江戸小紋①
福永に会いに成田実業に向かった。
成田実業の福永昌弘という人物が和田家と東口良治の両方と接触をしていた。今回の事件の背後で暗躍していた可能性があった。
住所は分かっている。成田実業は豊島区のオフィス街の一角に自社ビルがあった。
「福永昌弘さんにお会いしたい」と受付に伝えると、暫く待たされてから、人事課の課長が対応に降りて来た。そして、「当社に福永昌弘という人間はおりません」と怪訝な表情を浮かべながら言った。
成田実業に福永昌弘という人物は存在していないと言う。
「企画本部本部長の福永さんです。こちらにいるはずです。最近、退職されたのですか?」と食い下がってみたが、「現在も過去も、当社に福永昌弘と言う人間が在職した記録はありません」と冷たく言われた。
「福永さんの名刺を持っている人が何人もいるんですけどね」と東口良治から預かった名刺を見せた。
「最近は名刺をパソコンに読み込んで簡単に偽造することができます」と人事課長は迷惑そうに言った。
「これは殺人事件の捜査です。隠し立てをすると、後々、問題になるかもしれませんよ」と脅してみたが、「そうおっしゃられても、いないものはいないのです」と困惑の表情を浮かべるだけだった。
人の好い農家の親父といった風貌で、冷や汗を浮かべている様を見ると嘘をついているように見えなかった。警視庁の刑事が来たというので社内の記録を当たってみたが、福永昌弘という人物が会社で働いた記録がなかった。そこで、人事課長が対応のために降りて来たのだという。
「他に御用がないのでしたら、これで失礼します」と人事課長に逃げられてしまった。
狐につままれたような気分だった。収穫もないままに成田実業を後にした。
車に戻る。「どういうことでしょう?福永昌弘という人物はいなかったのでしょうか?嘘を言っているようには見えませんでしたけど」吉田が言う。
「まあな。だが、分からないぞ。サラリーマンなんて会社のためだったら平気で嘘をつく、そんな連中がごろごろしていそうだからな」
「さて、どうします?一旦、本庁に戻りましょうか?」
「いや、愛媛県警からの頼まれごとを済ませてから戻ろう」
すかさず「すいません」と阿佐部が後部座席から謝る。
「気にしないで下さい。無神経な人ですから」と吉田が助手席から笑顔で振り返る。
竹村は「神経を何処かに置き忘れて来たお前に言われたくないね」と吉田に嫌味を言ってから「新宿の花里工房に行って見ようと思います」と阿佐部に言った。
「花里工房」
近藤は阿佐部の願いを聞き届けてくれたようだ。
愛媛県警から花里公房という染物屋を尋ねて注文主を聞き出してもらいたいという依頼があったと言う。黄鶴楼で見つかった遺体は前掛けをしていた。柴崎の証言によれば、もともと黄鶴楼とは反対の坂の上の旧校舎らしき建物の庭にあった五体の地蔵がしていたものだと言うことだった。
阿佐部が近藤に頼んだ依頼というのはこの前掛けのことだった。
地蔵の前掛けは、誰か殺される度にその首に掛けられていた。犯人が用意したものである可能性が高い――そう阿佐部は考えた。前掛けの製造元を追えば犯人に繋がるのではないかと考えたのだ。
そこで、愛媛県警の科捜研に前掛けの鑑定を行ってもらった。
前掛けを鑑定したところ、江戸小紋という染物で作られた特注品であることが分かった。染物屋の特定を進めたところ、東京都新宿区にある花里工房という染物屋で染められたものであることが分かったのだ。
近藤から「どうやら江戸で染められたものらしい」という報告を聞いた阿佐部は、警視庁に染物屋の捜査依頼を出すように頼んでおいたのだ。
こうして一行は新宿へ向かった。
都電荒川線の面影橋駅前に車を停め、そこから神田川沿いの遊歩道を進んだ。遊歩道では桜の季節になると満開の桜を楽しむことができる。やがて、一軒のモダンさが感じられる古風な民家が見えて来た。花里工房だ。
工房を尋ねると、作務衣を着て日本手ぬぐいを頭に巻いた主が三人を迎えてくれた。思ったよりも若い。まだ三十代だろう。小柄で四角い男、細い目、いかにも職人を思わせる顔立ちだ。主は「十二代目、花里千衛門です」と名乗った。
竹村が警察バッジを見せながら言う。「お忙しい中、すいません。十二代目ですか?」
「はい。うちは江戸時代から続く染物屋です。代々、千衛門を引き継ぐことになっていて、私で数えて十二代目になります」花里は得意そうに答えた。
「今日は、これを見て頂きたいのです」竹村は携帯電話に保存してあった画像を見せた。愛媛県警から送られてきた前掛けの画像だ。
花里は「ああ」と頷くと、「これは私が染めたものです。間違いありません。これがどうかしたのですか?」とあっさり認めた。
「あなたが染めた染物で間違いありませんか?」
「はい。懇意にしている方から、仏教の五戒を入れた前掛けを染めて欲しいと頼まれて作ったものです」
「懇意にされている方とは、どなたでしょう?」
花里は一瞬、怪訝な表情を浮かべたが隠し立てする必要はないと思ったようで、「成田孝臣さんです」と答えた。
「成田孝臣さん?どういう字を書くのでしょうか?」
「ご存じありませんか?」
「えっ?」
「成田孝臣さんと言えば、あのナリタ・エンタープライズを一代で大手企業に育て上げたカリスマ経営者として有名な人です。現在は第一線を退かれて、ナリタ・エンタープライズの会長をなさっています」
「ナリタ・エンタープライズ!」




