っているようで、特にあなたのことはベッドのすぐ横でしゃがんで見ていたのだけど……」
「よこで……はあ?」
「そうしたらねえ、何か呟くものだから耳を近づけて聞こうとしたら、私の名前を呼びながら首をがっしりと抱きかかえられたじゃないの!」
「え?」
「驚いて体を引いたらもう、首が折れそうなくらい力が入っていたから振り解けなくてねぇ…離してくれないから今まで添い寝をしていましたっ!」
「ええっ?」
(信じられないっ、こ…このわたしが?……)
ウレイアは恥ずかしさのあまりエルセーの視線を腕で遮った。それに全く記憶に残っていない。
「はっ!!」
思い出してトリィアの方へ振り返ると…幸いまだ寝息を立てていて、それを見たウレイアはほっと胸を撫で下ろした。
「まあ、ちゃんと起きて見張っていたから安心しなさい。少し体は、固くなったけどねぇ…うふ、っふふふふ、レイったら可愛いぃー、あー…しばらくはこれで気分良く過ごせるわあ」
「くっ…」
あまりの恥ずかしさにウレイアはベッドから飛び起きると、ソファーの端でしばらく落ち込んだ。こうして、消すことの出来ない汚点がエルセーの記憶とウレイアの歴史に刻まれてしまった。
そして、今はトリィアの顔をまともに見ることも出来ないでいるというわけだ。
「大丈夫ですか?お姉様っ。どこか具合の悪いところでも…」
「い?いいえっ、大丈夫よ」
「んー……さ て は ?……何か昨晩大お姉様とあったのですか?」
!っっ
挙動不審を見とがめられるのは仕方がないとしても、ウレイアのこととなるといささか鋭どすぎる。
「な?何もありませんよっ!変な勘ぐりはおやめなさい」
トリィアはウレイアをじっとりと見つめると、
「お姉様がそれほどに恥ずかしがられるということわー、逆にぃ……」
「もうおやめなさい。エルセーに会っても聞き出そうとすることは禁止ですっ、いいですね?」
「え、ええー?多分ですけどそれほど恥ずかしがられるような事では無いんじゃないですか?おそらくですけど凄く…かわいらしいことでは……?」
「トリィア…もう勘弁して」
許しをこう姿を見てトリィアはむずがゆそうに微笑み、目を逸らしているウレイアを目に焼き付けているようだった。
(こ、こんな可愛らしいお姉様は滅多に見られるものではありません!一生ものですう。聞きたい…っ、でも聞いたら拍子抜けするんだろうなー、これは聞かずに楽しんでいた方が何倍もお得とみましたっ……!)
「と、トリィア……妄想も禁止です」
「そ、そんなぁー?」
きっとトリィアはボーデヨールに着くまでの間もいろんな事を想像して喜んでいるに違いない。それならばいっそのこと話してしまった方が…そんなことも頭をよぎったが……
(ん…むりだわ……っ)
それ程の勇気をウレイアは持ち合わせてはいなかった。
ボーデヨールは幾つかの丘を越えると、草原の中に突然姿を見せる。
遠く離れた場所からは大きな盾状の岩山が横たわっている様に見えて、そこから幾本もの煙を立ち昇らせている姿には違和感を感じる。
「お姉様はボーデヨールは初めてでは無いんですよね?」
「ええ、過去に2度訪れているわ。一度目は移り住む場所を探していた時、2度目は今の仕事でね」
「ボーデヨールの方がエルセー様とも近いし……なぜカッシミウに決めたのですか?」
ウレイアの心がふつふつと粟立つ。
「それは、行ってみればわかるわ」
街に近づくと城を囲む城壁の東側には一見雑然と街が広がっており、城へ通ずる大通り以外の道は、故意に狭く複雑な迷路のように造られているのが分かる。
無論、城壁にも直接外へ通ずる門が幾つかあるが、それは常に堅く閉ざされたままで、遠回りであっても出入りは大通りから、それが原則となっているようだ。
道を遮るように連なっている建物の要所には、兵隊たちが待機しながらも警備の目を光らせる為の詰所が数多く配置されており、巡回する必要も無く不審な者を発見できるようになっていた。
その様子からトリィアは、その理由をすぐに理解した。
「これは…街そのものが城壁の役目をしているのですね?」
「そうね、誰もがその城壁の中に住んでいると言っていいわ。ただし、街の中心が富裕層、外へ行くほど貧しい家が多いわね、基本的に」
石造りの堅牢な家が背中合わせに建てられているということは家の中を通り抜けることもできないはずだ。それを連ねて建てていけば、街の発展とともに巨大な迷路も拡大していくというわけだ。
「でもそれでは、敵が攻め入った時には外側の住民はまっ先に…」
「一応城壁の中にも町があってね、貴族や特権階級の住民が住んでいて、有事の際にはこちらの住民も城壁内に避難するようだけど…やはり避難できるのは中心部に住んでいる一部の住民だけでしょうね?」
路地を見通そうとしてもすぐに行き止まりに視線がぶつかるのはかなり奇妙な光景だ。
「まあ、壁に囲まれている町の方が珍しいけれど、ここまで格差が目に付く街は少ないんじゃないかしら?」
「うーん、それに何か兵隊さんの視線がうるさいですねー?ここに比べるとカッシミウ……と言うかペンズベリー王国はもっと自由で賑やかな雰囲気が良いですよね?確かに、あまり住みたいとは思いませんねー」
2人は詰め所からの見張りの視線を程よく無視しながら大通りを歩く、馬を引きながら……
「この街の雰囲気が辛気臭いのは、それは王家を筆頭に敬虔な教会信徒が圧倒的多数なためよ。そして…この先に見える城壁の入り口の左に建っている大きな建物が教会」
街に入ってからまだ幾らも歩いてはいないのに、はるか先の城壁の横に視界の中では一番高い建物が見えている。
「あそこに…テーミスがいるのですね?」
トリィアはまだ姿も見えないテーミスを嗅ぎ分けようとする肉食のケモノのように教会を見据える。
普段は決して見せないトリィアの牙がちらりと光った。
「逸ってはだめよ?トリィア。今はテーミスの正体を少しでも明らかにすることに集中しましょう。まずは、宿に落ちつきましょうか?」
中央の通りに面した大きく目立つ宿、最近増えてきたホスペス(ホテルの原型)のルースはエルセーがここを訪れた際の定宿らしく、土地勘のある彼女の勧めに従った。
「お、おおー?まるで貴族のお屋敷みたいです…けれ、ど……?改めて思いますけど大お姉様のお屋敷は本当に凄いんですね?」
「やっと正しい認識を持ってもらえて良かったわ」
このホスペスの内装も贅沢なものだが、小ぢんまり感は否めない。マリエスタの家は大きさもグレードも王族の自宅としても遜色のない屋敷なのだ。
「それじゃあお部屋はどーんと……」
トリィアは期待を込めて部屋のドアを開けた。
「ううん、なるほど…綺麗でちょっと贅沢ですけど…普通でした。大お姉様のところの客室の方がやはり凄いです」
「あまりマリエスタの屋敷と比べないほうがいいわよ?あれと肩を並べられるのはそうねえ…広い所領のある公爵以上かしら?そういえば初めてマリエスタの屋敷を訪れた時にあなたは少しも騒がなかったわね?」
「それはもう…っ、お屋敷を見た瞬間から驚いていましたよっ、でもお会いする前から大お姉様は謎めいた方でしたし、驚こうにも使用人の方達の目がありましたし、何より大お姉様とお会いしてからはあの大きなお屋敷に住んでらっしゃる姿にまったく違和感を感じなかったので、自然と受け入れてしまいました」
「あの人はどこででもすぐに女王様になってしまうもの、油断して気を許しているとすぐに取り込まれてしまうわよ?」
「う…たしかに……気がついたらエルセー様のわがままを自然と受け入れています、恐ろしい……」
そんなエルセーを拒めるようになれば極みに達したと威張れるかもしれない。
「あ、お姉様、ついたての裏にバスタブが置かれていますよ。頼めばお湯を張ってもらえるのでしょうか?」
「でしょうね、都合が良いわ」
他にも出入り口が複数ある点や、教会までの距離、脱出ルートの確保のし易さなど、さすがにエルセーが勧めるだけあった。
さらに今朝別れる際には……
「レイ、ボーデヨールに入ったらこのお金を使いなさい。分かっているとは思うけれど、絶対に両替したり、ペンズベリーのお金は使わないようにね?」
「はい、私もエルセーに両替をお願いするつもりでした」
「両替なんて必要ないわ、これを持って行きなさい。とにかく他の国のお金を見せると目を付けられるかもしれないから……」
「分かりました、このお礼はまた別の形で、ありがとうございます」
「そういうこと言うとお、後が怖いわよ?くす……」
エルセーはそう言って多すぎるお金を置いていった。
「ここでしばらく様子見ですか?」
「そうね、気付かれないように監視をしながら、色々と探っていくつもりよ」
まずテーミスの顔も分からなければ、居場所も分からない。どの程度警戒していて罠を張っているかも分からない。
そして、それを外から知る方法が無いとすれば、危険を犯して踏み込んで調べるしか情報を得る術が……無い。
どんなに優秀な狩人であっても獲物を見つけなければ、狩りにはならないのが道理で、作戦など到底立てられるものではないだろう。
「もっと時間を掛ければ他にもやりようがあるのだけど…」
はたしてテーミスは生き返ってどれくらいの時間が経っているのか?
何の噂もたてずにどうやって暮らしてきたのか?
自慢好きな教会を誰が抑えていたのか?
そして、影に徹する方法を自身で思いついたのか?
テーミスを放置しておく危険は十分に理解できるが、ウレイアはそこから調べるべきだと思っていた。
「トリィア、ここでは常に一緒に行動しましょう」
「常にですか?分かりました、それでは…」
「!、外出する時は、という意味です」
トリィアは先に釘をさされてひどく落胆した顔を見せた。
「おねえさまー?それでは会話のやり取りが出来ないではないですかー。私が馬鹿を言ってぇ、それをお姉様がやっつける!それがコンビですよ?パートナーですよ?」
「…な、何かしら、私が悪いのかしら?ごめんなさいね…?」
「おお?まさかの返し。いえいえ、私にしっかりと付いてきて下さい」
トリィアは自信ありげに胸をとんと叩く。
「それで?あなたに任せれば私たちは道化になれるのかしら?」
トリィアの頰を両手で挟むと、かるくこね回した。
「んふふふん…お姉様が顔をほねるのは大お姉様の直伝らったのれすねー?」
「う…」
そんなことを言われると、急に気まずくなって手を止めた。
「分かりましたっ。今度セレーネの顔を捏ね回してやります。大お姉様ばりに!」
「ん……まあ…手加減してあげなさい。そうそう、それよりも店が閉まる前にちょっと買い物に出ましょうか?」
「買い物ですか?行く行く、行きます!」
ウレイアには少し試したいこともあって、散歩がてら買い物に出ることにした。ここに来る途中の店はほぼ頭に入っている。
「それで?何を買うのですか?」
「あなたの好きそうな食べ物と、あとは…この店ね」
「ええ?」
宿の周りを確認して買い物を手早く片付けると、すぐに宿に戻ってきた。
正面の入り口は複数の兵士に詰め所から見られてしまうが、裏の出入り口には隙がありそうだ。
「あのう、まさかここでお料理をされるのですか?お鍋に焚き付けまで買ってきて…」
ウレイアは買ってきた鍋を暖炉の前に置くと、焚き付けを少し鍋の中に入れた。
「まあこの暖炉の煙でも構わないのだけど、鍋の中で漂う煙の方が分かりやすいでしょ?」
力で焚き付けに火を点けるのは簡単なことだ。当然鍋の中には煙がゆらゆらと溜まっていくと、それを見てトリィアもウレイアの意図に気が付いた。
「ああっ、もしかして!」
「言ったことがあるでしょう?私は実感が得られない技は覚えづらいって、これなら空気の動きを目で見ることができるのよ。それに、鉄は切れないのならこの中で試せば安全でしょう?やってみる?」
「もちろんですっ。さっすがお姉様、これならどのくらい進歩しているかも一目で分かりますね」
ウレイアはうなずいた。せっかくケールが残そうとしてくれたものだ、何とか自分達のモノにしたいと思っていた。
それにただぼうっと部屋で暇を持て余すより、余程有意義に時間を使えるというものだ。
「いつものことながら、出来たと思えた時には思うままに扱えるでしょうけど……」
「あ、でも私が使わせてもらって良いのでしょうか?」
「もちろんよ、さすがに遠距離監視と一緒には練習できないし。でもあまりこんを詰めないようにね?急に動かなければいけない事もあるかもしれないから」
トリィアは椅子を暖炉の前に据えた。
「分かってまーす。それにあくまでリラックスですよね?」
「そう、何らかの干渉は出来るでしょうから要は形のイメージが整えば…」
「本当だ!今まではどんな風に『触れて』いるのか分からなかったけど、これなら分かります。まあでも、やはり感触めいたものは感じられませんが……それにこれを何も目印の無い中空で行うというのは…」
(トリィアがこの技を使いこなせるようになれば、私と対等以上の攻撃力を得られるかもしれない。そして、この静かで殺傷能力の高い技ならば…)
「あはは、くるくる回すのは簡単ですよ、お姉様ー。お姉様……?」
「んん?ふふ、頑張らないで頑張りなさい」
「頑張らない?うん、そうですよねっ。じゃあとにかくもっとこう…ぺたんこにしないと………」
きっとトリィアは遊んでいるうちに使えるようになるだろう。そうすれば同族との…たとえば自分との戦いにおいても強力な武器になる。そんなウレイアの悲しい覚悟をトリィアは知らない。
そしてこの技の応用は、ウレイアにとっても今の攻撃力をさらに強力なものにする可能性を秘めている、そう思っていた。
トリィアはアドバイスに従って、玩具で遊ぶかのようにケールの技を会得しようとしていた。飽きては放って、思い出したようにまた遊ぶ。ウレイアも監視を少し中断しては横入りして、トリィアと一緒に楽しんだ。
「確かにね……揺らすくらいは前からしていたけれど、要点は刃としてイメージ出来るかどうかね?かわいい竜巻は作りやすいけど」
「ケール様は『固くする』なんておっしゃってましたけど、感触も無い空気を固めるって……?だから押し固めようとしてもどうも上手くいかないのですー……!」
(私がケールの記憶と感覚を自由に引き出せることが出来れば苦労はしないのだけど……それに出来たとしてもそれはケールと私の人格が混ざり合って、今の自分を保てるかどうかは予想出来ないし、なにより気分的に気持ちが悪い)
「薄くて丸い『ヤイバ』というのが問題ね…切れるイメージも湧かないし、回転して順に刈り取っていく事象とは矛盾しているような気もするし……」
「でもケール様は簡単そうに見せてくれました」
「まあね、あくまで本人がイメージしやすければ良い話だから。あ……いっそのこと使い慣れた鋼糸をイメージしたらどうかしら……?」
「ああっ…なるほど!なら、『薄く固く』では無くて『細く硬く』ですね、それを一瞬で回せれば私が見たイメージ通りですっ」
ポンと手を叩いたトリィアだったが、すぐに鍋を覗き込んだりはしない。まずはイメージを固めようと空を見つめている。確信は無いが自信に満ちたトリィアの顔を見れば後は時間の問題だろう。
(わたしは私で、使い方を考えなければね……)
翌日は十分に人の往来が増えるのを待ってから何らかの情報を得るためにボーデヨールの観光をすることにした。
その出かけに……
「お姉様っ、私にも『監視』の加減を教えて下さい。ここへ来てからお姉様ひとりに監視を押しつけていては、申し訳なさすぎます!」
ボーデヨールに入ってからはトリィアには力を使うことを制限してある。万が一にも自分達の気配を気取られないよう細心の備えが必要だからだ。
しかし、実はトリィア自身がそう言ってくれるのをウレイアは待っていた。
「そうね…加減自体は難しいことでは無いのよ?大切なのはそう……それじゃあ、この人差し指を見て。本物の目でね」
ウレイアは右腕を真横に軽く伸ばして人差し指を立てた。
「指から目を離さずに視界の中にある私の顔を見て。口の動きが分かるかしら?ただし、あくまで集中すべきは人差し指よ」
「ううん…何とか分かります」
続いて左腕を同じように逆に伸ばしてこぶしを作った。
「視界はこれくらいかしら?一瞬だけ左手の指を立てるから何本立てたか答えてね?」
「ええ?」
「はい!」
2本指を立てるとすぐに握り直す。するとトリィアの視線が見逃すまいと僅かに動いた。
「あら?視線がつられたわね?つまりは一瞬でも左手に集中してしまったでしょう?この左手はテーミスよ、今の一瞬であなたの監視に気付かれたかも…私なら間違いなく気付いていたわ」
「は…っうぅー……」
トリィアはがっくりと肩を落とした。
「どんなに予期しないことが起きても、僅かでも心を波立たせてしまっては相手に気付かれてしまうかもしれないわよ?監視をわざと希薄にしたり、ナニにも注視しないようにするのは簡単だろうけれど、それを保ち続けるのは中々難しいことなのよ。失敗できない状況では特にね……」
「み、未熟ですっ!鼻垂れのおばかさんです、一体ここへ何しに来たのか………それにしてもお姉様ったらっ、嫌味なほど分かりやすいったら……」
思った以上にショックだったのか、くしゃくしゃと崩れおちる。
「仕方がないわね……少し、練習してみる?」
「くぅー、はいっ、お願いします!」
こぼれる悔しさをすすると、立ち上がってぐぐっとウレイアに迫って来た。
ワントライは一瞬のこと、短い時間でも百回か二百回か、神経をすり減らす練習にトリィアがぐったりしてきてもウレイアは手を止めない。
そのうちに程よくトリィアが抜け殻のようになってきたところで、
「さんぼんー」
「はい!」
「い、いっぽんー?」
「うん、いいわよ」
「はえ?」
ぼんやりとうつろな目で瞬きしながらウレイアの顔を見た。
「大分疲労と倦怠感でちょうど良く散漫になってきたわよ。そのまま…その感じを保ったまま今すぐ外を見てみなさい、もうひとつの『眼』でね」
「ふう……」
トリィアはウレイアにもたれかかると目を閉じて外へと意識を拡げた。
「はー?ぼやけているような、景色がぺたっとしているような…」
「そのままよ、人も動物も景色の一部にして意識しないようにね」
ひとつのことに捉われずに全体を見ることで新しい視野と認識に気付く。
それはウレイアが教えた『触れて視る』ことに馴染み、脳を強くしてきたトリィアの努力がちゃんと礎となっていた。
「あ、ああ……っ、見るともなく見ていると、沢山の人がそれぞれ何をしているのか同時に分かりますっ!」
「そう、それが『遠目の目付け』よ!全てを同時に見ること、集中して見るより実は多くのことが分かるし、戦う者が生き残る為にも必須の能力よ?馴れると何かを集中して見るより楽だし、普段から自然と出来るようになるわ、本物の目で見ている時でもね?」
途端にトリィアは元気を取り戻したようで、手に入れた文字通りの新たな『眼』が逃げていかないように、自分の身体に刻み込もうとしていた。
「そうか!同時に観ていると突然何かが起きても動じようが無いんですね?」
「それもそう、しっかりと覚えればあらゆる事に役に立つことだから忘れないようにね?」
「はい、分かりました。それに、お姉様が見ている世界にまた少し近づけたように思えて嬉しいですっ」
特に360度見通せる彼女達が使うことで、敵に囲まれた時にも、同時に攻撃を受けた時にも、考えるまでもなく体が自然と対処してくれるようになる。
「これなら、お姉様のお役に立てるかもしれませんね?」
「うーん、そうねえ、じゃあまずは身の周りの監視を任せるわ。それで慣れていきましょう?」
「分かりましたっ、任せて下さい!」
(より広く私が先にチェックしていれば問題はないでしょう)
「それと、これは私達でもままならないことだけど…」
「はい?」
「パーソンズのことを思い出せば分かると思うけれど、一度私達と対峙したことがあると、感の良い人間は私達を判別できることがあるでしょう?もっとも彼の場合はそれまでに磨いてきたモノもその動機も特別だったでしょうけれど」
「あー、エキドナさんとは会えたのでしょうかねー?まあでも、私達を見つけた時も半信半疑でしたよね?どちらかと言うとお姉様から自己紹介したようなものでは?」
ううむ、やや薮蛇ではあった。
「そ、そうね…そうかもしれないけれど、神兵にしてもテーミスにしても、私達に関わっていそうな者は要注意ということを言っておきたいのよ」
「もちろんっ、分かってます。はなから無視することも、あくまで平常心でシラを切り通すということも。それでも面倒になりそうなら忘れるように命令します」
さすがにそのあたりはウレイアと行動を共にしていれば自然に身に付いているようだ。それを行うだけの『力』もトリィアは既に備えている。
「そう、ならもう言うことは無いわ。行きましょうか?」
「はい、お姉様」
でもその前に、外に出るついでにウレイアは宿の従業員に声をかけてみる。
「いいかしら?」
「はい?」
「この街は路地に入ってしまうと随分複雑なようだけど、地図のようなものはあるのかしら?」
「はあ、残念ながら無いですよ。まあ、あまり大通りから離れず、迷った時は詰め所の兵士に聞くのが正解だと思いますが……」
「そう」
(まあ、本拠地である城塞の地図が出回ることを許すはずもないか)
さて、はたして何を見つければ良いものか?こんな時、隠れた獲物を誘い出すには相手の好物をちらつかせ罠を仕掛けるのが手取り早いが、相手に教会までも含めるとなると後で面倒が残りそうな手は使えない、なら……
「何か面白いものがありませんかね?目的もー特にありませんよね?」
「このまま、距離はあるけど教会の方まで行ってみましょう」
それにしても静かな街だった。
まあ雰囲気が暗いわけでは無い。しかし大通りだとゆうのに客を呼びこむ呼び子の声も無い、クスクスと談笑はしていても大声で笑い合う者もいない、とにかくトリィアは物足りなさを感じていた。
「別に不自然では無いんですけどね?人も多くて活気もあるのに意力を感じ無いと言うか、頑張るぞっていうエネルギーを感じないというか?」
「粛然たる営みが美徳や知徳だと教えられているのよ……けれど、自分をコントロールすることと飼い慣らされることは違うと思うけどね?」
そのように取り繕っているだけの者もいるだろう。だが、この街の人々の多くは日々黙々と仕事をこなし、淡々と生活を繰り返し、神と国と、そして最後に自分のために生きている。
それをウレイアはいちいち否定するつもりは無いし、他人がどう生きようと興味も無い。それが本当に自分の望みであるなら良かったねと頭を撫でてあげてもいい。しかし……
「牙を抜かれたんですかね?あるいは骨を抜かれたのでしょうか?」
「或いはその両方か…ただ、そのことに気付いてさえいないかもね?依存していれば楽だしそれが普通だと思い込んでしまうもの」
そんな街並みを眺めていても、わくわくするようなものは見つかるはずもない。
大好きな本屋を覗いてみても、棚に収まっているものは都合の良い哲学書か啓発本、一番目立つ場所には教会が発行している書籍が並んでいた。あとは王家や街の歴史書、童話に伝記、エトセトラ、エトセトラ…
「いびつね…」
「はい?」
「ただでさえ本は高価な物なのに…とんだ無駄遣いね。行きましょう……」
ウレイアはこの街に興味を失ったように歩き出した。
この街は牧場だっ、迷わぬ子羊を量産するための。飼われた羊は外の世界を知っても群れに帰ってきてしまう。そして牧場であるなら牧場主は何よりも利潤を追求しているものだ、何よりも優先的に。
「まあ、街も人も『不幸では無い』という感じでしょうか?『楽しくも無い』みたいですけど……」
「!、まあ、あなたも辛辣ね、トリィア?」
「え?あの、批判したつもりは無いのですが?」
「ふふ……」
大通りは円形広場を挟んでそのまま城壁内へと続いているが、そこからは検問を通らなければ先へ進むことは許されない。とは言え、今は城壁内には用事も無いし、見上げる城壁よりもその存在を誇示しているのは、そのすぐ横にそびえるボーデヨールの教会である。
ウレイアが知る中でもこの教会は、建物の規模や見上げることに苦労する程の礼拝堂の高さにおいても、他に類を見ない最大の教会だった。
この教会を初めて目にしたトリィアも、見るものを威圧する巨大な建物に驚きを隠せないようだった。
「こ、これはまた…なんて、ばかばかしい大きさですか?」
広場を正面にした大聖堂は、50メートルはある広場の幅いっぱいに建っているが、城壁に沿って続く敷地の奥行きは、見通しただけでは端を確認することができない程だ。
「トリィア、聖堂の入り口の上に名前が彫られているでしょう?」
「え?名前?」
見上げていたトリィアは礼拝堂の屋根から目線をゆっくりと落としていくと、この聖堂の名前が入り口に刻まれていた。
「!!」
「聖カタストレ…カコー…だいせいどう…えっ?あのカタストレですかっ?」
同属であってもその名前の主がどのような人物だったのか知る者は殆どいないだろう。しかし2人は知っている。ウレイアの師も、そのまた師も、彼女達の忌み名の名付け親だと知っている。
『魔女』と………
「お姉様…こんなところに、こんなところでこの人の名前が祀られているなんて…っ」
「そんな顔で睨みつけてはダメよ?」
ウレイアも憤りが無いと言えば嘘になる、しかしカタストレの物語を語って聞かせれば誰もが言うだろう……
娘をさらって死ぬまで拷問を続けた、ケールが悪いと。
「さて、入りましょうか、『力』を使ってはだめよ?」
「え?本気ですかっお姉様?」
ウレイアも教会の中には入ったことが無かった。しかし驚くトリィアにうなずきながら
「入る時と礼拝堂では祈りを忘れずにね?ただ…祈りはあなたの神か、あなたの信じるモノに捧げなさい」
「でも中に入るのは危険なのでは?」
「ここまで来たら中も外も一緒よ。それに、祈らずに帰るほうが不自然じゃない?」
「あ、ううん…そう言われると……」
それにウレイアには、たとえ気付かれたとしてもここでは襲われないという確信があった。
かのカタストレの名を前にトリィアは祈るように小声で悪態をつく。
「カタストレを祀るなんてさすがは厚顔無恥な教会です。お姉様に酷いことをしておいていい気になっていられるのも今の内だと思いなさい…?」
「凄い祈り言ね?」
教会はどこも同じ様に作られている。正面の入り口から入ると礼拝堂に至るまでは陽の光が入らぬように薄暗く質素な空間を演出し、暗闇に目を凝らしながら目が慣れた頃に礼拝堂に足を踏み入れると……
天井や壁の窓から精一杯取り込んだ陽光が祭壇の周りを照らし出し、純白の漆喰の壁や金箔をあしらった彫像と装飾品を輝いて見せるように計算されている。
「お姉様っお姉様、凄い天井ですよっ?」
トリィアの上擦った声に同じように倒れんばかりに天井を仰ぎ見ると、梁で支えられたドーム天井にはステンドグラスがはめ込まれていて、七色に色付けされた光が瞬きながら降り注いでいた。
「不思議ね…これだけ贅沢なモノを見て、信者は何の疑問も抱かないのかしら?」
「圧倒されて考えるのを忘れちゃうんじゃないですか?」
「そう?」
ウレイアは他の信者の真似をしてやや外れたベンチに腰を掛けると、祈るフリをしながらすぐに辺りを探り始めた。
見えない霧の様にウレイアの意識の『手』が床を撫でながら広がって行く。もし同族であれば、体の一部に触れるだけでも区別は出来る。
そして教会に同族がいるとすれば、それはテーミスである可能性が一番高いのだ。
「もしかして、もう始めてますか?」
「ええ」
トリィアが気付かないのであれば、まずテーミスに気付かれることも無いだろう。
ウレイアの『手』は礼拝堂を抜け、廊下を拡がり、次々と地図をつなげて行きながら、大聖堂も抜け出し他の建物にも流れ込んでいった。
「部屋数が多いわね………んっ!」
「何か見つかりましたか?」
地下へ続く階段がある。ウレイアはためらうこと無く、地下へと滑り込んだ。
廊下の左右には幾つかの部屋が大小造られていて、倉庫、書庫、奥には石櫃が祀られている部屋もあるが、教会では珍しいものでは無い。
基本的には人が出入りするような場所では無いようだ。
ただウレイアは拷問部屋が見つからなかったことに少なからず安堵した。
「ふう…何も無いわね」
広い敷地も思ったほど建物は建て込んではおらず、敷地内の奥の方へ行けば、住居棟も数多く建てられているが、テーミスか、またはその痕跡と分かるモノを見つけることが出来ない。
そしてそのまま、擁壁を越えて、裏道に出てしまった。ウレイアが顔を上げると
「どうですか?」
「ふう、あなたも好きに視ていいわよ」
トリィアは緊張が抜けると同時に残念そうな顔を見せた。
「では一体どこに?」
これもエルセーの言葉から予想はしていたが。
「今は外出しているのかも知れないけれど、もっと街を丁寧に探るようかしら?面倒だけど……でもそこまでは既にエルセーが済ましていると思うけれど……」
「はぁー、アハハ、なんか…力が抜けちゃいました」
トリィアの手を握ると、小刻みに震えている。きっとここに来てからの強気な言葉も、強い緊張から虚勢を張るしかなかったのだろう。そして
「?!、え、お姉様の手も……?」
もっともトリィアとは理由が違う。
ウレイアはトリィアの手を強く握り直すと、囁くように語った。
「少し、昔話をしてあげる……この教団はね、更に遠く西にあるベラデリックと言う国で生まれたと聞いているわ……」
「それまでの社会は…宗教や神などの崇める対象というのは、王族などの権力者が決めていたものだけど…開祖は頭が良くて人心を掌握することに長けていたのでしょうね……この教団は貧困層を取り込んですぐに王権を揺るがすほどの影響力を持つと、遂には国教となって権力と後ろ盾を得たのよ」
すぐにトリィアが疑問を投げ返してくる。
「国と不和は無かったということでしょうか?そうなるとよく聞くのはクーデターですけど…教団は王族を倒し、国を奪うようなことはしなかったのですか?」
「そこが頭の良いところなんだけど、国は奪い奪われることがあるけれど宗教を奪うことは出来ないでしょう?そうやって領土では無く、他の国の民でも心を奪うことで教団は権力を強めていったのよ、教団と共生関係となったベラデリックもね……」
さすがにウレイアは教団の事をよく調べ上げていた。しかしそんなトリビアをわざわざウレイアが語るのは何か理由がある筈だ。トリィアは聞くべき事が語られるのを待った。
「そんな時に教団とカタストレは出会ったのでしょう……」
と、やはりこれまでは前振りであったようだ。
「私はねトリィア…カタストレにされたことは当然なことだとも思うけれど、もしかしたら彼女は苦痛を訴え泣き叫んでいた只の子供だったんじゃないかと思っているの」
「?」
「おそらくは孤児で貧しく無教養だったはずのカタストレにこんな事は想像できなかったと思う。きっと使える材料だと彼女に目を付けた教団は、カタストレを聖女とかつぎ上げ、私達を忌まわしき名で呼び絶対的な人間の敵を作りあげた」
「!」
「思惑通りにその後の教会が最も勢力を拡大するきっかけになった、『魔女狩り』よ。信者以外も巻き込み、人の敵、悪魔を討つ正義をプロパガンダに派手な宣伝に打って出た」
「目論見は大成功、教団は多くの新たな信者と名声…更なる権力と莫大な富を手に入れた。でも、確かにたくさんの同族が殺されたでしょうけれど、大量に虐殺された者の殆どは…ただの人間達、人々を熱狂させるための生贄よ」
「……この度が過ぎた絢爛な教会はね…虐殺された累々たる死者のおびただしい数の骨を積み上げ、血で塗り固めて築かれた、悪趣味で禍々しい魔窟なのよ……」
トリィアが改めて教会を見渡すと、信者が祈りを捧げている。その姿も今となっては虐殺された亡者たちへの鎮魂の祈りに見えて仕方がなかった。
「まあ、普通に考えれば大勢の人たちが理不尽に殺されたことに怒りを覚えるのかもしれない…けれど、私が許せないのはね……」
ウレイアは握った手に自然と力を込めていた。
「その死者の列の中に…私の父と母が、そして私も並ばされたことよ」
「!!っ、お姉様…!」
「私にとって教会という魔窟はね、両親の魂が囚われた霊廟。そしてここにいる間は、私もその列に並んだ亡者のひとりになる……」
平静を装っていたのはウレイアも同じだった、トリィアはその手を強く握り返すと
「おねえさま…お姉様!、もう出ましょう?そんな思いをしてまでここにいる意味なんかありませんよっ!」
「そうね、見るものも見たし、出ましょうか……」
トリィアはウレイアを気遣いながら寄り添うように教会を出た。
そしてため息まじりにウレイアがつぶやいた。
「どこかの王族を根絶やしにすることなんかわけも無いことだけど……さっきも言った通り、これほど根付いた宗教を滅ぼすことは本当に……難しいわね」
「それは…ケール様から始まって、もしかしたらオネイロ様、エルセー様、そしてお姉様と続く私達の悲願なのですね?」
その問いにウレイアは笑って答える。
「まさかっ…私の個人的な感情よ」
「いえ、秘めた理由は違っても、目的は同じだと思います。何よりそれが、私達が名乗りをあげられる世界を創るための条件のひとつだと思います」
「トリィア……でもね、あなたまでそんなことを背負う必要はないのよ。あなたは、あなたのしたいこと見つけなさい…ね?」
「はい、お姉様の望みを私は叶えたいです」
「いえ…だからそうではなくて……」
ウレイアはこの娘を自分の復讐に巻き込んで、トリィアの人生の1分たりとも犠牲にさせたくは無い。
「でも、そんな大業を為せるとしたら、私にはお姉様以外の人が思い浮かばないんですよねー?」
「!、……まったく、ずっと指を咥えているだけの私に、無茶を言ってくれるわね?」
「慎重だけど、腹黒くて狡猾で大胆、そしてかっこいい。そんな人じゃなければ、こんな『化け物』を相手取るなんてできませんよ?まあ、わたしもちょっとはお手伝いしますけど?」
「言ってくれるわねっ……」
トリィアの頭をぽんと叩いて髪を撫でる。
「それじゃあいつか、そんな姿を見せてあげられるように、精々頑張るわ」
ウレイアは辺りを見回すと、街を探索するために適当な路地を選んで入りこんだ。




