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40代IT社長の俺がギャルゲーの悪役に転生したけど、主人公が頼りないので「大人の包容力」と「経済力」でヒロイン全員幸せにします  作者: 伊達ジン


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第3話 S&P500の憂鬱と氷の女王

 1999年4月12日、月曜日。

 新たな1週間の始まりは、抜けるような青空とともに訪れた。


 俺は、ハイヤーの後部座席で『ウォール・ストリート・ジャーナル』に目を通していた。

 紙面には、依然として過熱する米国市場の活況が踊っている。ヤフーやアマゾンをはじめとするドットコム企業の株価は天井知らずの上昇を続け、S&P500指数も最高値を更新する勢いだ。伝統的なバリュエーション指標は完全に無視され、「クリック数」や「ページビュー」といった実体のない指標で法外な企業価値が正当化されている。世間の投資家たちはこれを「ニュー・エコノミーの到来」と称賛し、誰もが米国株インデックスへの全力投資こそが絶対の正解だと信じて疑わない。


「……正気じゃないな」


 小さく息を吐き、新聞を閉じる。

 歴史は常に繰り返す。17世紀のオランダで起きたチューリップ・バブルや、1920年代の暗黒の木曜日に至るまでの狂乱。群集心理はいつの時代も同じ軌道を描き、最終的に破滅へと向かう。

 確かに今は上昇トレンドの只中にある。だが、この熱狂の宴は長く続かない。来年、2000年の春にはITバブルが弾け飛び、ナスダックは暴落する。もし今、S&P500などのインデックスに長期保有目的で全力投資すれば、その後10年間にわたって含み損を耐え忍ぶ「暗黒の2000年代」を経験することになるだろう。長期投資は勝者の基本戦略だが、エントリーのタイミングを間違えれば地獄を見る。

 俺のポートフォリオは既にディフェンシブ銘柄へのシフトを済ませてあり、市場の下落に備えたプットオプションも仕込んである。市場が焼け野原になった後、優良企業の株を底値で拾い集めるための強固なキャッシュポジションも確保済みだ。今は高みの見物といこう。


「到着いたしました」


 運転手が恭しくドアを開ける。

 降り立ったのは、都内屈指の名門校・私立桜花学園高等部の正門前だ。

 満開の桜並木が、新入生たちを歓迎するかのように薄紅色の花弁を散らしている。歴史を感じさせる重厚なレンガ造りの校門の前では、真新しい制服に身を包んだ生徒たちが、期待に満ちた表情で記念撮影に興じていた。

 かつてプレイしたゲームの舞台であり、俺の新たな高校生活が本格的に始まる日だ。

 周囲の喧騒をよそに、俺は1人、校門をくぐった。


 1年A組の教室は、初々しい緊張感と特有の喧騒に包まれていた。

 俺は指定された窓際の後方席に座り、周囲を観察する。クラスメイトたちは、これから始まる高校生活への期待に胸を膨らませて自己紹介を交わしている。

 ふと、教室の前方でひときわ騒がしい声が上がった。


「やったなマナ! 俺たち、高校でも同じクラスだぜ!」


 声の主は、人懐っこい笑顔を浮かべた茶髪の少年だった。彼の声は周囲への配慮を欠いており、読書に集中したい生徒たちが不快そうに眉をひそめていることに気づく様子もない。

 隣の席に座る女子生徒が、苦笑いを浮かべて相槌を打つ。

 日向翔太と、桜木マナ。

 俺の記憶にあるゲームの主人公にあたる少年と、のちに中心人物となる少女だ。


 翔太は屈託のない笑顔を向けているが、その瞳には相手の心情を察する深みがない。対するマナは、ハッとするほど愛らしい顔立ちをしていた。ショートボブの黒髪が健康的に弾み、丸みを帯びた瞳は愛嬌に満ちている。活動的な膝上丈のスカートとルーズソックスがよく似合っていた。クラスの男子の半数は、すでに彼女に目を奪われているだろう。だが、その表情は明らかに陰っていた。


「高校でもマナが一緒で安心したよ。俺、ネクタイ結ぶの苦手だしさ。これからも頼むな!」


 翔太は無邪気に笑い、マナの肩に気安く手を回そうとする。

 マナは反射的に身を引いた。


「翔太、近いよ。それに私、高校では自分のやりたいこと見つけたいから……」

「えー? マナのやりたいことって、俺の世話係だろ? 昔からそうじゃん」


 悪気のない、純度100パーセントの無神経。

 マナの眉間に、不快感の皺が深く刻まれるのを俺は見逃さなかった。

 彼女は実家の洋食屋を手伝うしっかり者だ。高校生になり、精神的にも自立しようとしている少女に対し、「世話係」というレッテル貼りは致命的だ。

 俺は声をかけることなく、その光景を見ていた。ゲームの物語においてはこの後、2人の仲睦まじい姿が描かれていくはずだが、現実のマナは翔太の幼稚さに疲弊し始めている。俺が介入するまでもなく、このまま放置しておけば関係が破綻するのは時間の問題だろう。


 ホームルームが終わり、新入生たちは体育館を兼ねた大講堂へと移動する。

 入学式は、重厚なパイプオルガンの音が講堂に響く中、厳粛な雰囲気で執り行われた。高い天井のステンドグラスから差し込む色鮮やかな光が、厳かな空間を演出している。

 理事長の退屈な祝辞が終わり、司会者が平坦な声を張り上げた。


「続きまして、新入生代表挨拶。西園寺玲央くん」


 名前を呼ばれ、俺は迷いなく席を立った。

 全校生徒の視線が背中に突き刺さるのを感じながら、壇上へと上がる。

 マイクの前に立ち、一礼。

 母・ソフィア直伝の姿勢と視線誘導で、講堂内の空気を掌握する。


「柔らかな春の日差しに包まれ、私たちがこの桜花学園の門を叩く日を迎えられたことを、心より光栄に思います」


 事前に渡された原稿には、希望に満ちた学園生活や友情の尊さといった陳腐な美辞麗句が並べられていた。だが、そんなものを読み上げるつもりはない。俺は会場全体を見渡し、自らの言葉を紡いだ。


「世紀末と呼ばれるこの時代、世界はかつてない速度で変革を続けています。IT革命による情報の民主化、グローバル経済の加速。私たちは、過去の常識や終身雇用といった前提が通用しない、不確実な未来へと足を踏み入れようとしています」


 講堂に響く自分の声を確かめながら、言葉を続ける。


「しかし、恐れることはありません。私たちに必要なのは、与えられた正解を丸暗記することではなく、変化に適応する柔軟性と、自ら考え行動する力です。この学園での3年間が、私たちにとって自らの未来を切り拓くための強固な礎となることを願い、挨拶とさせていただきます」


 単なる優等生の挨拶ではない。これから社会で実権を握るプレイヤーとしての宣戦布告だ。

 一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手が講堂を揺らした。女子生徒たちからの熱っぽい視線と、一部の男子生徒――特に翔太からの、得体の知れないものを見るような視線を感じる。

 俺は完璧な角度で一礼し、ゆっくりと壇を降りた。


 式が終わり、生徒たちが各教室へ戻るため廊下へと溢れ出した。

 俺も人の波から外れた廊下を進み、角を曲がろうとした時だった。

 不意に角から現れた女子生徒と、ぶつかりそうになった。俺は反射的に足を止め、相手が驚かないよう距離を取る。だが、その急激な身のこなしの反動で、ブレザーのサイドポケットに入れていた黒い革張りの生徒手帳が床に滑り落ちた。


「失礼。お怪我はありませんか?」


 顔を上げると、そこに立っていたのは、目を奪われるほど冷徹な美貌を持つ少女だった。

 艶やかな黒髪のロングヘア。日本人離れした彫りの深い顔立ちと、意思の強さを宿した瞳。隙のない制服の着こなしと、人を寄せ付けない鋭い眼差しが、彼女固有の気高さを醸し出している。

 胸元には生徒会役員を示す銀色のバッジと、「霧島」と刻まれたネームプレートが光っていた。2年生の先輩であり、生徒会副会長を務める学園の女王、霧島セイラだ。


 彼女の足元に落ちた生徒手帳に、彼女の白く細い指が先に触れた。華美な装飾を嫌う彼女のストイックな性格を表すように、マニキュア一つ塗られていない清潔な爪だ。


「……これ、貴方の?」


 鈴を転がすような、しかし氷のように冷ややかな声。

 彼女は生徒手帳を拾い上げると、表紙に印字された名前を一瞥した。そして、ふっと鼻で笑った。それは明確な侮蔑を含んでいた。


「……ああ、新入生代表の。先ほどの大層なご挨拶、いかにも御曹司らしくて立派だったわ。でも、いくら西園寺家だからって、廊下を我が物顔で歩くのはやめてくださる?」


 彼女は生徒手帳を、俺に突き返すように差し出した。

 その瞳には、富める者に対する強い嫌悪感と、彼女自身のプライドに由来する敵対心がはっきりと燃えている。


「不注意でした、霧島先輩」


 俺は感情を波立たせることなく、手帳を受け取り一礼した。

 事前に目を通した学園の出資者リストにあった名前だ。かつての名門華族だが、父親の無謀な事業失敗により没落の危機に瀕している家。彼女が成金を嫌悪する理由はそこにあるのだろう。実利を伴わない誇り高い彼女にとって、金で物事を解決するような存在は、自らの現状と比較して最も許しがたい対象なのかもしれない。


「以後、気をつけなさい。目障りよ」


 冷たく言い放ち、彼女は長い髪を翻して去っていった。

 その背筋はピンと伸びて美しかったが、触れれば折れてしまいそうな危うさを帯びていた。

 俺は生徒手帳をポケットにしまい、教室へと歩みを進めた。

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