不偸盗戒②
吉田は「一周回ったら元通りじゃないですか」と反論してから、「盗難事件が起きた時、森友家にいたもう一人の年嵩の家政婦、それが長谷川真理子だったのです」と阿佐部に告げた。
「えっ!」
「黄鶴楼で見つかった犠牲者の名前が長谷川真理子だと聞いてピンと来たのです。もしかして森友由香の事件関係者じゃないかって。ずっともやもやしていましたが、昨晩、愛媛県警から連絡を頂いた住所から、森友家で家政婦をやっていた長谷川真理子で間違いないことが分かりました」
「お前にしては上出来だ。よく覚えていたな」
竹村が褒めると「~でしょう」と吉田は胸を張って見せた。
「調べてみると、長谷川真理子は盗難事件の後、森友家の家政婦の仕事を辞めていました。あんな事件があった後では働きにくいという理由だったそうです」
世間の批判が森友由香に集まっていた時期だ。周囲の者は同情こそすれ、不審は抱かなかったようだ。
「殺害されたのが森友家の家政婦だった長谷川真理子だったとなると、森友家の盗難事件が絡んでいた可能性が出て来たって訳ですね。宝石を盗んだ真犯人は長谷川真理子だったのかもしれません。三宅さんは無実だった」
「僕もそう思います」
「不偸盗戒」
「ふちゅう・・・とうかい?」
「遺体に奇妙な前掛けが掛けられていたことはお話したと思います。長谷川真理子の前掛けには不偸盗戒という戒めが記されていました。汝、盗むなかれという意味です」
「長谷川真理子に相応しい戒めだった訳ですね」
「日野が不飲酒戒、村田を名乗っていた鈴木が不殺生戒、殺すなという意味です。そして、長谷川が不偸盗戒だった。となると――」
阿佐部が言いかけると、吉田が先回りして言った。「残りの二人も戒めに相応しい罪を犯していたのですね」
頭の良い若者だ。だが、「おいおい。人の言葉を遮るな」と竹村に注意されてしまった。
「えへっ! すいません」と吉田が頭をかく。
「ところで残り二つの戒めは何なのですか?」と竹村が尋ねる。
「水谷という黄鶴楼のマネージャーを勤めていた男が不妄語戒、嘘をつくなという意味だそうです。そして、内村という若い女性が不邪婬戒、汝、姦淫すること勿れという意味ですね」
「なるほど。被害者を絞り込む参考に出来そうですね。柴崎の証言によれば、鈴木は柴崎が殺し、日野は鈴木が殺したということでしたが、後の三人はどうなのでしょう? 誰が殺したのでしょうか?」
「内村亜由美については、転落死ですので、事故の可能性があります」
「阿佐部さん、事故だと思っているのですか?」竹村が阿佐部の考えを見透かしたように言った。
「いえ、殺されたと思っています」と阿佐部は苦笑いを浮かべながら答えた。
「誰の仕業でしょうか?やっぱり鈴木の仕業でしょうか?」
「やつは逃亡中でしたから、人目に付く騒ぎは起こしたくなかったはずです」
「正体がバレて、三人を殺したのかもしれません」
「彼らは絶海の孤島にいると信じ込んでいた訳ですから、その可能性は排除できませんね。正体がバレたのなら、全員、殺してしまえば良い。鈴木がそう考えたとしても不思議ではありません。ですが・・・」
「ですが、何です?」
「宿泊者は一癖も二癖もある人間ばかりです。日野は前科があったし、長谷川も窃盗事件に絡んでいた。水谷や内村は何日も行方不明になっているのに、失踪届けが出ていない。身内が名乗り出ないのは妙です。後ろめたいことがあるからかもしれません。ひょっとして、あの屋敷には、そういった癖のある連中が集められていたのではないでしょうか?」
「どういう意味でしょう?」
「絶海の孤島だと思わせ、犯罪者を集めて、一人、二人、殺害する。そうすれば、人間のクズのような連中です。後は勝手に殺し合いを始めてくれる。犯人はそんなことを考えたのかもしれない。そう思っただけです。すいません。ちょっと妄想が過ぎますね」
蟲毒。近藤はそんな話をしていた。
「いや、面白いですね。そうなると、犯人は他にいることになります」
「屋敷は絶海の孤島などではなく、陸続きの半島の先にありました。外部から侵入が可能だった訳です。屋敷外に犯人がいたとしても不思議ではありません」
立ち話が長くなってしまった。「さて、今日はどうしますか?」と阿佐部が聞くと、「そろそろ出発しましょう。今日は浦安に行く予定です」と竹村が答えた。
「浦安ですか」
浦安に何があるのだろうか。
「黄鶴楼の発注元はイーストゲートという会社でした。詳しいことは道々、ご説明します。さあ、参りましょう」と竹村は言う。
愛媛県警の高橋が調べたところ、黄鶴楼は地元の建設業者がコンソーシアムと呼ばれる企業連合を組んで工事を請け負っており、発注元は大阪の開発業者だった。ところが、大阪の開発業者は関東の大手開発業者から委託業務を受けており、関東の大手開発業者は更に別の開発業者から注文を受けて――という状況で、なかなか大本の発注元に辿り着けなかった。
最後に辿り着いた先は、別荘の所有者として不釣り合いな東京に籍のある個人企業で連絡を取ったが応答がなかった。ここで捜査が行き詰まっていた。
後は警視庁の捜査待ちとなっていたが、その個人企業がイーストゲートだったようだ。
エレベーターでホテルの地下駐車場に降りて行く。エレベーターの中で竹村が意外なことを言った。
「イーストゲートは関東に本社を置く会社で、代表者は東口良治という人物でした」
「東口良治! あのクルーズ船の所有者だった東口良治ですか⁉」
宇和島港のクルーズ船の一時係留許可申請は東口良治の名前で出されていた。東口良治の住所は都内となっており、その捜査も警視庁に依頼してあった。竹村と吉田は東口良治の行方を追ってくれていた。クルーズ船に黄鶴楼の発注者、二つの線が東口良治で繋がったのだ。
「今日は俺が運転する」と竹村。
地下駐車場で警察車両に乗り込み、車は走り出した。
「イーストゲートは休眠会社という、会社登記は残されているものの企業活動を停止している会社でした」と吉田が説明してくれる。
阿佐部が東京に来る前に、既に調べを終えてあったと言う。
「東口良治は負債を抱えて夜逃げしたようで、住民票に登記された住所に住んでいませんでした。東口には妻と子供がおり、借金の督促が家族のもとに行かないようにという配慮からでしょう。妻と離婚し、子供は妻に引き取られた形になっています。そこで、離婚した妻を探し出して話を聞きました。都内に住んでいて、東口の所在を尋ねると、知らぬ存ぜぬを繰り返されましたが、なんとか、やつの棲家を聞き出すことができました」




