不邪婬戒③
亜由美のような美人に見染められて、すっかり舞い上がってしまった。とんとん拍子に話が進み、付き合い始めて三か月目には結婚が決まっていた。
「今、思えば全てが順調過ぎました」
亜由美に急かされるようにして婚約指輪の購入代金と結婚式の費用を準備した。そして、亜由美から紹介されたブライダル会社の男に金を渡すと、亜由美は急に冷たくなった。
「原因はほんの些細なことだったのです。食事中に、僕の食べ方が汚いと言われて、そんなことないだろうと言い返してから、彼女との仲がどんどん険悪になって行きました」
結局、婚約解消となり、指輪と結婚式の費用は戻って来なかった。そして、亜由美は町工場を辞めた。
「被害届を提さなかったのですか?」吉田が尋ねると「被害届?」と加藤は意外そうな顔をした。「僕は別に亜由美さんに騙された訳ではありません。悪いのは僕なのです」
加藤には亜由美に騙されたという意識が無かった。
「その内村亜由美さんから紹介されたブライダル会社の人間というのはどなたですか? 名前は分かりますか?」と聞くと「確か・・・柴崎さんという方です」と加藤が答えた。
ここで柴崎の名前が出て来た。
「亜由美さんがどうかしたのですか?」と最後まで加藤は亜由美の心配をしていた。「事件に巻き込まれたようだ」としか言わなかった。黄鶴楼で起きた連続殺人事件の被害者として名前が公表されるのは時間の問題だろう。
柴崎の名刺が残っていると言うので見せてもらうと、果たして柴崎高尚の名があった。加藤に礼を言って会社を後にした。
「経験を積んで段々、手慣れて行ったようですね」
阿佐部が亜由美の巧みな手口に舌を巻きながら言う。
「夫婦で結婚詐欺を行っていたのでしょう」
亜由美は働きながら獲物を見つけると爪を隠して獲物に近づき、頃合いを見計らって一気に牙を剥くのだ。
柴崎のアパートにブライダル会社のパンフレットや名刺があった。上等なスーツが押入れにあったのは詐欺の仕上げで必要だったからだ。最後に金を騙し取る役が柴崎だった。夫婦で結婚詐欺を働いていたのだ。被害者に騙されたと気が付かせないところなど、かなりの腕前と言えた。
加藤の場合、被害総額は三百万円弱だった。
「不邪淫戒・・・内村亜由美に向けた戒めでしたね」
「犯人は被害者を罰することが目的だったのでしょうか?」
「被害者を罰して戒めを書いた前掛けを掛ける。正義のヒーローでも気取っていたのでしょうかね」
「さて、一旦、警視庁に戻りましょう。竹村さんも捜査を終えている頃です」
「そうしましょう。しかし、東京は何処まで行っても都会ですね~」と感心すると、「ビルとか建物が多いだけですよ。その分、人が多くて大変です」と吉田が言う。
「人が多ければ犯罪も多い。ここで刑事をやるのは大変ですね」
「慣れました。本当は慣れちゃダメなんでしょうけど」
「確かに」
警視庁に戻ると、竹村が戻って来ていた。
「ご苦労様です。吉田が迷惑を掛けませんでしたか。すいません。しつけが悪くて」と二人を迎えてくれた。
「いいえ。優秀な部下をもって、竹村さんは幸せですね」と返事をする。
「流石は阿佐部さん。よく分かっていらっしゃる。先輩には僕の素晴らしさが分っていないようですから、まだまだです」という吉田の言葉を無視して、「さあ、情報交換しましょう」と竹村ががらがらと椅子を引いて来た。輪になって座る。
「柴崎と亜由美の結婚詐欺の原点となったと思われる事件を探り当てました」と竹村から報告が始まった。
「内村亜由美の実家に電話したところ、妹さんが都内で働いていると言うので会って話を聞いて来ました」と竹村は言う。
柴崎と亜由美は群馬県の高校の同級生で、地元では有名な不良少年と不良少女のカップルだった。高校を卒業すると同時に家出し、駆け落ち同然の形で東京に出て来た。初めは二人共、真面目に生きて行こうとしていたようだ。柴崎はコンビニでのアルバイトに明け暮れ、亜由美は都内にある私大の傍の喫茶店でウェートレスをしていた。
慎ましやかだが、幸せな生活を送っていた。やがて亜由美は子供を妊娠し、ぎりぎりの生活が妊娠により更に苦しくなり、二人を追い込んで行った。
仕事と生活のストレスから些細なことで大喧嘩をしてしまう。安定期に入る前だった。亜由美は家を飛び出し、町を彷徨い歩き、場末の飲み屋で酔っぱらった。店にたむろしていた性質の良くない男たちに連れ出され、ラブ・ホテルに連れ込まれた。そこで、集団暴行を受けてしまう。亜由美は流産し、子供が産めない体になってしまった。
「内村亜由美は自暴自棄になってしまったようです」
「それで犯罪に手を染めてしまった訳ですね」
「妹さんは姉夫婦が結婚詐欺をやっていることを知りませんでした。夫の柴崎がブライダル会社勤務で給料が良いと聞かされていたようです」
「それで、彼らが結婚詐欺を始める原点となったのは、どんな事件だったのですか?」
「はい。それは――」竹村の話が続く。
美人の亜由美は喫茶店の看板娘だった。亜由美目当てに店に通ってくる大学生が少なくなかった。
「当時、熱心に喫茶店に通っていたという男性を見つけました。あんな女に熱を上げていたなんて、どうかしていましたと言っていました。そして、同じように亜由美に熱を上げていた恋敵の話をしてくれました。井藤健太という学生です。同級生で、何故、亜由美さんがあんな冴えない男を選んだのかと不思議がっていました」
青白い顔で、仕事に復帰した亜由美は、彼女目当てに喫茶店に通って来る若い大学生に目を付けた。それが井藤健太だ。
小柄で色黒、目が細く、お世辞にも良い男とは言えなかった。
「日頃、女性と話をする機会が多くなかったのでしょう。喫茶店に通いつめ、亜由美に声をかけられるだけで舞い上がっていたそうです。最初は気のある素振りを見せて井藤を誘い出して食事や遊行費をたかる程度でした」
「それが段々、エスカレートして行った訳ですね」




