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40代IT社長の俺がギャルゲーの悪役に転生したけど、主人公が頼りないので「大人の包容力」と「経済力」でヒロイン全員幸せにします  作者: 伊達ジン


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第19話 春キャベツの包容力と偽りの弟

 ゴールデンウィークを翌日に控えた桜花学園は、どこか浮足立った、祭りの前のような独特の高揚感に包まれていた。窓の外からは、初夏を思わせる力強い日差しが差し込み、校庭の砂埃を白く照らしている。


 2限目、英語。

 担当するのは、発音と文法解釈の厳格さで知られるベテランの中年女性教師、マーガレット佐藤だ。彼女は教壇から鋭い視線を飛ばし、連休ボケにはまだ早すぎる生徒たちを容赦なく萎縮させている。


「……Next. 西園寺。そこの長文パラグラフを訳しなさい」


 不意に指名された俺は、音もなく静かに席を立った。

 黒板に書き写されているのは、難解な構文が入り組んだ長文だ。俺からすれば、その文章の裏に隠された皮肉や、ネイティブ特有のニュアンスまで完璧に汲み取った「プロの意訳」を披露することは容易い。


 だが、俺は数秒だけ黒板を見つめるふりをした後、あえて抑揚を抑えた声で口を開いた。


「『経済のグローバル化は、国家という枠組みの垣根を低くし経済効率を高める一方で、文化的な摩擦を生み出す温床ともなり得る』……教科書的な直訳としては以上です。ですが、著者の真意はそこにはない」


 俺は教壇の佐藤先生を見据え、言葉を継いだ。


「この論文が書かれた背景には、欧州通貨統合に向けた各国の思惑があります。著者が本当に警鐘を鳴らしているのは文化摩擦ではなく、経済的統合がもたらす『富の偏在』と、それに伴う『新たな階級社会の到来』です。単なる文化論として読めば、本質を見誤る」


 教室が水を打ったように静まり返る。

 佐藤先生は目を見開き、数秒間の沈黙の後、悔しさよりも感嘆が勝ったように深く息を吐いた。


「……Perfect. 語学の枠を超えた、見事な洞察力ね。……恐れ入ったわ」

「恐縮です」


 俺は短く答え、姿勢を崩さずに着席した。

 周囲からの視線には、驚きと羨望、そして得体の知れない「畏怖」が混じっている。


 「出る杭は打たれる」と人は言う。だが、それは中途半端に飛び出しているからだ。「出過ぎた杭は打たれない」。


 俺がこの学園で誰にも干渉されず、自由にビジネスを展開するためには、教師すら口出しを諦めるほどの圧倒的な実力の差を、こうして示し続けておく必要がある。


 休み時間。

 移動教室のため渡り廊下を歩いていると、向こうから小鳥のように軽やかな足取りで歩いてくる女子生徒とすれ違った。

 結衣先輩だ。


 今日は制服の上に春らしいパステルカラーのカーディガンを羽織り、小走りでこちらに向かってくる。その屈託のない笑顔につられて、すれ違う生徒たちの空気がふわりと明るくなるのが分かった。

 彼女は俺を見つけると、パァッと花が咲くような満面の笑顔で大きく手を振ってきた。


「あ! 西園寺くんだぁ! ヤッホー!」

「こんにちは、花村先輩。……随分とご機嫌ですね」

「うん! だって明日からお休みだもん。ねえねえ、西園寺くんはGWどこか行くの? やっぱり海外とか?」


 彼女は無邪気にパーソナルスペースを飛び越えて距離を詰めてくる。

 ふわりと、甘いバニラのような香りが鼻孔をくすぐる。この無防備すぎる距離感は、思春期の男子生徒を勘違いさせるには十分すぎる破壊力を持っているが、彼女自身にその自覚は皆無だ。


「仕事と勉強、あとは家の用事で予定が埋まっています。残念ながら遠出はできませんね」

「え~、真面目だなぁ。せっかくのお休みなのにぃ。王子様なんだから、白馬に乗ってどこか遠くに行っちゃえばいいのに」


 結衣先輩は可愛らしく頬を膨らませた。その仕草が計算を感じさせず、ただただ愛らしいのが彼女の類まれなる才能だ。


「先輩は、どちらかへ?」

「私はね~、セイラちゃんとお出かけする約束をしたの! すっごく楽しみ~!」

「それは何よりです。……霧島先輩によろしくお伝えください」

「うん! わかったぁ。……あ、予鈴が鳴っちゃう! またね、王子様!」


 彼女は「王子様」という、今の俺にとっては少し気恥ずかしい呼び名を残し、小走りで去っていった。

 その無垢な背中を見送りながら、俺は苦笑した。彼女のような純真な存在が、学園の殺伐とした空気を無自覚に浄化してくれている。


 放課後。

 俺はハイヤーを降り、渋谷のレンタルショップの店先にある返却ポストへ、先日借りたDVDを投函した。そのままセンター街を抜け、駅の方へ向かおうとした時だった。

 人通りの多い路上で、見覚えのある女性の姿を見つけた。

 沙耶さんだ。


 今日の彼女は、黒のタイトなライダースジャケットに、チェックのロングスカートという、少しロックテイストを取り入れた攻めた装いだ。アンニュイな美貌と、口元にある小さなホクロが目を惹く。

 彼女も俺に気づいたようで、小さく手を振って近づいてきた。


「あら。西園寺くんじゃない。奇遇ね」

「こんにちは、沙耶さん。お買い物ですか?」

「ええ。ちょうどよかったわ。君、少し時間ある?」


 彼女は有無を言わせぬ笑顔で、俺の腕を引いた。


「付き合ってよ。今日はね、君をプロデュースしてあげるって決めたの」


 連れて行かれたのは、表参道の裏通りにある、感度の高い若者に人気のセレクトショップだった。

 店内には最新のトレンドを押さえた服が並んでいる。


「ほら、これ着てみて! あとこれも! 絶対似合うから!」


 沙耶さんは楽しそうに、次々と服を選んでくる。

 ヴィンテージの色落ちしたデニム、派手なプリントTシャツ、少し奇抜な配色の開襟シャツ。

 普段の俺のワードローブにはないものばかりだが、彼女の勢いに押されて試着室へ入る。


 着替えて出てくるたびに、彼女は「うーん、悪くないけど……優等生感が抜けないわね」「あ、これ可愛い! 君の普段着、どうしていつもそんなに地味なのよ!」と容赦なく品評する。

 完全に着せ替え人形だ。

 だが、鏡に映る自分は、普段の「若社長」という重い鎧を脱ぎ捨てた、年相応の少年に見えなくもなかった。


「……ふふ、満足したわ。これ、私からのプレゼントよ」


 最終的に選ばれたのは、上質な素材のシンプルな白のニットと、少しルーズなシルエットのカーゴパンツだった。彼女がレジで会計を済ませようとするのを、俺は制した。


「いえ、自分で払います」

「ダメ。今日は私がスポンサー。年上としての威厳を見せさせてよ」

「では……交換条件です」


 俺は店内を見渡し、一着のワンピースを手に取った。

 淡いブルーグレーの、繊細なシフォン素材のワンピース。

 清楚で、上品で、普段の尖った沙耶さんが絶対に自分では選ばないようなデザインだ。


「……は? 何それ。私の趣味じゃないわよ、そんなお嬢様みたいなの」

「知っています。ですが、沙耶さんには絶対に似合います。……俺のプロデュースも受けていただけますか?」


 俺は挑発的に微笑んだ。

 沙耶さんは渋面を作ったが、結局「……着るだけなら」と、渋々試着室に入った。


 数分後。

 カーテンが開いた瞬間、俺は息を呑んだ。

 そこにいたのは、いつもの「尖ったお姉さん」ではなく、儚げで透明感のある「深窓の令嬢」のような女性だった。

 シャギーの入ったショートカットと、淡い色のワンピースの対比が、彼女の本来持っている素材の良さと、隠された可憐さを極限まで引き立てている。


「……どう? 変でしょ? なんかスースーするし……」


 沙耶さんは恥ずかしそうに身を縮こまらせている。その仕草すら、計算ではない愛らしさに満ちていた。


「いいえ。……とても美しいです。見惚れてしまいました」

「っ……! バカ言わないでよ」


 彼女の頬が、さっと赤く染まる。

 俺は店員に合図し、そのワンピースを購入した。


「俺からのプレゼントです。……たまには、そういう沙耶さんも見せてください」

「……調子狂うなぁ。どっちが年上かわかんないじゃん」


 彼女は紙袋を受け取り、ボソリと呟いた。

 その耳まで赤くなっているのを見て、俺は密かな勝利感に浸った。


 買い物の後、「少し遊んでいきましょう」と俺たちは近くのゲームセンターに入った。

 エアホッケーの台の前に立つ。


「これならハンデなしで勝負できるわね。私、結構自信あるのよ」

「望むところです。負けた方がジュース奢り、でどうですか?」


 コインを投入し、高圧空気が吹き出してパックが浮き上がる。

 ゲームスタート。

 沙耶さんのプレイスタイルは、普段のアンニュイな雰囲気からは想像もつかないほど攻撃的だった。

 カンッ、カンッ! と鋭い金属音を立てて、高速のパックを俺のゴールへ打ち込んでくる。


「ほらほら! 防戦一方よ、社長さん!」

「……観察しているんですよ。沙耶さんの思考の癖を」


 俺は冷静にパックを打ち返す。

 心理学専攻の彼女だが、単調なパックの反射軌道を読み切るフィジカルな勝負なら、俺に分がある。


 カンッ!


 俺の放った正確な一撃が、彼女のガードを鮮やかにすり抜け、ゴールへと吸い込まれた。


「あーっ! もう、本当に可愛げがないんだから!」

「勝負において、年齢や立場は関係ありませんから」


 結局、俺の勝利で終わった。

 沙耶さんは「次は絶対に負けないから」と悔しがりながらも、その表情は憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。


「……楽しかったわ。ありがとね、西園寺くん」

「こちらこそ。良い気分転換になりました」


 駅前で別れ、彼女の颯爽とした後ろ姿を見送りながら、俺は次のミッションへと瞬時に思考を切り替えた。

 今夜の夕食の、完璧な下準備だ。


 帰路、俺はいつものように高級スーパー『紀ノ国屋』へ向かった。

 今夜のメニューは、餃子だ。

 だが、ただの餃子ではない。今が旬の『春キャベツ』を贅沢に使用した、瑞々しい焼き餃子だ。


 青果コーナーで、巻きが緩く、葉が柔らかい鮮やかな緑色の春キャベツを厳選する。水分が多く、加熱することで驚くほどの甘みが増すのが最大の特徴だ。

 肉は、鹿児島県産の黒豚ひき肉。脂身の甘みが、キャベツの繊細な風味と最高の相性を見せる。

 ニラ、生姜、ニンニクは、香りの強い有機栽培のものを。

 餃子の皮は、大判で厚みのある、モチモチとした食感を楽しめる特製のものを選んだ。


 副菜には、もやしのナムルと、素材の味を活かした中華スープ。

 もやしは、一本ずつ根切りされた最高級の『大鰐温泉もやし』を確保した。このシャキシャキとした食感は、他の追随を許さない。

 そして、飲み物は。


『ヱビスビール』の瓶を購入した。麦芽100%の重厚なコクとキレのある苦味が、餃子の芳醇な脂と完璧な調和を見せてくれるはずだ。


 帰宅後、俺はリネンのエプロンを締め、キッチンに立った。

 春キャベツはあえて少し粗みじんに切り、塩を振って軽く揉む。水分を絞りすぎないのが、ジューシーに仕上げるための最大のコツだ。

 ボウルに黒豚ひき肉を入れ、塩胡椒、紹興酒、特級醤油、ごま油、そしてオイスターソースを加え、粘りが出るまで一定の速度で練り上げる。

 そこに野菜を投入し、粘りを殺さないようさっくりと混ぜ合わせる。


 ここからが職人としての正念場だ。包む作業。

 皮の縁に水をつけ、黄金比の餡を乗せる。

 1つずつ丁寧にヒダを作りながら、内部の空気を完全に抜き、美しく封じる。

 均一な形状の三日月型が、整然と並べられていく。この単調な繰り返し作業は、思考のノイズを消し去るための、俺にとっての瞑想に近い。


 フライパンを高温に熱し、香りの良い油を引く。

 餃子を円形に、花びらのように並べ、底に香ばしい焼き色がつくまで見守る。

 完璧なタイミングで熱湯を注ぎ、蓋をして一気に蒸し焼きにする。

 水気が飛び、皮が透明感を帯びたところで、最後にごま油を一回し。強火で一気にパリッと仕上げる。


 ――ジュワアアァァッ……!


 キッチンに、香ばしい音と暴力的なまでの食欲をそそる香りが充満する。

 皿を被せ、一気にひっくり返すと、完璧な黄金色の羽根を纏った餃子がその姿を現した。


 ダイニングテーブルに料理を美しく並べる。

 ナムルはごま油と塩、鶏ガラスープの素で和え、粗挽きの黒胡椒をピリリと効かせた。中華スープは、溶き卵とワカメのシンプルな構成だ。

 そして、キンキンに冷えたヱビスビールを、専用の薄いグラスにゆっくりと注ぐ。


「いただきます」


 まずはビールを一口。

 喉を駆け抜ける重厚な苦味と深いコク。一日の緊張が溶けていく感覚。

 そして、熱々の餃子を特製のタレにつけ、一気に口に運ぶ。


 カリッ。ジュワッ。


 極薄の羽根の香ばしさの後、春キャベツの圧倒的な甘みと、黒豚の濃厚な肉汁が口内いっぱいに爆発した。春キャベツ特有の柔らかさが、ひき肉と見事に一体化し、溶けるような食感を生んでいる。

 そこに冷えたビールを再び煽る。


 麦芽の重厚な苦味と冷たい炭酸が、豚肉の強い旨味を優しく包み込みながら喉の奥へと心地よく落とし込んでいく。キャベツの甘み、肉の脂、そしてビールのコク。三位一体となった味わいが、一日の疲れを静かに癒やしてくれる。

 箸休めの大鰐温泉もやしのナムルも、そのシャープな歯ごたえで口内を鮮やかに切り替えてくれた。

 一人での晩酌だが、これ以上の贅沢は、今の俺には必要ない。


 食後、俺はリビングの照明を少し落とし、1000ピースのパズルを広げた。

 先日からの作りかけ。無心でピースを埋めていく時間は、脳を完璧にリセットするための瞑想だ。

 最後の数ピースを埋めようとした、その時だった。


 手元にある携帯電話が、静かに震えた。

 母からだ。


『レオ? こんばんは。……今、大丈夫かしら?』


 母の声は、いつものような圧倒的なハイテンションではなく、どこか静かで、微かに甘えるような響きを含んでいた。


「ええ。ちょうど食後の休憩を終えたところですよ。どうかしましたか?」

『あのね……少しだけ、夜風に当たりたい気分なの。……レオ、付き合ってくれないかしら』


「……母さん。先週末に姉さんと一緒に、うちで寿司を食べたばかりでしょう? 今日は何ですか」

『夜のドライブがしたいの。東京の夜景を、貴方の運転で見たいわ』

「俺はまだ免許を持っていませんよ」

『あら、そうだったわね。……じゃあ、舞ちゃんに運転してもらって、隣に座ってて。それだけでいいの』


 無茶苦茶な理屈だ。

 だが、その声のトーンが、いつもより少し寂しげなのが気になった。


 俺は通話を保留にしたまま携帯電話をポケットにしまい、ソファから立ち上がると、クローゼットから薄手のジャケットを取り出した。

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