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40代IT社長の俺がギャルゲーの悪役に転生したけど、主人公が頼りないので「大人の包容力」と「経済力」でヒロイン全員幸せにします  作者: 伊達ジン


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第12話 雨音の絶縁と着信メロディの予感

 朝のホームルーム前、1年A組の教室は、重く湿った空気に沈んでいた。

 予報通りの雨。窓ガラスを不規則に叩く水音が、普段の喧騒をいくらか遮断し、室内に閉鎖的な静寂を生み出している。湿り気を帯びた制服の匂いと、微かに混じる埃の香りが、この時代の教室特有の空気を形成していた。


 俺は自分の席につき、鞄からノートを取り出す前に、教室内のある一点に視線を向けた。

 窓際の後方席。文庫本を広げ、周囲の浮ついた空気から一線を画そうとしている高城藍。その静寂を土足で踏み荒らすように、日向翔太が彼女の机に身を乗り出していた。


「なぁ高城、今度の日曜暇だろ? クラスの連中とボウリング行くんだよ。お前も来いよ、人数合わせにちょうどいいしさ!」


 翔太の無神経な声が、雨音を切り裂いて響く。


「人数合わせ」


 誘い文句としては最悪の部類に入る言葉を、彼は全くの悪気なく、むしろ親切心のつもりで口にしていた。


 高城はページをめくる手を止めず、氷のような声音で答えた。


「……お断りよ。私は暇じゃないの。自分の時間をどう使うかは私が決めることだわ」

「えー? どうせ家で本読んでるだけだろ? たまには体動かさないと太るぞー? 女の子なんだからさ」


 デリカシーの欠片もない発言。高城が、バタンと音を立てて本を閉じた。

 その整った顔立ちが、一瞬で零度の冷気を帯びる。クラスでも一目置かれる彼女の美貌が、今は明確な軽蔑によって研ぎ澄まされていた。


「……日向。あんたのその『自分が世界の中心』だと思っている思考回路、正直言って反吐が出るわ。私の時間をあんたの退屈しのぎのために提供する義理は、これっぽっちもないの。消えてくれない?」

「はあ? なんだよノリ悪いなー。マナなら二つ返事で『行く行く!』って言うぜ?」

「マナの名前を出さないで。……彼女があんたの身勝手に合わせてくれている優しさを、当然の権利だと思わないことね。その傲慢さが、いつかすべてを壊すことになるわよ」


 高城は冷徹に言い放つと、教科書を乱暴に机に押し込み、逃げるように教室を出て行った。

 残された翔太は、何が起きたのか理解できていない様子で「なんだよアイツ、機嫌悪いのか?」と独りごちている。

 救いようがない。彼はまだ気づいていないのだ。マナという唯一の理解者だけでなく、クラスの良心である高城からも、事実上の絶縁宣言を突きつけられていることに。己の無自覚な暴力が、マナとの関係に決定的な亀裂を入れることになるとも知らずに。


 2限目、古典。

 教壇では老教師が『徒然草』の解説を、子守唄のような調子で続けていた。生徒の半分は睡魔に沈んでいるが、俺の意識は全く別の場所にあった。

 机の下で開いているのは、一昨日、大学図書館の資料室で目を通した『大蔵省 権力と腐敗の構造』というノンフィクションだ。


 昨年の1998年、大蔵省接待汚職事件が発覚し、日本社会を震撼させた。最強官庁と呼ばれた大蔵省は解体へと向かい、2001年には財務省へと再編されることになる。

 この本には、かつての「護送船団方式」と呼ばれた金融行政の内幕と、特権意識にまみれたエリート官僚たちの堕落が、生々しく描かれている。


(……この構造変化こそが、俺にとっての最大のレバレッジになる)


 俺は重要な記述を、教壇の老教師に「熱心なノート」だと思わせる程度の速度で書き写した。

 金融ビッグバンによる規制緩和。それは、既存の銀行の既得権益を崩し、外資系金融機関や、産声を上げたばかりのネット証券の台頭を促す。俺のような、未来の相場を知る個人投資家にとって、これほど有利な環境はない。

 教師の視線が微かに動くのを察知し、俺は淀みなく顔を上げた。黒板の文字を追いかけるフリをしながら、頭の中では次の事業計画のパズルを組み上げていく。

 授業という、この退屈な拘束時間さえも、俺にとっては思考の解像度を上げるための有効なリソースに過ぎない。


 昼休み。

 雨脚が強まり、生徒たちは中庭に出ることもできず、校舎内には行き場のないエネルギーが澱んでいた。俺は喧騒を避け、渡り廊下の自販機コーナーへと足を運んだ。

 温かいコーヒーを買おうと小銭を探していると、背後からふわりと、甘いバニラのような香りが漂ってきた。


「あ、西園寺くん! 奇遇だね~、お疲れ様!」


 結衣先輩だ。

 先日、階段での一件以来、彼女は俺を見かけるたびに、こうした無邪気な挨拶を飛ばしてくる。雨の湿気で髪を僅かに跳ねさせながら、春の陽光を閉じ込めたような大きな瞳を輝かせている。


「こんにちは、結衣先輩。……お一人ですか」

「うん。セイラちゃんが生徒会の臨時会議で捕まっちゃって。一人でフラフラしてたの。……ねえねえ、西園寺くんってお休みの日は何してるの? やっぱり、株のチャートとか見てるの?」

「……読書や映画鑑賞、あとは多少の筋力トレーニングですね。チャートは、息を吸うのと同じ習慣ですから、趣味とは言えません」

「すごぉい! やっぱり王子様はストイックだねぇ。私なんて、家でゴロゴロしながらポテチ食べて、録画したドラマ見るだけで終わっちゃうよ~」


 彼女は自分の距離感を測る機能が欠落しているのか、一歩、二歩と自然に近づいてくる。

 無防備に上向く首筋と、屈託のない笑顔。その純真さは、虚飾と欲望に満ちたビジネスの世界を生きる俺にとって、毒にも薬にもなり得る危うさを秘めていた。


「……あ、そうだ。セイラちゃんね、西園寺くんの話を振ると、急に窓の外を見たりして、ちょっと顔が赤くなるんだよ。ふふっ、仲良くなれるといいね」

「……それは、単に俺の不躾な態度に腹を立てているだけではないでしょうか」

「え~? 私はそうは思わないけどなぁ」


 結衣先輩は確信犯的な笑みを浮かべると、イチゴオレのパックを揺らしながら「またね~!」と手を振り、ふんわりとした足取りで人波の中へと消えていった。

 嵐が去った後のような、しかし温かな感覚。彼女のような存在が、霧島先輩の凍てついた心を支えているのだろう。


 放課後。

 空は鉛色に厚く覆われ、激しい雨が校庭を泥の海に変えていた。

 昇降口には、傘を持たない生徒や、迎えを待つ生徒たちが溢れ、独特の喧騒を醸し出している。俺はあらかじめ、昇降口から少し離れた校門近くにハイヤーを回させていた。

 その時、軒下で肩をすぼめ、途方に暮れているマナの姿を見つけた。


 彼女は傘を持っていないようで、濡れたアスファルトを恨めしそうに見つめている。

 そこへ、部活用のエナメルバッグを肩にかけた翔太が現れた。その手には、不釣り合いなほど大きなジャンプ傘が握られている。

 マナの顔が、救いを見つけたかのようにパッと輝いた。


「あ、翔太! ちょうど良かった、私、傘忘れちゃって……」


 マナが駆け寄ろうとした、その瞬間だった。

 翔太の視線は、マナを通り越し、その後ろにいた別の女子生徒――クラスでも派手で目立つことで知られる、高田という女子に向けられた。


「おっ、高田じゃん! 傘ないのか? 俺のに入れよ、駅まで送ってやるって!」

「え、マジ? 日向、超ラッキー! サンキュー!」


 翔太は、マナの伸ばしかけた手も、彼女が発した震える声も、完全に無視した。

 いや、彼の世界からマナという存在が一時的に消去されたかのように、高田と親しげに笑い合いながら、雨の中へと消えていった。


 ――残されたのは、氷像のように立ち尽くすマナだけ。


 彼女が差し伸べようとした指先は、行き場を失って冷たい空気を掴み、力なく垂れ下がった。幼馴染だから。誰よりも近くにいるのが当たり前だと思っていた。そんな微かな信頼が、無慈悲な雨音の中で粉々に砕け散る。

 マナは震える肩を抱き、意を決したように鞄を頭に乗せると、弾き飛ばされるように土砂降りの雨の中へと駆け出した。


「……舞。彼女を追え」


 俺は後部座席の受話器を取り、運転席に指示を出した。

 黒塗りのセダンが、水飛沫を上げて滑らかに発進する。

 数十メートル先、歩道でずぶ濡れになり、視界すらおぼつかない様子で歩くマナの横に、車をぴたりと寄せた。

 パワーウィンドウが静かに開く。


「……桜木さん。乗ってください」

「えっ……西園寺、くん……?」


 マナが驚いて立ち止まる。

 雨水が前髪を伝い、彼女の大きな瞳を遮っていた。その瞳は赤く、それが雨のせいなのか、それとも流された涙のせいなのか、俺には判断がつかなかった。


「風邪を引きます。家まで送りましょう」

「で、でも……車の中、汚れちゃうし……迷惑だよ……」

「車は洗えば済むことです。……時間は有限だ。早く」


 俺がドアを内側から開けると、マナは寒さに耐えかねたように、震えながら後部座席に滑り込んできた。

 俺はすぐに、あらかじめ用意させておいた、毛足の長い清潔なバスタオルを彼女の頭から包み込むように被せた。


「……ごめんね、ありがとう……」


 マナは小さく、小刻みに震えていた。物理的な寒さだけではない。最も信じていたはずの存在から、「存在しないもの」として扱われたことによる心の拒絶反応だ。

 俺は舞に指示して、空調の温度を極限まで上げさせ、彼女の呼吸が整うのを待った。


「……見ちゃった、よね」


 しばらくして、タオルの中から掠れた、消え入りそうな声が漏れた。


「翔太にとって、私は……都合のいい道具だったんだね。幼馴染だからって、勝手に特別だと思ってた私が、一番バカだったんだ」


 彼女はタオルを、指の色が変わるほど強く握りしめた。

 自分が大切にされていないという、残酷な真実を正面から突きつけられた痛み。それは、彼女が一人の自立した女性として歩み出すために、避けては通れない通過儀礼だ。


「……日向は愚かですが、おそらく悪意はありません。ただ、桜木さんの献身に甘え、あなたが血の通った人間であることを忘れているだけだ」


 俺は視線を窓の外へ向けたまま、淡々と、しかし隣に座る彼女に届くように語りかけた。


「ですが、あなたはもっと大切に扱われるべき存在だ。少なくとも、俺なら雨の中にあなたを置き去りにするような真似はしない。……それは、投資家としても、一人の男としても、明白な損失だからです」


 マナが、ゆっくりと顔を上げた。

 濡れた瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。その瞳の深淵に、俺の言葉が波紋を広げていくのを感じた。


「……西園寺くんは、ずるいよ。……そんなの、泣いちゃうに決まってるじゃん」


 彼女は再びタオルに顔を埋め、声を押し殺して泣き出した。

 俺は何も言わず、ただ、彼女が流しきれなかった悲しみを雨が洗い流すのを待つかのように、その震える背中を静かに見守り続けた。


 マナを実家の洋食屋の前まで送り届け、彼女が店の中へ入るのを見届けた後、俺は車内でビジネスモードへと意識を切り替えた。

 助手席に座る舞に、タブレット……ではなく、手書きとワープロで構成された分厚い事業計画書を渡した。


「次のフェーズだ。……『着信メロディ』、および『待受画像』の配信インフラの構築。加えて、モバイル占いの独自コンテンツ化を進める」


 1999年、iモードの爆発的な普及とともに、「携帯電話で情報を買う」という文化が、この国の若者の間で産声を上げようとしている。

 まだ単音の電子音でしかない着メロだが、これが数年で和音になり、やがて楽曲そのものを配信する時代へと進化する。その市場規模は、数年以内に数千億円規模へと膨れ上がるはずだ。


「このプロジェクトに、4,800万円を第一弾として投入する」

「……全額、自己資本で賄うのですか?」

「ああ。内訳は、1,000万円でヒット曲のMIDIデータ制作ラインの確保。腕の良いエンジニアやMIDIクリエイターはすでに渋谷の地下に集まり始めている。彼らに、法外な報酬を提示して囲い込め」

「承知いたしました。……残りの予算は?」


「2,000万円をサーバーインフラの増強に当てる。Sun Microsystemsの物理サーバーを確保し、データセンターを構築しろ。当時のベンチャーはアイデア先行でインフラが貧弱だ。アクセス集中で落ちるサイトに未来はない。俺たちが作るのは、鋼の耐久力を持つプラットフォームだ」


 舞は真剣な表情で、俺の言葉をノートに刻み込んでいく。彼女のプロフェッショナルとしての迅速な筆致が、車内の空気を心地よく引き締めた。


「残りの1,800万円は、ドコモとの交渉窓口だ。公式メニューの『エンターテインメント』枠、その一等地を確保するための開発協力費、あるいは接待費として使う。……金を積んででも、iモードボタンの先にある『勝者の席』を予約するぞ」


「……オーナー。このスピード感、もはや中学生のそれではありませんね」

「時代が、俺たちの背中を蹴っているんだ。立ち止まれば、置いていかれるだけだ」


 俺は窓の外を見た。

 雨が上がり、夜の東京が濡れた路面を反射させて輝いている。

 無数の光の粒が、まるで膨大なデジタルデータの奔流のように見えた。


 帰宅すると、リビングから芳醇なスパイスの香りが漂ってきた。

 昨日、実家へ帰ったはずの母が、再びエプロン姿でキッチンに立っていた。どうやら彼女は、コンシェルジュを完全に掌握し、俺のプライベートスペースを「第二の別荘」として確定させたらしい。


「Welcome back, Leo! 今夜はじっくり煮込んだビーフシチューよ。赤ワインを隠し味に使ったの」

「ただいま、母さん。……また、勝手に」


 俺は濡れたジャケットを脱いでハンガーに掛け、諦め混じりの苦笑いを浮かべて、温かな湯気を立てるダイニングテーブルへと静かについた。

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