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40代IT社長の俺がギャルゲーの悪役に転生したけど、主人公が頼りないので「大人の包容力」と「経済力」でヒロイン全員幸せにします  作者: U3


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第2話

  昨夜の「タケノコと青椒肉絲」の余韻も覚めやらぬまま、俺の朝は早くから始まっていた。




 場所は、港区の自室。 分厚い遮光カーテンの隙間から、春の鋭い陽光が差し込んでいる。 俺の目の前には、3台のCRTモニターが鎮座していた。画面に映し出されているのは、無機質なチャートと数字の羅列だ。




「……来たな」




 マグカップのブラックコーヒーを啜りながら、俺はニヤリと口角を上げた。 モニターの中央で点滅している銘柄コード『9984』。 ソフトバンクだ。




 世はまさにITバブルの絶頂期へ向かおうとしていた。 前世の記憶――桐生恒一としての知識によれば、この年、ソフトバンクの株価は伝説的な急騰を見せる。 インターネットという未知の怪物が、旧来の産業を食い尽くし、新たな帝国を築き上げる「大航海時代」の幕開け。




「今のうちに仕込めるだけ仕込む。元手なら、腐るほどある」




 俺はキーボードを叩き、成行注文を入れる。 母親の名義を借りた口座から、億単位の資金が電子の海へと投じられた。 これはギャンブルではない。未来を知る者だけが許された、確定した勝利への投資だ。 画面の中で数字が跳ねる。それだけで、サラリーマンの生涯年収ごときが数秒で確定する。




「……虚しい作業だ」




 俺はふぅ、と息を吐き、椅子の背もたれに体を預けた。 金は手段に過ぎない。俺が欲しいのは、金で買える「自由」と「平穏」、そして二度目の人生における「青春」だ。 チャートを閉じ、伸びをしたその時だった。




『Good morning, Leo.』




 インターホンも鳴らさず、リビングのドアが開いた。 合鍵を持っている人間など、この世に二人しかいない。一人は昨日嵐のように去っていった姉の摩耶。 そしてもう一人は――。




「……母さん。ノックくらいしてくれ」


「あら、息子の部屋に入るのに許可が必要?」




 西園寺ソフィア。 ハリウッドの至宝と謳われる俺の母親だ。




 昨日のデニム姿とは打って変わり、今日は外出用の装いだった。 仕立ての良いベージュのトレンチコートを肩にかけ、インナーには光沢のあるシルクのブラウス。首元には大粒のパールのネックレスが光る。 だが、どんな宝石よりも輝いているのは母さん自身だ。 窓から差し込む陽光が、プラチナブロンドの髪を透かし、神々しいほどのオーラを放っている。




 母さんが歩くと、空気の粒子が変わる気がした。 フローラルの香りがふわりと漂い、殺風景な男の1人暮らし部屋が一瞬で「映画のワンシーン」に書き換えられる。




「昨日は楽しかったわね、レオ。あの天童くるみちゃん、相当悔しがっていたそうよ」


「……俺は平穏に暮らしたいだけなんだ。余計な火種を持ってこないでくれ」


「あら、火種こそが人生のスパイスよ。退屈な株価チャートよりずっと素敵じゃない?」




 母さんは俺のデスクのモニターを一瞥し、つまらなそうに鼻を鳴らした。 母さんは俺が「中身の違う人間」であることを見抜いている。だからこそ、こうして対等な大人として接してくるのだ。




「で、今日は何の用だ? まさかまたテレビ局やらに連行する気じゃないだろうな」


「いいえ。今日はあなたにお願いがあるの」




 母さんはテーブルに、ジャラリと車のキーを放り投げた。 ポルシェのエンブレム。




「愛車のカイエン、最近あまり乗ってあげてないから機嫌が悪いのよ。ガソリンを入れて、洗車してきてちょうだい」


「無免許運転で捕まるぞ」


「あら、舞がいるじゃない」




 母さんがパチンと指を鳴らすと、背後の廊下から一人の女性が音もなく現れた。 如月舞。19歳。 俺の秘書であり、西園寺家に仕える「鉄壁の護衛」だ。




「おはようございます、玲央様。お車の手配は完了しております」




 無表情。 陶器のように白い肌と、黒髪のボブカット。 美しいが、その瞳はガラス玉のように光を反射しない。俺を見た瞬間だけ、その瞳の奥に狂信的な熱が灯るのを俺は知っている。




「……はぁ。分かったよ。行けばいいんだろ」




 逆らっても無駄だ。 この家のヒエラルキーの頂点は、いつだって母さんなのだから。




 都内の幹線道路沿いにある、一軒のガソリンスタンド。 日曜の昼下がりとあって、洗車待ちの車が列を作っている。




 その中でも、俺が乗ってきた黒のポルシェ・カイエンは異彩を放っていた。 運転席には舞、後部座席には俺。 周囲の客が「どこの芸能人だ?」と振り返る視線を感じながら、俺は窓の外を眺めていた。




「……ここを指定したのは母さんか?」


「はい。ソフィア様のご指名です。『あそこの手洗い洗車が一番丁寧なの』と」




 舞が淡々と答える。 車が給油スペースに停まる。 すぐに、紺色のつなぎを着たスタッフが駆け寄ってきた。




「いらっしゃいませー! ハイオク満タンですかー!」




 元気な声……ではない。 低く、少しドスの効いた、しかし鈴を転がしたように芯のある声。




「……ハイオク、満タンで」


「うっす。……あ?」




 窓を開けた俺と、給油ノズルを持ったスタッフの目が合った。 その瞬間、彼女の眉間に深い皺が刻まれる。




 早坂涼。 18歳。早稲田大学スポーツ科学部の一年生。 そして、姉さんの高校時代の同級生であり友人、そして元「秀明館学園」の札付きの不良だ。




 彼女のことは、姉さんから話を聞いていたし、写真も見せられたことがある。だが、実物は想像以上の「逸材」だった。




 キャップからはみ出したショートヘアは、汗で濡れて額に張り付いている。 化粧っ気など皆無。頬にはオイルの汚れがついている。 だというのに、その顔立ちは暴力的なまでに美しかった。




 小顔で、顎のラインが鋭角に研ぎ澄まされている。 切れ長の瞳は「引力」がすごく、睨まれているだけで心臓を鷲掴みにされるような迫力がある。 男物のダボッとしたつなぎを着ているせいで、体のラインは隠れているが、襟元から覗く鎖骨や、まくった袖から見える手首の華奢さが、逆に強烈な色気を放っていた。 「汚れても美しい」のではない。「汚れすらアクセサリーにしている」ような、野生の美貌。




「……たしか、テメェは……」




 涼が小声で呟く。 どうやら俺のことを知っているらしい。姉が写真か何かを見せたことがあるのだろう。 俺はこの店に来るのは初めてだし。 彼女が敵意を向けているのは、俺個人ではなく、「親の金で高級車に乗っているガキ」という記号に対してだ。




「どこかで会った事がありますか?」




 俺はわざと知らないフリをして尋ねた。




「いや知らねえよ。……ハイオク満タン入りまーす」




 涼は乱暴に、しかし手際は完璧にノズルを突き刺した。 その横顔には、明確な苛立ちが見える。 日曜の昼間。同年代の大学生たちがサークルやデートで浮かれている時間に、油まみれになって働いている自分。そして、目の前には涼しい顔をして後部座席に座る年下の男。 格差への怒り。社会への反骨心。 それが彼女の原動力であり、同時に彼女を追い詰めている毒でもある。




「舞。洗車も頼む」


「承知いたしました」




 舞が涼に「手洗い洗車もお願いします」と告げる。 涼は露骨に舌打ちしたそうになったが、ぐっと堪えた。




「……時間、かかりますけど」


「構わないわ。丁寧にやって」


「……チッ。了解っす」




 車を洗車スペースへ移動させる。 俺は車を降り、待合室へ向かおうとした。 その時、涼が洗車用具を取り出しながら、鋭い視線を俺に投げてきた。




「おい、ボンボン」


「……俺ですか?」


「ここ、作業の邪魔だ。あっち行ってろ」




 敵意むき出しだ。 舞がピクリと反応し、懐に手を伸ばしかけたのを、俺は目線で制した。




「ああ、すみません。……ところで」




  俺は涼の足元に置かれたスポーツバッグを指差した。 チャックが少し開き、中から分厚い専門書が見えている。『運動生理学』『解剖学』、そして早稲田大学のロゴが入ったノート。




「大学生ですか? 熱心ですね」




 涼の顔色がさっと変わった。 図星を突かれた動揺と、プライベートを覗かれた不快感。




「……テメェに関係ねぇだろ。客なら黙って待ってろ」


「いい大学です。頭いいんですね」


「は?  ナンパかよ。ウザいんだよ」




 涼はスポンジを叩きつけるようにバケツに突っ込んだ。 水飛沫が飛び散る。 彼女の手は荒れていた。洗剤と水仕事で指先が赤くひび割れている。ハンドクリームを塗る暇もないのだろう。




 俺はふと、前世での経営者としての視点になった。 彼女の動きには無駄がない。 ホースの取り回し、スポンジの軌道、拭き上げの順序。 肉体労働特有の「効率化」が、本能レベルで染み付いている。 ただのヤンキーではない。頭がいいのだ。そして、何より根性がある。




「……いい腕だな」




 俺はポツリと呟いた。




「あ?」




「今の拭き上げ。ルーフからサイドへの流れるような手順、素人じゃできない。それに、そのタイヤのホイールの裏まで指を入れる細かさ。……いい仕事をしますね。母がこだわるだけはあります」




 涼が虚を突かれたように動きを止めた。 嫌味を言われると思っていたのだろう。 俺は本心しか言っていない。 俺は「有能な人間」が好きだ。それが例え、今は底辺でくすぶっている原石だとしても。




「……うるせぇ。褒めても何も出ねぇぞ」




  涼は顔を背け、再び作業に戻った。 だが、その耳がわずかに赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。




 洗車が終わり、ピカピカになったカイエンが陽光を反射している。 俺は舞に会計を任せ、車に乗り込もうとした。 その際、俺は涼の近くに歩み寄り、胸ポケットから何かを取り出した。




「チップです」


「は?  ふざけんな、乞食じゃねぇぞ」


「労働への対価です。あなたの技術にはそれだけの価値があると思うので。」




 俺が強引に彼女のつなぎのポケットにねじ込んだのは、1万円札ではない。 近所のドラッグストアで買った、高保湿のハンドクリームだ。 さっき、来る途中に寄って買ったものだ。




「……あ?」




 涼がポケットからそれを取り出し、目を丸くする。




「指、大事にしてください。レポート書くのに響くとまずいでしょう?」




 それだけ言い残し、俺は車に乗り込んだ。 ドアが閉まる直前、涼の呆気にとられた顔が見えた。




「発車してくれ」


「承知いたしました」




 カイエンが滑らかに走り出す。 バックミラーの中で、涼がまだハンドクリームを握りしめて立ち尽くしているのが見えた。




「……社長。あの女性、目つきが悪すぎます。次は違うスタンドにしましょう」




  運転席の舞が不機嫌そうに言った。




「いや、ここでいい。彼女は『当たり』だ」


「は?」


「将来、化けるぞ。今のうちに唾をつけておく」




 俺はシートに深く身を沈めた。 今日はいい日だ。 ソフトバンクの仕込みも完了し、優秀な人材も見つけた。 涼のあの反骨心に満ちた目。あれは、飼いならせば最強の番犬になる目だ。 俺の平穏な青春を守るための、頼もしい戦力になるだろう。




 ……もっとも、彼女が俺の「番犬」になる過程で、俺自身がどれだけ噛みつかれることになるか、今の俺はまだ計算に入れていなかったが。




 車は都心の喧騒を抜け、俺の城であるマンションへと戻っていく。 明日からは、いよいよ高校生活が始まる。 「普通の青春」の幕開けだ。

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