Feb.2(嘘ですよ)
そんな感じで、まだ実作業に入る前の助走期間と言う感じなのに、あたしは普通に如月さんとつるむ感じになっていた。その日は図書委員の当番で、放課後の人気のない図書室で、如月さんが、悪くいえば駄弁っていた。
「あのですね」とあたし。「ご自宅にお招きする前にお訊ねしたいことがあるのですが」
「なに」過去文集から顔も上げずに如月さん。
「あたし、如月さんのこと、よく知りません」
すると如月さんは、ほう……と、感心したような視線を向けた。「確かにそうね」
例えば、如月さんの細くて長くて白い指。右手の人差し指と親指の間に、小さなホクロ。それだけだ。だから、「そうなのです」
「何が知りたい?」
言われたあたしが考え込む。「個人情報?」
「身長5フィート7インチ、体重121ポンド」
なにその単位? 嘘でもデタラメでも、優しさを感じない返答には、いささかイラッとさせられるものです。如月さんは続ける。「スリーサイズは上から50・50・50」
「インチ? センチ?」あたしは視線を如月さんの首から胸、更に下へと──、「いたっ」
デコピンを喰らいました。「なにするんですか」
「冗談だから」
それにしたって、「ひどいです」あたしはおでこをさすりさすり。かなり痛い。
「他に質問は?」
「好きなものとか、血液型とか、あと──」
「好物はエビ、苦手はカニ。血液型はA。占いは信じてないけど、あなたはO、もしくはBO型」
あっさり言い当てられて、なんだか悔しいのはどうしてなのか。
「本当に? 当たるものなんだな、占い」
一所懸命に考えたわけでもなく、当てずっぽうなのが余計に悔しい。でも、「如月さんのお宅は、大きいイメージです」
「普通のマンションだよ。でも休日はパ……父親がいるから駄目」
「いま、パパって言いかけました?」
「言ってない」
「パパさんは何をしてるひと?」
「教えない」
「分かりました」素直にあたしは引き下がる。「あたしのウチで、打ち合せしましょう」
「他には? 言いかけたのは何?」
あたしは少しためらって、でも、「如月さんは、あたしのお友達でいいんでしょうか」
「それはお互い様。どうして、あなたはぼっちなの?」
それを語るほどに、あたしは深入りしたいのでしょうか。それは、お友達の必須条件なのでしょうか。
「別に、すごく知りたいってことでもないから」とは、如月さんは言うけれども。
「うん──」どうでしょうか。話しておくべきでしょうか。そもそも、話すべきことでもないようにも思います。
以前、お父さんは、本気の悪意について話してくれた。「相手がそうと決めたら、それを止める手だてはない」。家の鍵はもちろん、門だって窓だって無力だ。相手が本気なら、どんな手を使ってでも、破壊する。お父さんは、本棚から取り出した本を引き合いにし、「暴力は多くのものを解決してきた」それを否定できるだろうか?
お父さんは言った。「戦うか、逃げ切るか、鈍感になるか」しかし、「自分でどうにもならなくても、誰かに助けを求める道があることを忘れないで欲しい」それが解決になるかどうかは分からないが、解決の糸口になることは期待できる。「たいていの物事は、実際には単純だ」最後に、〝オッカムの剃刀〟を教えてくれた。そしてあたしは、あたしなりに実践した。小学四年の教室で。勝ち負けはないけれども、以来、クラスで起きてたあたしに対する面倒は止んだ。
お父さんの話は、絶対的に正しいと言い切れないところもあるけれども、間違いでもないとあたしは信じている。だから、両親が揃って学校に出向いたことを、あたしは恥ずかしく思うし、申し訳なく思うし、悪いことをしたと理解しているし、反省もしている。その一方で、あたしの中には、新しい価値観が生れた。
如月さんに、悪意はない。でもひとは、自覚のない悪意を持つことがある。
下校の準備をして、並んで図書室を出ると、やっぱり如月さんは何フィートとか言うだけあって背が高く、頭ひとつ分も差があるのを再確認した。何インチか少し分けていただきたい。
「如月さんって、お誕生日は二月?」
如月さんは、ほう……と、感心したような、視線を向けた。「どうしてそう思った?」
「お名前が小梅さんだから。梅は二月の花だよね、違う?」
すると如月さんは、ほほう……と、感心したような、でも、賞賛しているわけでもない、妙な視線をくれた。「たいした推理でないね」
「そうですね」
「当たりだけど」
「やっぱり!」
「正確には二月と三月をまたいで生れた」
「すごい! でも、三月生まれでなく?」
「どちらでもいいみたい。訊かれて、二月に滑り込ませたって」
「梅の花が盛りだったんですね」
「ひどくない?」
「なにが?」
「梅見月。梅を見るのが陰暦二月の異名」
「奇跡だ!」
「与太だ。如月で二月で梅だぞ? しかも小梅は夏の季語」
「ひどいひどい」笑った。
「ひとの名前を笑うなよ」如月さんも笑った。
「ごめんごめん」
それが余計におかしくて。今度はふたりで決壊した。笑いの防波堤はもうグズグズ。
校門を出たすぐところで梅の木が、ぽつりぽつりと白い花をつけていた。梅さんと、小梅さんは違う季語。またひとつ、賢くなりました。
帰宅して、あたしは自分の間抜け具合を目の当たりにした。
ああ、なんで連絡先交換という人類にとっては小さな一歩でも、個人にとっては大きな飛躍を成し遂げたのに、時間を決めていなかったのでしょうか。如月さんは携帯電話を持っているのに、「好きじゃない」ので、「電源はたいてい切ってある」。
文明がないがしろ。まあいいのです。自分のことを棚に上げ、如月さんも同罪で、あれで実は抜け作なのです。かけて出なけりゃ、それはそれ。そしてもちろん、繋がらない。まあいいのです。お迎えの準備はします。
「お母さん、明日、友達来る」
「男の子?」
「違います」なんで母は、こうなのか。
「男の子!?」
「違います」なんで両親揃って、こうなのか。「ケーキ、焼いていい? 材料ある?」
「これから?」驚くお母さんに、「明日のお昼の前に」と、あたし。「来るのは午後だと思う」
「わたしたちの分もあるのだろうか。ご馳走していただけるだろうか」
どうして父は、そこなのか。
電話が鳴ったのは、寝ようと電気を消し、お布団に入ったタイミングで、なので、とても驚かされまして。暗い中で手に取って。
「寝てた?」と如月さん。
「今から」とあたし。
「何の用?」履歴があったけど、って。
訊かれて一瞬、なんだろうって考えてしまった。「明日の時間ですが、」
電話の向うで、ああ、と如月さんがため息。まるで耳元に息を吹きかけられたみたいで、くすぐったく思ったら、「ごめん。決めるの忘れてた」素直に謝られて、ちょっとびっくりさせられました。
時間の約束を済ませて、「そうだ」ふと、如月さんが訊ねる。「誕生日、いつ?」
「十月ですが?」
「なんだ」ぶつぶつ。「年上だったか」
「がっかりですか」
「いや、別に」
そうですか。
「こちらの情報ばかりだったから、バランス取ろうと思って。じゃ、明日。おやすみ」
通話を終えて、電話を置いた。耳に、如月さんの声が残っている。知り合うは、双方向。変なところに引っ掛かっている如月さんがどうにもおかしくて、口元も自然と緩む。いいですよ。こちらがひとつ訊ねれば、そちらにひとつ、答えましょう。
*
翌日、約束の時間ぴったりに如月さんのご来訪。通学コートの下は、グレーのパーカーに色落ちしたブラックデニム。男の子みたいな恰好はとても似合っていて、黄色いキャンバスシューズの取り合わせがかわいい。お母さんが顔を出し、ご挨拶。部屋に通して、クッションをすすめて、お茶を出した。
立ったままの如月さんは、まるでそれがお作法である、みたいな様子で部屋をぐりっと見まわし、本棚に目を止めた。
「なんですか」わざわざ訊ねてしまうのが、負けのような気がしないでもないのですが。「お眼鏡に、かないましたか」
「さあ」とうっすら笑っているのが如実に語る、というような感じでして。「いいじゃないの」如月さんは、クッションに座ると、さっそく座卓の上に預かり物の紙袋の中身を広げた。「表紙。タイトル。何も決まってない」
「あとでいいんじゃないでしょうか」
「いの一番にやるべきところよ。誰か手伝ってくれそうなアテはある?」
「どうかなあ」
「無理そうね」
「そうですね」
如月さんは、心から不思議そうな顔をして、「文集係、なんで引き受けたの?」
「あなたのご指名ですが!?」
「断ればよかったのに」
「断れたんですか!?」
「まあ……七・三くらいで断るんじゃないかな……とは思ってた」
あたしは、むすっとして、「せっかくなので如月さんも引き込んでやりました」
「まったくね」如月さんは、やれやれとばかりに首を横に振り、「わたしもどうかしてた」でもまあ、「なったものはしかたない、進めよう」
「はい」分かりましたよ、如月さん。
「あとこれ」って如月さんが出したのは、「下書きだけど、アリかって」
「鏡見くん?」名前がある。
それは物凄い勢いで書かれた〈吽〉の一文字。書道部か。お調子者への当て付けにしても、アリだと思った。「おもしろそう」
「うん」如月さんは頷いた。「きっと、いいものになる」
あ、それ。すてきですね。
「と、なると、阿吽を前後にするしかない」如月さんは断言した。
「そうかなあ」
「このふたつで挟まない理由が出席番号順だったとしても、センスを疑われる」
「そうかなあ」
「かといって、全員の原稿が揃ってからの入れ替えを考えるのは、時間的に忙しい」
「そうだねえ」
「トランプ持ってきた」
えっ。「遊ぶの?」
「なんで?」
如月さんは、赤いイラストのケースからトランプの札を取り出し、カードをより分け、長い指でシャッフルし、「出席番号、めくった数字で順に割り当て。それを叩き台に、原稿が揃った後で調整」
準備の良さに、ほとほと関心。如月さんは、手が早いなあって思っていたら。「リストを作りなさい」怒られました。「名簿、ある?」
「たぶん」
デコピンが飛んできました。探せって、せっつかれました。如月さんは、人使いがわりと荒い。でも、打ち合せとやらは小一時間で終わってしまったのです。なんか、もう、如月さん、ひとりでいいんじゃないでしょうか、というような気分になりかけたところで、お母さんが粗熱をとって切り分けた紅茶のシフォンケーキを持ってきてくれまして。あたしは自分の目を疑うような光景を目の当たりにした。
添えられた白いクリームと一緒にケーキを一口食べた如月さんは、文字通り絶句し、口元に手を添えながら、なにやら念慮し、フォークを握りしめたまま俯いて。
「なにこれ!」お茶を飲んで一息ついて、「おいしい!」大絶賛。
ああ、しあわせ、うれしい、どうしよう、ぱくぱくと、あっという間に食べ終えた。テンションの上がる如月さん。かわいい。
「おかわり、どうですか」
「いる!」言って、「いらない!」
「どっちですか」あたしは笑った。
「厚かましい真似は、しない」きりっとして。
「そう。あたしは取って来ますので」
「ちょ、」待って、と如月さん。
「なんですか」と、いじわるなあたし。けっきょく二人分、取ってきた。
二人二つ、四つのケーキがお腹におさまって、温くなった紅茶を飲みながら、ふと如月さんは、「いいなあ」って呟く。
「簡単ですよ、作るのは」
えっ、と如月さんの目が大きくなって。
「うん」と、あたし。「焼きました」
「あなたが」
「あたしが」
すると如月さんはフォークをくわえ、ぶらぶらさせた。子供でもあるまいに、なんてお行儀の悪い。けれども同い年のクラスメイトだからこそ、妙な親近感を抱いたりして、でも眉間の皴がちょっと怖いなあと思ったり。
「あなたが」また言った。
「お友達が来るので、せっかくなので」
「そう」如月さんは微笑み、「ありがとう」
どうらや篭絡できたよう。
「ところで、如月さん」
「なに?」
「目が悪い──あれ、嘘ですよね?」




