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旅に出るまでが長すぎる  作者: 道草ねこ


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第4話 帰宅

 

 四日目の朝。


 信夫が目を覚ますと、見慣れない天井があった。


「……どこだ、ここ」


 隣を見ると、芳江がいた。


「なんでお前がいるんだ?」


 芳江は目を開けた。


「おはようございます」


「ああ、おはよう」


 信夫はもう一度部屋を見回した。


「ここ、どこだ?」


「大宮ですよ」


「大宮?」


「昨日、あなたが大阪へ行くつもりで大宮まで行っちゃったでしょう」


「ああ……そうだったか」


 信夫はしばらく考えた。


 やがてカーテンを開け、外を眺める。


「せっかく大宮まで来たんだし、どこか見に行くか」


「行きません」


「なんでだ?」


「忘れたんですか?」


「何を」


「大阪に行くんですよ!」


「ああ」


 やっぱり忘れていた。


「観光してる場合じゃありません。親戚のところへ行くんでしょう?」


「今日だったか?」


「一昨日から行く予定です」


「そうだったな」


 信夫はベッドから立ち上がった。


「じゃあ行くか」


 そのままドアへ向かう。


「ちょっと待ってください」


「なんだ?」


「その格好で行くんですか?」


 信夫は自分を見る。


 ホテルの寝間着だった。


「これじゃ駄目か?」


「駄目に決まってるでしょう」


「新幹線くらい乗れるだろ」


「乗れるかどうかの問題じゃありません」


 芳江は信夫を部屋へ戻した。


「ちゃんと着替えてください。それに、まだ朝ご飯も食べてませんよ」


「向こうで食えばいいだろ」


「昨日から何回それで時間を無駄にしてると思ってるんですか」


 結局、二人はホテルで朝食を済ませた。


 今度こそ身支度を整え、大宮駅へ向かう。


 大宮から東京へ。


 そして東京駅で、今度は芳江が一緒に大阪方面の新幹線まで連れていった。


「これなら間違えようがないですね」


「最初からこうすればよかったな」


 信夫が何気なく言った。


 芳江は夫を見た。


「……誰のせいで大宮まで行ったと思ってるんです?」


「もう済んだことだろ」


「昨日のことですよ」


 二人で新幹線に乗る。


 今度こそ大阪方面だった。


 芳江はようやく少し安心した。


「私は静岡で降りますからね」


「お前、大阪まで来ないのか?」


「私は家に帰りますよ」


「せっかくここまで来たのに?」


「ここから家に帰るんです」


「そのまま大阪まで来ればいいじゃないか」


「何で私まで行くんですか」


「別にいいだろ」


「よくありません」


 芳江は念を押した。


「静岡に着いても、あなたは降りないでくださいね」


「分かってる」


「私は降ります。でも、あなたはそのまま乗っていてください」


「子供じゃないんだから」


「昨日、大阪と大宮を間違えた人が言わないでください」


 新幹線は順調に走った。


 やがて静岡に到着する。


「じゃあ、私はここで降りますから」


「ああ」


「あなたはそのままですよ」


「分かったって」


「絶対ですよ」


「しつこいな」


 芳江はホームへ降りた。


 これで大丈夫。


 今度こそ信夫は大阪へ向かう。


 新幹線が発車する前に、窓越しにもう一度手を振っておこう。


 芳江は信夫が座っているはずの席を見た。


「あれ?」


 誰もいない。


 隣の席も見る。


 やはりいない。


「どこ行ったのかしら」


「誰探してるんだ?」


 すぐ後ろから声がした。


 芳江は振り返った。


 信夫が立っていた。


「……なんでいるんですか?」


「お前が降りたから」


「私は家に帰るんです!」


「そうだったか?」


「あなたは大阪でしょう!」


「ああ、そうだった」


 その瞬間、扉が閉まった。


 二人の目の前で、新幹線がゆっくりと動き始める。


「あ……」


 信夫が言った。


 新幹線はそのままホームを離れていった。


 芳江は無言で夫を見た。


「まあ、次があるだろ」


「そういう問題じゃ……」


 そこまで言って、芳江は何かに気づいた。


「あなた」


「なんだ?」


「荷物は?」


「荷物?」


 信夫が自分の両手を見る。


 何も持っていない。


 二人は同時に、走り去った新幹線を見た。


「…………」


「…………」


「バッグ、車内ですよね?」


「そうみたいだな」


 人間は静岡で降りた。


 旅行鞄だけは、予定通り大阪方面へ向かっていた。


「荷物の方がちゃんと大阪に行ってるじゃないですか!」


「優秀だな」


「感心してる場合ですか!」


 二人は駅員のところへ向かった。


 事情を説明する。


 乗っていた列車と座席を確認し、忘れた旅行鞄について調べてもらうことになった。


 荷物は次の停車駅で確保してもらえることになったが、すぐに手元へ戻ってくるわけではない。


 待つしかなかった。


「腹減ったな」


「またですか」


「もう昼だぞ」


 芳江が時計を見る。


 本当に昼を過ぎていた。


 昨日は大宮。


 今日は静岡駅で荷物待ち。


 大阪はまだ遠い。


「……何か食べましょうか」


「そうするか」


 二人で昼食を取った。


 その後もしばらく待ち、ようやく旅行鞄を受け取れる手配がついたころには、かなり時間が経っていた。


「よかったですね。荷物が見つかって」


「ああ。これで行けるな」


「今からですか?」


「駄目か?」


 芳江は時計を見た。


 そして信夫を見た。


 もう自分も疲れている。


「一度、家に帰りましょう」


「帰るのか?」


「帰ります。少し休んでから考えましょう」


「そうするか」


 結局、二人はまた自宅へ戻った。


 玄関を開ける。


 芳江は何とも言えない気持ちになった。


 昨日は大宮まで行った。


 今朝も大宮から出発した。


 東京まで戻り、新幹線にも乗った。


 なのに今、自宅にいる。


「なんだか随分旅したな」


 信夫が言った。


「全部間違って行っただけです」


「でも大宮まで行ったぞ」


「大阪には一度も近づいてません」


「今日は静岡まで来ただろ」


「ここが家なんです!」


 信夫はソファに座った。


「疲れた」


「私もです」


「ちょっと休む」


「また寝るんですか?」


「少しだけだ」


 信夫は横になった。


 芳江は嫌な予感がした。


「先方、待ってますよ」


「大丈夫だ」


「何が大丈夫なんです?」


「先方は逃げたりしない」


「それは知ってます。あなたがいつまでたっても着かないから心配してるんです」


「でも俺、もう十分旅したと思うんだが」


「だから、全部間違って行っただけです!」


「旅は旅だろ」


 信夫は目を閉じた。


「次の電車まで少しあるんだろ?」


「調べてもいないでしょう」


「起こしてくれ」


「昨日も一昨日も聞きました、それ」


 数分もしないうちに、信夫は寝息を立て始めた。


「もう……」


 芳江は時計を見る。


 まだ今からなら大阪へ向かうことはできる。


 信夫を起こそうとした。


「あなた。そろそろ起きてください」


 反応がない。


「あなた?」


 揺すっても起きない。


 もう一度時計を見る。


 芳江自身も朝から大宮を出て、東京を経由し、静岡まで戻り、駅で荷物の手続きをしていた。


 さすがに疲れた。


「少しだけ……」


 芳江もソファに腰を下ろした。


 少し休んでから起こせばいい。


 そう思った。


 次に目を開けたとき、部屋が薄暗くなっていた。


「……え?」


 芳江は時計を見た。


 午後五時を過ぎている。


「嘘……」


 横を見る。


 信夫はまだ寝ていた。


「あなた」


 反応がない。


「あなた、もう夕方ですよ」


「ん……」


 少し動いただけで、また眠ってしまった。


 芳江は時計を見た。


 窓の外を見た。


 そして、もう一度信夫を見た。


「……今日も駄目だったのね」


 不思議と怒る気にもならなかった。


 自分も疲れていた。


 今日はもういい。


 芳江は立ち上がった。


 冷蔵庫を見ると、夕食に使えそうなものがほとんどない。


「買い物行ってきますからね」


 信夫から返事はない。


 芳江は財布を持って家を出た。


 買い物を済ませて戻ってきても、信夫はまだソファで眠っていた。


「よく寝るわね……」


 芳江は少し笑って、台所へ向かった。


 けれど、夕食の支度を始めながら、ふと手が止まった。


 明日は大丈夫なのだろうか。


 いや、もう「明日こそ」と考えること自体が少し怖くなってきた。


 一日目は家から出られなかった。


 二日目は駅までたどり着けなかった。


 三日目は大阪とは反対の大宮まで行った。


 そして今日は、ようやく大阪方面の新幹線に乗ったのに、信夫まで静岡で降りてしまった。


 ここまで来ると、芳江にも一つの疑問が浮かんでくる。


 この人は、本当に大阪へ着けるのだろうか。


 もしかしたら一生、着けないんじゃないだろうか。


「……まさかね」


 芳江は自分でそう言って、少しだけ笑った。


 さすがにそれはない。


 そう思いたい。


 結局、四日目も大阪には着かなかった。


 というより、今日に限って言えば、旅行鞄だけが二人より先に大阪へ近づいていた。


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